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あいだの一週間

父の膀胱炎+神経因性膀胱が判明した夜、簡易ベッドを急ごしらえで作るときに頭を強打した僕は直後にネットで見た頭や首のちょっとした衝撃から大事になる話を見て怯え始めていた。

父は常時管が挿れられた状態で過ごし、袋をつけているときは、サイフォンの原理?でおしっこが外部に出ていく生活になった。
そのことが我が家に何を齎していくのかも怖かったが、簡易ベッドから母がお世話になっている介護用品のところから、レンタルする案が浮上していた。

費用負担は痛いが、これから先、足腰の負担を減らしたり、睡眠時に常に外部の袋へ尿を排出するのならば腰から下に袋を設置する必要があるので、今後借りることになるパターンもあり得る。という曖昧な決着を迎えた。
このことが、母の「置くなら部屋をちゃんと片付けて過ごしやすい環境で健康的に暮らしてほしい」という欲求のドアをはげしく叩いた。

僕や父に「いい機会だから掃除したら」攻撃が始まった。確かに、いい機会ではある。しかし、そんな余裕が心身ともにない。まして、父は自力排尿の量と同じでお猪口1杯分ほどもない。そもそもショックで卑屈に輪がかかっている。ここに正論ストレスを迂回路も回らずにアクセル踏んで突き進んでくる母との相性が悪い悪い。

父は父で、ずっとセルフネグレクト気味で、部屋がとんでもないことになっているので、それを何とかしたいと常々思われていても仕方はない。一緒に暮らしているのに自分のことばかり優先して、身の回りを綺麗にしないと陰気が深まるだけじゃないかと口にする母の言い分は正しい。

しかし、互いの言い方受け取り方タイミングすべての相性が悪い。やる気のない父に良きタイミングというものは存在しないという前提に立っても、それでも、今ではない。しかし、スイッチも入って道理も通っていて我慢が効かなくなってきている母にとっては、こんなときだからこそ清らかに! と入れ込み気味の気配である。

このふたりのあいだで鎹の役を仰せつかるのはとてもしんどい。頭を打って物理的にも痛いのに。
だが、ベッドを置く決断をするのはまだ早いし置くとなったら一旦別の部屋に大概のものを移動させてゆるゆると戻す方式を取ればよい。そう思ったので母の気持ちを汲み取りつつ、この最初の一週間で父に片付けさせるのはやめたほうがいいし、気力が更に減退している父の横で片付けを始めるのも控えたい旨を伝える一週間になった。
我慢させ続ける形になって申し訳ないとは思っている。
しかし物の位置が少し変わるだけで大パニックを起こしやすい父のことを考えると【いますべき事ランキング】の上位に踊りださせることはできない。そう考えて母には我慢してもらう方向を選択した。そのぶんの何かのしわ寄せが起きて母と少し衝突する機会が増えてしまったが、この恩は必ず返したい。



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