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8月9日

東京で一人暮らしを始めた頃、母からの荷物に入っていたレシピ。もう風化してしまいそう。

今日は母の命日。24回目、かな。私の誕生日のちょうど1ヶ月前。
涙声の叔父から電話があったのは何時ごろだったかな。暮れかけてもまだ暑さがまとわりつく夕方だったような。熟れかけたバナナをどうしようか一瞬頭を過ぎったような。その夜は眠れたんだっけ。どうやって空港まで行ってどうやって飛行機に乗ったんだろう。記憶はどんどん曖昧になる。
悲しいとか寂しいとかそういう感情も少しずつ形が変わって、切り離せない私の一部になっている。もはや私は21歳の可哀想な女の子ではない。あと2年で母と同い年になる。
それでも8月9日には首根っこを掴まれてあの夏の日に引き戻される。定点観察みたいだ。

ワクチンの予約をした。
たくさんの強い主張を流し見ながら、私はやっぱり生への執着が薄いのだなと気づく。
そう自覚しているからこそ、いまとその少し先にいつも楽しみを仕掛けておこうと思う。とにかくご機嫌に最期まで生きようと誓う。
記憶の母はいつも笑っているのだしね。



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