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残り時間を意識したら自由になったよね。

自転車の練習をする娘のちいさな背中を見ながら、ふと「この子は未来に向かって生きているのだなあ」と思う。

40代に入った頃からかな。人生の残り時間を意識するようになったのは。
どこまでも続く長い道の途中にいるような気持ちで生きてきた30代までとは違って、明らかに「折り返した感」というか「後半感」というか、段落が変わった心地がしています。

終わりに向かっているんだなという意識はちっとも悪いものじゃなくて、むしろというかもはや圧倒的に自由で開放的。
何を選んで何を捨てるのか。誰のせいにもしないために10代の頃からずっと心に留めてきたことだけれど、自分以外の要因で選べないものも捨てられないものもあった。
それに比べてこの後半戦の自由な感じ。なんだか好きになれないなって人には会わなくて平気だし、好きな人にだけ好きって言えばいいし、欲しいものだけを買えばいいし、みんなに話を合わせなくていい。実際居心地のよくない場所に行くってことがもう皆無に近い。まあほとんど家にいるんだけど。(家が好き)
少し前まではもうちょっと窮屈なこともあったように思う。忘れたけど。
やなことを思い出すか思い出さないかも自由。

さてと、残り時間なにしよう。
これから何かに夢中になったとして、健康でいられればあと40年くらい楽しめる。したいことは今のところひとつなので、そこは迷わず怯まず。

残りの日々をどう生きたいかどう暮らしたいかって考えた時、私はチクリと刺さるトゲのない肌触りのいい毎日を生きたい。愛おしいものに囲まれて、ご機嫌に暮らしたい。
旦那さんの愚痴を持ち寄って(たまにはいいけど)「いかに税金を安くするか」ばかり話す輪の中には入りたくないし、親切なふりして他人の足を引っ張る人からは全力で逃げ切りたい。仲の良いことを確認するみたいにお互いをイジり合う女友達はいらないし、なんならいつもありったけ褒め合いたい。
だってもったいないから。残り時間は限られているから。
憶えていられる思い出の量も
死ぬまでに口にできるごはんとおやつの回数も
大好きな人と過ごす時間も
全部限られているからこそ、よりいっそう愛おしい。

人生のどの時点にいても「嗚呼あの頃に戻りたい」とか1ミリも思ったことのない私だから、子どもたちがこれから経験するであろう「友情にまつわるあれこれ」とか「受験」とか「挫折」とか「初めての恋愛」とか「失恋」とか「生き方の選択」とか、もうとにかく「面倒臭いこと盛り沢山だね。がんばれ♡」としか思っていないけれど、これから傍でそれを見ていられるってこともすごく楽しいな。後半さいこう。

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