「しない」を評価すること
この時期になると、評価面談とか人事評価についての話題を耳にすることが多くなります。あんまり興味ない人もいるかもしれないけど、わたしはやっぱり組織論とかが好きなんですね(笑)この時期になるといつも同じようなことを考えてしまいます。
どの組織も、ある程度の規模になると評価制度っていうのが必要になってきて、一定期間の目標が達成されたか、みたいな基準で評価が決まったりする。ただ、どこもたいてい上手く行ってなくて、四半期単位の目標ばかりに注力して長期的な視野が組織から抜け落ちてしまったり、めまぐるしく変化する環境で半年以上前に立てた目標が期末には全く意味を持たないものになってるなんて状況もしばしば。
「目標を立てる」という行為自体が不毛なんだってことも口を酸っぱくして主張したいのだけれども、今日はいったんその話はおいておいて、「行動」に対する評価に絞った話をしたいと思います。
行動「する」か「しない」か
人や業務を評価をする際に、行動を「する」か「しない」か、の二択で考えている組織が信じられないくらい多いように感じています。
目標に向かってどんなアクションをしたのかがなければ評価ができませんから、「時間を何に使ったのか」に焦点があたり必然的にアクションを起こしたことが評価につながります。その反対に何もアクションをしないと「いったい業務時間に君は何をしていたんだい?」といった風にまったく評価に値しないといったことになってしまいます。
もちろん目標を達成できるのに越したことはありませんが、ここで注目したいのは目標を「達成」できたことではなく、「実行」できたかが評価につながっているということです。
すべての実行結果が良い成果をもたらすわけじゃない
でも、これ考えたらわかることですけども、すべての行動が良い結果をもたらすなんてことはありえません。
むしろ、「あの部長が出てくると仕事が増えんだよなぁ」「あの人、引っ掻き回すだけで、周りが萎縮してしまうんだよな」なんて、ぼやきを飲み会でもよく聞きますが(笑)これは、一生懸命仕事を「する」ことがむしろマイナスの結果につながっている例です。
多くの組織では、八時間労働のうち八時間をちゃんと仕事してほしいと考えます。だから、八時間のスケジュールをきっちりと行動で埋めることを優先してしまいがちです。しかし、わたしの経験上ですが労働時間をタスクで埋めることと、良い成果を出すことにはあまり関係がありません。
「行動(横軸)」とそれによって生まれる「成果(縦軸)」は本来別の二軸なのです。
「実績を伴う行動(右上)」が高い評価を得るのは誰でも納得がいくでしょう。ところが、「実績は伴わないけど実行はした(右下)」ものは、行動をしたという一点においてむしろ好い評価がされがちです。不毛な仕事を増やす従業員が多いのはこのためです。だから、とにかくみんなわかりやすい行動をしたがります。
逆に、「やるべきことをやらなかった(左下)」は、怠けものとして悪い評価がくだされるのは理解できるかもしれません(詳しい話は後述します)。一方で、行動をしないまたはそれを「辞めたことにより組織全体の流れが改善する(左上)」ことはよくありますが、なにもしないで改善したのだから評価がなされないことがとても多いように思います。残念なことに、行動を軸にすると行動が伴わない行為は評価できないのです。こういった評価制度に偏りすぎると、改善に対する意識はどんどん低下していきます。
本質的な意識改善ってなんだろう
仕事であっても友達づきあいであっても、仲間同士で行動をするからには、そのチームや組織に対して何かしらの好い結果がもたらされることが大切だとわたしは思います。
だから、もし成果で正しく評価を測るのであれば、行動をしたかしなかったかの二択ではなく、状況が改善した取り組みであったという縦軸をより強く意識する必要があると思うのです。
各カテゴリの分布
実際に各カテゴリにはどのくらいの人、または業務が分布しているんでしょう。同一人物が仕事の種類によって、複数のカテゴリに部分的に所属するような形になることもあるでしょうから、厳密にスパッと分類するのは難しいですが、だいたいイメージとしてはこんな感じだとわたしは思っています。
説得力のある根拠になるかわかりませんが、マーケティングなどでよく使われるパレートの法則というものがあります。「売上げの八割は二割の社員に依存する」といった傾向のことを指します。このパレートの法則から派生して下位20%を加えた「2-6-2の法則」なんて聞いたことがあるかもしれませんが、一般的に組織内の構成比は以下のようになると言われています。
