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「集」から「個」を活かす魔法(おまけ)

結局、「個人主義」だとか「集団主義」と言った言葉の定義はないのじゃないか、なんてにべもない話に長々と付き合っていただきありがとうございました。飲み会での話題をその場でポイとおわりにするのではなく、モヤモヤをいっしょに共有するひとときを味わいたかったのです。

さて、ちょうどこんなネタを書いていたので、ネタついでにおまけ記事を書いているわけですが、そんな一週間の間に、世の中ではいろいろなニュースが話題になりました。特に気になったのがアメリカの大統領選挙ですね。

記事中にも書きましたが、アメリカ人がディベートが上手いってのには相応の理由があるのです。日本人がディベートが苦手っていうのとではその意味の重さがまるで違うとわたしは思っています。中でもアメリカの大統領は、国民の行動指針のモデルになるのです。その候補者の二人のディベートが感情的でグダグダの内に終わったというニュースをみて、いよいよアメリカも変化の時なのかもしれないなどと感じたのでした。

アメリカでのディベート能力っていうのは、自由を享受するための個人の責任みたいなもので、いわば要石の役目をしているのだとわたしは思っています。そこがふっと抜け落ちたら何が残るんだろうという想像をしています。わたしはいまアメリカに暮らしているわけではないので妄想でしかないのですが、個人主義から自分主義(今の自分さえよければそれでよし)への転換が起こっているのかもしれないですね。

日本でも同じように、自分主義への転換が起こっているように感じています。本文中にも書きましたが、とにかく目先のことや自分ごとばかりをみて、極端に短絡的な判断をする人が多くなっています。

しかし、自分ひとりでできることには限界があります。すべてのひとが自分主義に陥ってしまった先にあるものは、ただの自分勝手なエゴの世界です。個を活かすことと自分さえよければの主張は、似ているようで全くもって非なるものです。

いちど、シンプルに立ち止まって本質に立ち返ってみませんか。より豊かに共存する方法はひとりひとりが自分の能力を充分に発揮できる環境をつくることです。それは個人がムリせず最も自然な状態であるってことです。大きな社会の視点や、より長い時間軸で自分の人生、そして子供たちの未来を見る視点を育む機会になればと願っています。




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