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カトリエさんと私

私をよく知る人に

noteでは本音を…とかいいながら
全く本音出せてないねって言われた🤣
まどろっこしい表現で
言葉を選んでると。

その通りです、
自分でもよーくわかってます(笑)

言いたいことを言おうと思ったけど
やっぱり言えない。
あれこれ考えリスク回避で飲み込んじゃう。
私の本音は永久に下書きの中。

まーそれもいっか。
私はそういう人なんだな。

それに、言う必要もないと思った。
カトリエとしては。

私はバカ正直、というか不器用すぎる(笑)
 


どこまでが仕事で
どの時間がオフなのかわからない生活を
何十年も同じ名前で続けていると
これが自分だって思ってきてしまうけど、
加藤理恵さんと私は別物。
ここにいる自分に
自分らしさを求める必要なんてない。

だからここでこんな話をする必要もないし
私の話はカトリエの場所ではいらない。


まぁつまり
自分で自分の住み分けができてないのね(笑)
いろんな私が私の中でごちゃ混ぜになってる。

新しいプライベートの名前でも作ろうかな(笑)


平野啓一郎さんの 

『私とは何か 
「個人」から「分人」へ』

という本が好きなんだけどね。
私がずっとぼんやり思ってたことを
わかりやすく言葉にしてくれている感じで。

改めてこの本を思い出して考えると、

今私は
コミュニティごとに違う自分の姿は
捉えられていたけど、
もう一つ大きなカテゴリー
公私の境目になるような
自分の分類はしていなかったみたい。


というかやっぱネットで
境目が曖昧になったんだな、より一層。

Twitterのフォロワーには
アイドル時代のファン、サッカーファン、
俳優としてのファン、アンチ、
仕事関係のスタッフ、偉い人、
俳優仲間、アイドル仲間、
プライベートの友達、親戚、
…親までいたりする😳!!

そりゃやりにくいわ!

誰に向かって何を言えばいいか
私にはわからない!!!
だから、何も、言わない!!

昔は、プライベートの友達に
ブログを見られるだけでもすごく嫌だった。
そこで私の人間性を判断されるのが。
「理恵は○○らしいよ、ブログで言ってた」
って。
あれは私の一面で
本音が詰まってるわけじゃないよ!

例えば

私は自撮りが嫌いで、
自撮りを見てほしい、かわいいでしょ私ー
という承認欲求を見かけるとげんなりする。
けど仕事上のメディアでは自撮りは必要。
私もやはり、やる。
本当に本当に恥ずかしい。
今でも恥ずかしい。
喜んでやってると思われるのがすごく嫌だ。
でも、やる。

肌の露出なんてなおさら。
これに関しては仕事上の価値マネジメントでも
本当なら簡単にやるべきではない。

でも一部の人に伝えたい思いがあって…
そこに届けるには、
結果全ての人にシェアすることになる。


なんの話かよくわからなくなってきたけど(笑)

まぁ今私は、
何十年もやってきた様々な活動や人間関係が
一つの名前に集まっていることに
やり辛さや違和感を感じているんだけど。

少しずつ自分で自分の活動に
境目を作っていかなきゃな、と思う。

そのために発信先を減らしたり、
色を明確にしたり。


でもって
こーゆー話はここではいらない(笑)

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