46万回のありがとう #41 時間って長さではなく質なのかも
これはワタシが46万回のありがとうを言うまでの過程で起きた奇跡の記録。
41日目の朝。
昨日はあろうことか寝坊して、トイレ掃除も玄関の水拭きも床掃除もできずに、バタバタと仕事に出かけた。
いつもはワタシから朝のおはようを言うところ、昨日は彼の方から連絡がきた。
ありがとうを唱え始め、掃除を楽しむようになってから、彼との関係もマイルドになった。
たぶんそれは、単純にワタシの足が地につきはじめたからだと思う。
何事にも動じず、何か不測の事態が起きても過ぎ去るのを待つ。
本来はきっとそういうものだ。
コントロールできるものなんて一つもない。
ジタバタは時間の無駄だ。
それよりもコーヒーを飲んで、ありがとうを言うに限る。
ある意味、「どーでもいいよ」と開き直り、どしんと、でーんと構える。
誕生日の今日、朝から大好きな人たちからLINEが来る。
人当たりはいい方だと思うし、人付き合いもそれなりにこなせる。でも、浅い付き合いはもう要らない。
親友で40年近い付き合いのE子、父母、弟、息子、娘、そして大好きで尊敬する彼。
彼らからの言葉やプレゼントは、かけがえない。
でも彼らと一緒に過ごしたり、言葉を交わす時間はもっとかけがえない。
時間には限りがある。
時間は命だ。
その命は、どう過ごすかより、誰と過ごすかがワタシには大事だ。
愛する家族ともっと時間を過ごしたい。
彼ともっと早く会いたかった。
時間ばかりに囚われると、その「長さ」にだけ気を取られ、そんなふうな思いが渦巻く。
しかし、時間の概念こそあってないもの。
長いだけの時間や命よりも、本当に大事な人と一瞬一瞬を抱きしめながら味わう中身の濃い時間、命がいい。
何もしなくても、何の話をしなくても、ただ抱きしめ合って、1秒1秒を2人で1つのハートに刻んでいく。
そんな、最少のDoingに感じるBeingの幸せ。
今この瞬間、ワタシが世界で1番幸せで豊かだ。
こんな幸せなこと今まであったか。
全力でありがとうをみんなに返していこうと思った。
社長から届いたお花に月野うさぎ🌙と名付け、しばし眺める。
この子がうちに来るまでに、いろいろな人が動いてる。
いろんな人の思いが繋がっている。
受け取ることが今日のワタシのお役目。
生まれてきて良かった。
生きているってこんなに素敵だったか、と冷め切ったコーヒーを口にして初めて、時間がかなり経っていることに気づく。
46万回のありがとうまで36万回を切ってます。
読んでくださる方にありがとう。
スキくださる方にもありがとう。
ありがとうは言われた側にも徳が積まれていくそうです。
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