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「しない」をしてみよう

ーー「しない」をしてみよう

「しない」をするって、まったくもって "何をするよりも" かんたんなこと。だって、それをしなければいいのですから。。。ところが、「なにもしない」と心に決めてみると、それが思ったよりも難しいことだと気づくかもしれません。

自宅で奥さんに言われます。
「あんた日曜の昼間から、なにやってるの?」

そして会社の上司に言われます。
「おまえは上半期にいったいなにをやっていたんだ?」

お母さんにも言われます。
「勉強もしないで、なにしているの?」

こういった何気ない会話や期待(それは時として期待を伴っている)に、なんの悪びれることもなく「何もやってません」と答えられる人がいったい世の中に幾人いるでしょう?

ある日の昼下がり、子供がひとりでふらっと家をでて半日を近くの川辺りで過ごした後、夕方に家に帰ってきました。すると母親にこう尋ねられます。

「こんな時間までいったい何をしてたんだい?」

「なにも」

「何もないってことはないでしょ。どこで何してたの!」

そこで、こんな風に言ってみたりします。
「ちょっと疲れたから頭を休めるために、川でしばらくぼーっとしてたんだよ。」

すると母親は納得したように質問をやめ、
少し心配そうな顔をしながらこう言います。
「そう。大丈夫?今日は何もしなくていいから、ゆっくりお休みなさい。」

この子は川でほんとうに「なにもしていなかった」のです。ただあるがままを愉しんでいただけなのです。

ところが、それを母親(社会)は理解できません。だから、小鳥の声を聞いて癒やされていただとか、頭を休めていただとか、すべての行動と非行動を理由で埋め尽くそうと努力するのです。

こうやって子供は母親(社会)の期待に応えようとし続けるのです。

まずは、質問をやめてみる。

あなたはこれまで無意識のうちに、何を「している」のか?という質問を他人に対してあまりにたくさん投げかけていたことに気づくと思います。

「何もしない」ことを受け入れられないのは、実はあなた自身です。それは無意識に社会の中で習慣化した観念がそうさせています。

そして自分の意識に意識的であるよう心がけてみる。

誰かの「なにもしない」を受け入れることができれば、自然にあなた自身の「なにもしない」を受け入れられるようになります。

りなる


[あとがき]
生きることとは、ただ生きることであってよいと思うのです。言い換えると、いま生きているこの瞬間をただ「ありのまま」受け入れることなのだと思います。

だから、何かを「する」ことも「しない」ことも、本質的な違いは実のところあまりありません。だから別に「しない」ことにこだわる必要もないのです。

ただ、現代社会はどうしても「する」ことに偏重しすぎているという想いがわたしにはあって、「しない」ことも「する」ことと同じくらい尊い生きるという活動の現れなのだ、ということを感じてほしいと願っています。

もうちょっと、お付き合いいただける方は、過去記事でもお待ちしてます!元ネタになった記事を貼っておきます。

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