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幸せになりたい - ホイと手に入れられるモノたち

幸せになりたい。

でも、幸せっていうのはホイと手に入れられるようなモノではなく、こうすればいいなどというメソッドがあるわけでもなく、どうしようもなくそこにありそうでいて、実は〜木の葉が舞い落ちた瞬間に〜ふっと、あれ?これ幸せかもしんない、、、などと思う程度の荒唐無稽な気まぐれだ。

それでも手の届きそうな "何か" がいつも目前にちらつき、いや、ちらつかされているのかもわからない。その "何か" はつぶさに商用化され、市場の渦中に知らずのうちに巻き込まれていく。きっとマーケット戦略を掲げている誰かも、それが市場の本質であり彼らの果たすべき貢献だくらいに思っているのかもわからない。

とにかく商用化されるってことは、誰しもそうだと思うのだけれど、できれば最高品質のモノを最低価格で入手したいという心理がはたらくもの。そういういたって素朴な原理でうごいている。やたら高額で高級商材を売るなどといったビジネスもある。それもつまるところ高額を支払うと、どうしてもイイものに違いないという自己暗示的な満足度が高くなるという心理がはたらいている。逆説的に、高品質なものを高額な支払いという(擬似的な)努力でもって手に入れたという "体験" をかんたんに買っているのだ。

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幸せが(そんなものはないのだけれども)商用化されるということ。それはつまり、できればあなたはあなたの人生の最高の意義を最低限の労力で入手したいと願っているのだ。

でも、そんなことは起こらない。

なぜなら、そもそもあなたが入手しようとしている"ソレ"は存在していないのだから。

だから、わたしがいつも伝えたいと思っているのは、ただ生きることをあなたに許してあげてほしい。

「なにもしない」「なにもしなくてもいい」その空間にあなたの人生の意義を見出してほしいとただ願うのです。

そのために、これから何をすればよいのか。。。

そもそも、「なにもしない」を許容しろといいながら、"何かする" ことを模索しろと言うのは、本末転倒も甚だしいのだけれども(笑)それでも、人は何かをしないではいられない愛くるしく間の抜けた動物なのだ。

つづく(かも)


[あとがき]
なんかわからないけれども、エッセイみたいなものを書いてみたくなりました。とにかく、読みにくくて、まわりくどくても、なんとなく読んだら、ぼんやりと何かが伝わったような気がするぬるい温度のお風呂みたいなもの。

次回(がもしあれば)、りなるの人生のテーマを改めて掘り下げてみたいと思ったりしています。

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