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生身であること ー 同時代に生きる

もう随分前に瀬戸内寂聴さんの『釈迦』という小説を読んだことがあります。この小説は、お釈迦様の侍者を務めていたアーナンダという僧を主人公に、傍らから見たお釈迦様の姿が描かれています。これがとてもよかった。教義とか説法の真偽とかいうことよりも、傍に付き添っているからこそ感じる凛とした空気感 ーーー そして美しさ。

小説を読んでいてフッと感じたのは、哲学にも、物理学にも、芸術にも、どの分野にも大天才はいるということ。更にその天才が半生をかけて考えたり練り抜いた思想や技を凡庸なわたしたちが単に数ヶ月あるいは数年学んだところで、ありのまま会得することなんてできるのだろうか。直接教えを請うた者ですらホントにその智慧を咀嚼できたのだろうか。おそらくできなかったであろう多くの人がそれでも強烈に惹かれたものは、もしかしたら教義そのものではなかったのかもしれない。

理念や教義はテキストから学ぶことができるけれど、それとは異なるリアルな次元にある生身の人、その所作や振る舞い、話す声のトーン、触れた手の温もり、それらすべてが起こり立つ風景。人柄と言うほかないのだけれど、その言葉にならない「何か」を味わえるのは同時代に同じ場所に生きた者たちだけなのです。現代に暮らすわたしたちは残されたテキストから覗く残余を感じるよりほかありません。侍者アーナンダがとてもうらやましい、そう思った。

世の中のすべての情報はいずれデータ化できて、わたしたちはその構築されたデータによってあらゆる課題を説明できると強く信じる時代に暮らしています。しかし、世界はほんとうに「それだけ」なのだろうか。インターネットにあふれる情報、デジタルにより数値化される活動、メタバースのなかに再現される仮の現実。そんな世間に思いを巡らせながら、いまこの場所で同じ時を生きている「あなた」との関わりの重さをしみじみと思い起こすのでした。

りなる


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