働きアリの法則なんてのでも、一時話題になりました。これはどんな優秀な組織であっても(アリですら)このような構成になるのだそうです。いずれにしても、100%の人が100%の力でフル回転する組織というのはむしろ脆弱で効率が悪いのだとわたしは思っています。
以前、わたしがとてもお世話になった上司は、これを「”刺し身”の法則」と呼んでました。経験から3-4-3(サ・シ・ミ)の割合で組織は構成されていると、パレートの法則が話題になるずっと前からおっしゃっていました。おそらく、多少の割合に違いはあるにせよ、このような組織構成の傾向というのはあるのだと思います。
人事評価でやろうとしていること
人事評価の目的をもう少しこの縦横の二軸で考えてみましょう。
すると、理想としては怠けている下位20%をなくし、成果につながっていない60%を成果に結びつく上位に組み込むことで、上位20%の割合を大きくしたい、という思惑があると思います。
こういった緑の矢印に対しての行動指針が強く働いていると思います。
ところが、実際に起っていることはどうでしょう?みなさんの身の回りで起こっている事象にもぜひ照らし合わせて考えてみてください。
これだけビジネスが複雑化し、そしてなにより不景気が続いて、何を実施するにも予算計画、稟議決裁、上長承認、、、どの企業もたった100万円の投資ですら承認を得るのに一苦労です。それでも、みなさんは少しでも売上に貢献する事業を遂行しろと常に煽られていませんか?それは、武器を持たずに前線に投入された裸の兵士に似ています。結果的に成果を生まないゴミのようなアクションで大忙しになってませんか?
目を向けるべき行動原理は「しない」こと
いまむしろ目を向けるべきは、行動をしないこと、行動をやめることによって状況が改善することや成果が期待できること、この第四のカテゴリに目を向けることです。
行動を「する」「しない」の二軸でしか判断できないと、このカテゴリには気づけません。
もちろん、好景気で打ち出す施策が高確率であたるような状況であれば、どんどん手広く手を付けていくというやりかたは機能するかもしれません。しかし、置かれている状況に応じて評価制度もまた望ましい形に適応させ続けなければいけません。
評価基準は変動する
このようなカテゴリを重要視するためには、行動にたいしての意識を少しずつ変えていく必要があるかもしれません。
何も「しない」ことはほんとうに悪いことなのか?八時間はすべて仕事で埋め尽くすことが本当に貢献につながるのだろうか?このことはよくよくみなさん自身でも考えてほしいと思います。
更に言えば、八時間に「思いっきり」作業をすることが本当に高いパフォーマンスにつながるのか?一時間でできる仕事を雑談しながら、お菓子を食べながら、音楽を聞きながら数時間かけて「ダラダラ」と作業することは悪いことなのか?
成果 = 時間単価 というレガシーな管理法から脱却できない限り、これらの問に答えはでないでしょう。特に、いままで行動さえすれば好評価されてきたカテゴリについては再考したほうが良いでしょう。
しかし、成果を上げていない行動を単純に低評価に落とすことには少し慎重になったほうがよいように思います。なぜなら、成果があがらない行動をすべて低評価にしてしまうと、行動することやチャレンジすることに対して躊躇する力が働いてしまうからです。成果につながらない行動が将来的にもずっと成果につながらないかどうかは「実はわからない」というのが正直なところだと思います。
また、同様にこれまで「悪」とされてきた、まったく成果もあげず、仕事もしない下位20%のメンバーについての評価も見直した方が良いとわたしは思っています。これら仕事もしないし組織に貢献もしないカテゴリの人員はクビにしてしまうのがよい、、、と、思われがちです。でも、先ほどのパレートの法則や2-6-2の法則を思い出してください。下位20%のしっぽ切りをしたところで、「組織の構成要素は変わらない」んです。
わたしはむしろ何も「しない」し貢献すらしなくても組織に「居ていいんだよ」と示すことが、ゆくゆくは組織全体の社員にとってなにより安心で健全な組織の在り方につながると思っています。行動を辞めることで成果につなげようという第四の意識は、この行動を「しない」ことが許されてはじめてモチベーションにつながるからです。
りなる
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