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ジュンくんの性善説(物語)

サトルには、ジュンくんという小学からの幼馴染がいた。

優等生だったサトルと違い、ジュンくんは町外れのスラム出身で、あちこちに傷を作って回るやんちゃな少年だった。控えめに言って札付きの不良だ。

「ジュンくん、またケンカしたんか?なんでいつもそんなにケガばっかしよん?暴力はダメで?」

サトルはいつもそう彼を諭した。面と向かって言ってあげれるのは自分しかいないという責任感もあった。

商店街を歩いていると、八百屋のおじちゃんと駄菓子屋のおばちゃんが、”路地裏の角んとこの子やろ?あの子は手がつけらん。” と、ジュンくんのウワサするのをサトルは何度か聞いたことがある。

「そげいうても、となり町の奴らが突っかかってくんやし。おれは手出ししとらんよ。」

ジュンくんはそうやってうそぶいたけれど、案外それは本当だったかもしれない。彼は心の優しい純粋な子だとサトルは知っていた。

ジュンくんがサトルに手を上げたことは今のいままで一度だってない。友達や妹にだって手を上げたところを見たことがない。

「でも、暴力はダメやち!」

彼が誰よりも優しいことを八百屋のおじちゃんや駄菓子屋のおばちゃんにもどうしても知ってもらいたかった。

「わかった。わかった。もうせんよ。」

ジュンくんは諦めたように笑って首をふった。

「ホント?約束やぶったら、もう絶交やけんな。。。」

暴力ふるっているところなんて見たことないのに、そんな約束を取り付けた自分にちょっぴりモヤモヤとしたものを感じていた。

「サトルに絶交されたらたまらん、たまらん。」

そういって、ジュンくんはサトルの前を軽快に走っていった。

サトルは優等生だったけれど、ジュンくんはほんとうは自分よりもよっぽど頭がよいのではないかと、いつも思っていた。

中学にあがって、倫理の授業で先生が性善説の話をしていたときだった。先生は、”人は生まれながらに、良い心をもった生き物だ” っていう説明をしてくれた。悪い心は育った環境によって後から身に染み付いてしまうのだと。

サトルはそれを聞いて、心の優しいジュンくんのようだと思ったりしていた。

すると、めずらしくジュンくんが手をあげて先生に質問をした。

「先生、そん”善”って、なんですか?」

先生は少し驚いたような顔をして、善っていうのは良い心、誰かを愛する気持ちってことだと教えてくれた。クラスのみんなもサトルもその通りだと納得してうなずく。

でも、ジュンくんだけが、しかめた顔をしていた。

もういっかい質問をしようとしかけて、ちらりとサトルの顔を見た後に、やっぱりやーめたと、そのまま静かに席に座りなおした。

その日の帰り道でのことだった。

「なぁ、サトル、善ってなんやと思う?」

「ん?先生いっとったろ。良いことやろ、だれかに優しくしたり、可愛がったりする心のことやろ?わからんが?」

ジュンくんは立ち止まって、目をみながら真剣な口調で食い下がった。

「誰かに優しくする心が善なんか?うちの母ちゃんは、おれのためやって毎日でかけていくやんか。でもな、子供のためにわたしは悪いことをしているって、夜泣いとるんや。。。なぁ、うちの母ちゃんは善とちがうんか?」

サトルはなんだか自分の浅はかさが恥ずかしくなった。

それは中学2年のときだった。サトルははじめてジュンくんが誰かに手を挙げるところを目の当たりにした。

体育祭の横断幕をクラスみんなで制作していた夏のこと。

サトルは手先が器用だったから、その制作係のリーダーを任された。毎日遅くまでデザインを考えたり、材料の買い出しにいったり大忙しだった。

とっても大掛かりな準備だったから、クラスのほとんど全員が何かしらの手伝いをしていた。団体行動の苦手なジュンくんですら、ほっぺたをペンキで汚しながら毎日惜しまず協力してくれている。みんなと打ち解けて協力しているジュンくんの姿を見てサトルは密かにとても喜んでいた。

横断幕が7割くらいできあがりつつあった放課後。いつものようにクラスのみんなが準備の続きに取り掛かろうと教室の机を移動しようとしていたときだった。

教室の真ん中で、数人の女の子とひとりの男子が言い合いになっていた。

どうやら、帰ろうとしていたところを少しは手伝いなさいよと、女の子たちに詰め寄られたことに腹をたてているようだ。

「なんでこんなことに協力せなあかんのや。これやったら成績あがるんかいな?おれはこれから塾やから、帰るで、あほらし。」

普段はお調子者の気のいいヤツなのだけれど、どこか嫌味な一言が癇に障る。この間も、わざわざ言わなくても良いことを口にしてサトルと口論になりかけたのも彼だった。

サトルはまたかと思いながらもなるべくふつうを装って、リーダーらしくその険悪な場を収めようと思っていた。

「なぁ、みんながんばっているんやし、そんな言い方せんでもええやんか。少し手伝っていったらどうよ。やってみると案外たのしいで?」

すると、彼は待ってましたと言うように攻撃の照準をサトルに切り替え、卑しい目で見下すように笑い始めた。

「優等生ヅラしよってからに、そんなに気に入られたいんか。」

その瞬間だった。

ガシャーーーン!!!

クラスの女の子の「きゃー」という叫び声とともに、ものすごい音を立てて、机と椅子が四方に散乱する。不自然にひらけた教室の真ん中には左の頬をおさえながら、さっきまで不敵な笑みを浮かべていた彼が倒れ込んでいた。

飛びかかって殴ったのは、ジュンくんだった。

「お前が帰んのは勝手だ。やけども頑張ってる奴らを笑うやつはゆるせねぇ。」

驚きに教室は一気に静まり返った。殴られた彼すらも黙っていた。その驚きの原因は机が四散したことでも、殴られたことでも、なかった。

ジュンくんが泣いていたからだ。

誰にも想像できない光景だった。殴られた彼でも、教室にいた誰でもなく、まるでたったひとりの敗者のように涙を流していた。

殴った拳が小さく震えている。

「ぼ、暴力はいかんよ!」

それ以上、殴る気がないことはサトルにもわかっていた。でも、そういうのが精一杯だった。

「ごめん。約束守れんかったで。」

そう言ってジュンくんは教室を静かに出ていった。

中学3年になるとサトルとジュンくんは別々のクラスになった。その後、別々の高校に進学し、二人は次第に疎遠になっていった。

サトルはもうかれこれ何年もジュンくんと話をしていない。

それでも、あの日の夏のことをよく思い出す。

善ってなんだろう。

生まれながらに善なのだろうか。ワルになったのも優等生になったのも、その後の人生の歩みの違いもみんな育ちのせいなのだろうか。サトルにはわからない。

ジュンくんを見ていると突きつけられる。怒りは悪だ。暴力は悪だ。そんなことはわかってる。

ただ、あのジュンくんが悪だったとはどうしてもサトルには思えなかった。教室に差し込む陽を背にあびた彼は、輝くヒーローのようだった。怒りや暴力に心を動かされたのは後にも先にもあの夏だけだ。

あの時、サトルはなんて声をかけてあげればよかったんだろう。それはいまでもよくわからない。

でも、心に刻まれた想いははっきりしている。だから、もし今度どこかでばったり会うことがあったら、あのとき言葉にならなかった言葉を言おう。

ありがとう。



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