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8時間の使い方と使う場所と、そして過ごす人と

リモートワーク ーーー 今までと違った働き方をすると、これまでのあり方の不自然さがなんとなく気になってくる。自分にとって働きやすい環境って、自分一人じゃ作れない。いま頭の中で全くまとまってないのだけど、ダラダラと文章を書きはじめてます。。。

リモートワークの便乗記事みたいになってるけど、、、リモートワークの話じゃありません。

8時間労働についてをダラダラと考えるnote。。。


8時間にパフォーマンスのピークをもってくること

ある日の昼下がり、オフィスに8時間居なければならないって、ちょっとした軟禁か?って一瞬頭をよぎった。。。

別に仕事が嫌だったってことじゃなくって、ぜんぜん楽しかったんですよ?

ただ、当たり前だけど、8時間ずっとトップスピードで走り抜けることってムリ。

改めてじっくりオフィスのすみずみを見渡してみて感じた。

仕事のパフォーマンスにもピークがあって、トップスピードでびゅーん!っていくときと、ふぅ。。。ってなるときが、どうしたってある。これは個々のパフォーマンスコントロールの問題。。。(1)

組織やチームが集まっているので、人との関わりも必ずでてくる。トップスピードで走っている最中に横やりが入ることだってある。特にハブになっている人の周りには15分に一回人が集まる。集団のコミュニケーションの問題。。。(2)

モチベーションがあっても、やることがない、なんて一時的に業務の隙間にはいってしまうことだってある。これはチームの業務プロセスや体制の最適化の問題。。。(3)

同じ場所に同じ時間だけ集まって軟禁されることによって、それぞれのピークがお互いに相殺されてしまっているんだ。

8時間の成果物ってなんだろう

特にフリーランスなんかで、お仕事を依頼するときって時間単価で依頼する、または依頼される。

作業場所や時間帯を選ばず、自由にピークコントロールができるなら、フリーランスの仕事の仕方はより効率的だと言える。一方で、業務に関連のない時間はノーカン(時間請求できない)になってしまう。

同じフリーランスでも、常駐してください、みたいな場合。結局、ピークコントロールが叶わず、低迷する時間は必ず発生してしまう。にもかかわらず、8時間勤務 = 8時間相当の報酬が支払われる。

だから社員になったほうが得じゃんという考えに行き着く人もいる。

これらの違いをはっきりさせないと、場合によってはいずれのケースも不利な評価や条件が発生する。

ピークをどこにもってくるか?

だいたいこう考えると、毎日8時間でやっている仕事というのは、ノリにのった状態で、誰からも邪魔されなければ4、5時間で終わってしまう人が半数はいるだろう。

アスリートと同じで、わたしたちは社会人のプロなのだから、仕事のもっともパフォーマンスを発揮するピークを自分でコントロールできてもいいと思う。

そうだとしても、8時間ずーーーーっと、ピークをもってこいというのはムリ。つまり、これはしくみ上、ムリがあるんじゃないか。。。

8時間という枠はなんであるんだろう❓

うろおぼえだけど、8時間労働に落ち着いた経緯は以前たしか米国の労働組合だかでなんちゃらがごにょごにょあって、結果8時間に落ち着いたんだったっけ?産業革命当時の劣悪な環境から徐々に労働時間は改善され、6時間労働への短縮実験なんかも積極的に行われていた(たしかコーンフレークのケロッグ社)けど、最終的には当時の労働者が余暇よりも収入を選んだ形で8時間におさまった、とか。その話はまた別の機会に。。。

ダラダラ働くという考え方

仕事を濃縮するというピークの問題もあれば、いや今の仕事は自分の能力からすると物足りないくらいだから、むしろ片手間にやりたい、なんてケースも仕事によってはある、いやわりと結構ある。

そういうときは、例えば1時間でできる仕事をツイッターでも眺めながら1時間半とか2時間かけてダラダラやりたいんだよ。

っていうケースがあってもいい。

8時間労働でできることを、12時間かけたっていいじゃない?

