見出し画像

交換 - その時間を生活に取り戻すこと

社会とは、そして人びととのつながりとは、つまり「交換」だというモースの指摘が最近とても気になっている。

現代社会に住むわたしたちは、「モノに価値が備わっている」としか見えなくなってしまっている。本質は逆に「交換」のほうにある。交換するモノ自体は石ころでも木切れでも何でもいい。価値があるから交換されるのではなくて、むしろ交換するから価値が生まれる。

そう言われると、たしかにそんな風な心の豊かさがある気がしてこないだろうか。大好きな友達とひたすらどうでもいい言葉をやり取りする交換日記。密かに付き合っていた恋人と交換した海辺で拾ったなんでもない貝殻。価値があるのは日記だろうか?貝殻だろうか?そしてそれらが生涯に渡ってほんのりと心を潤すのはなぜだろう。

最近の社会では、あらゆるものが規制され、商品化され、結局わたしたち自身が自ら扱えるものがなくなっているのではないか。日記を交換するのにも手数料がかかり、海辺に入るにも入場料がいる。もはや貝殻さえも商品化されている。わたしたちの生産力は分散化され、いち個人が生み出せる「価値」は、もはや自身の「労働力 = 時間」しかない。そうやって残された人生のほとんどの「時間」を明け渡すしかなくなっているんだ。

人生の豊かさとはなんだろう。人々とのつながりは何によってもたらされるのだろう。心の豊かさはモノや商品によって左右されるのではないはずだ。モノに依存しても「あの日」の心のぬくもりは追体験できない。むしろ、そこから離れて交流そのものを生み出す時間を取り戻すことが大切なんじゃないだろうか。

りなる



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?