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選挙を前にして

都知事選挙の話がまわりでよく話題になります。いま、わたしの思うこと。今回の立候補者数は過去最高なんだそう。先行きが不透明な複雑な社会のなか、立候補者が乱立し、ますます複雑な判断が求められています。そんななか、このところみんなが口をそろえて言うこんな言葉に、わたしは気づきました。

「このなかではマシかな。」

マシってなんだろう。テレビでは欧米の討論会の真似ごとのようなことをやって、論破しただとか、誠実だとか、期待できるなんて話でひととおり盛り上がる。候補者の政策や経歴、そして人格などに完璧さを求めるけれど、完璧な人間なんていない。だから、部分的に見栄えのするパフォーマンスの範疇で判断をすることになってしまう。そしてこっちの候補者の方が「マシかな」なんて発言に至る。そうやって候補者の値踏みをする。なんだか劇場化したパフォーマンスをみているよう。そのどこにも「あなた」はいない。自分の理想や自分のストーリーがすっぽり抜けている。あなたはいったいどんな未来を望んでいるのだろう。。。

わたしがいま怖いと思うこと。

「このままじゃダメだ」って、みんなどこかで思っていることは知っています。それは海外から冷静に日本を分析している人も、国内で足元しかみえてない視野の狭いわたしたちも、テレビで毎日のように流れる不幸な事件や、不甲斐ない不祥事、経済の衰退を耳にし、このままじゃダメだって思っている。それが正しいか間違いかに関わらず、そう思い込んでいます。

ここ10年ほど前からでしょうか、前向きな言葉として日本でものすごく好まれるようになった標語があります。「できることをしよう」という言葉です。このままじゃダメ。行動しなければ何も変わらない。だから現実的に「いま、できることをしよう」と鼓舞するのです。ただ、この言葉は麻薬でもあります。このままではいけないという恐怖に似た感情を麻痺させてしまう魔法の言葉。

それは次のように作用します。「このままじゃいけない」だから、「できることをしよう」と言ったとき、あなたにとってのできることが「マシなこと」しかなかったら。。。自ら進んで悲劇を選ぶことになってしまうでしょう。実際あなたにできることをしようと言われたとき、いったい何ができるというのだろう?大抵の場合(できることなどない)、誰でも関わることのできるお金の話にすり替わっていることが多い。そうやってまた無意識に、より大きなマネーゲームの悲劇に巻き込まれていく。歴史の悲劇はそうやって、理想を「〜よりマシ」という相対的な比較で麻痺させてしまうことで起こってきた。わたしはいまそれがとても怖いと思う。

「できること」と「すべきこと」は違う。全く違います。

今こそ協力。力をあわせ助け合うべき時。だから、みんなには賢くあってほしい。このままでいるよりはいくぶんマシであろうといって、分断や破壊を正当化したり。誰かを口撃したり吊るし上げるような言動を支持したり。悪を斬ったり排除する暴力を必要悪だと言い聞かせたり。。。それはすべて「マシ」な選択の結果。「できること」の選択肢が「マシなこと」しかなかったら、わたしたちは数ある悪手のなかのマシな悪手を選ぶことしかできなくなってしまう。するとどうしたって、目立つパフォーマンスや、よりインパクトの強い発言や、目先の利権などに振り回されてしまう。

「できること」ではなく「すべきこと」はなんなのか。そんな視点をもっていてほしい。そして、何もないと感じるときですら「しない」ことを選択する自由もあることを知っていてほしい。

「できること」は目先の視点でしかありません。「すべきこと」がなんなのか?その軸を定めるものこそ理想を伴った理念です。だからこそ、マシな政策を選ぶ前に、未来の理想の社会を思い描こう。夢のストーリーを語ろう。いちどそんな想いが描ければ、選択は自ずとみえてくると思うのです。

りなる



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