いまの制度だと、それだと12時間分の給料を請求するということになってしまうのだけど、

時間単価や稼働率ばかりをみていると、誰得なの?という結果に終わってしまうという話。

通勤時間のよしあし

ずーーーっと家にいるより、ある程度外にでる機会ってのはあったほうがよい。わたしはそう思う。だから、通勤は別にあってもいい。

だけどね、8時間勤務だから麻痺しちゃってるのだけど、例えば1時間の打ち合わせをするのに、都心まで1時間かけて通勤(打ち合わせの場合は通勤とは言わないか?)します、って、これはほんとに無駄に思えてならない。たった1時間の打ち合わせをするのに、家で準備して、電車に乗って、ちょっと早めについて、打ち合わせをして、ちょっと雑談でもして、少しコーヒーでも飲んで、電車に乗って、お家に帰る。。。と、だいたい半日を使ってしまう。

ん?今日は東京観光だったのか?ってなる。

それが、Zoomで打ち合わせしましょうだと、ちょっと上半身だけオサレして(ここだけの話、下はパジャマのままだったりする。。。)打ち合わせします。打ち合わせ完了。ちょっと雑談。以上!みたいな感じ。

ようするに、通勤時間を使ってまで会いたい人がいるか?という話に後半つながる。

どこまでいっても評価

わたしはエンジニアなので、前にも少し記事にしましたが、システムを使う従業員たちは結果的には稼働率でしか、だいたいカウントされないんですよね。だから業務改善をして成果物の質や量が上がっても、評価があがらないどころかやることが返って増えてしまったりします。

評価についての考えが変わらないと時間の制約からは、なかなか逃れられません。

リモートワークの推進なんかをお手伝いしていると、だいたい一言目にでてくるのは、さぼる人がでてくるのをどうやって回避するんだ?って議論。

でも、先進的な企業だったり、若い企業は、さぼりたく「なくなる」ような仕事をつくろー!とか

なんか遊びながら仕事しよーぜ!みたいな発想になる。

そこはやっぱわかってるなーー。若いなーーーーって思っちゃいますw

そもそも、、、

人が人を評価するなんて、欺瞞だぜ(キメ顔)by りなる

平日にぽっかりできた穴

最近働き方がどんどん変わっていて、ある程度時間に融通がきくようになってきた。土日だったり、早朝に仕事したりすると、平日の日中はぽっかり時間が空いたりする。

でも、わかったんです。
一人じゃ遊べない。。。。これ切実。

結局周りも一緒に変わらないと何もできない。

リモートワークだって、取引先さんが変わらないと、うちだけじゃ導入できないっしょ、なんて声も絶対ある。

早朝に仕事したくたって、周りが夕方に打ち合わせ入れてきたら結局そこにあわせないといけないじゃん。

そうなんですよ。

仕事の仕方というよりも、そもそも習慣に問題があると思う。

以前、コールセンターの業務設計をした時に、非常に優秀なSVさんに言われたんです。

ダメなコールセンターは、常に引き継ぎが発生して、応対した人しか対応ができない状況を必然的に作り出してしまう。そうやって休むヒマがなくなってしまう。

いいコールセンターは、引き継ぎをしなくても情報が引き継がれるようなコミュニケーション設計がされているんです。

情報が必要な時に引き出せるよう常に(いっさい誰も見ないかも知れないものも含め)仕込みが必要だし、必要な情報はそこから能動的に取りに行くという、基盤づくりとメンバーの徹底した訓練が必要になります。

一箇所に8時間拘束されて、なんとなーく仕事を回してきたわれわれ昭和世代はこれからその徹底した訓練というやつを、どげんかせんといかんのです。

平日だって友達と遊びたいんだ

一人では遊べないので、最近お友達の会社に遊びに行ったりしたときに話題にのぼった。

場所だったり時間を選ばない仕事ができるようになると、旅行しながら仕事ができるとか、日中に軽く飲んで夕方から仕事!なんて、極端な話がまずでてくる。

でもね、でもね。そこまでじゃなくってよくって。。。

例えば、地元の仲良しグループとノマドカフェに集まって、今日は一緒に仕事しよーよとか、ちょっとランチしながら集まるとか。

やっている仕事はそれぞれ違うけど、いる場所は一緒という。むしろ好きな人と一緒に空間を過ごして、時間はそれぞれ別々に仕事にあてるといったあべこべの働き方もできるってこと。

社会人になってから、みんな幼馴染と会ってる?学生時代のあんなに仲良かった地元の友だちと時間を作れてます?

これ今度やってみよう!って話になっている。

ホンマでっかTVで言っていた。人間の性格とか人格というのは脳医学的に20代半ばくらいで決定してしまう。人の根幹に影響する哲学や倫理的な共通点を持つ友達は、それより前でないと形成するのが難しい。だから、旧知の友ってのはめちゃ大事だし、それを社会人になってから作ろうっていっても不可能だって話。

もうやっている人はいそうだけど。。。

お友達じゃないまでも、同業者で気心のしれた仲間同士で集まれば、別々の案件をこなしながらも、同じ場所で雑談しながら、情報交換できたり

そういう働き方のほうが健全で、楽しげ。



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