美醜ありのままを捉えたとたんそれはただの存在になる
混沌や無秩序を「美しい」と感じること。戦争、争い、貧困、競争はその卑劣さ・醜さゆえに慈しみが内在すると感じることがないだろうか。秩序にはその観念の中に混沌が同居する。その真理にてらせばそこに大きな違いはないのかもしれない。愛とは憎しみの表現であって、怨みはまた慈しみを彩る色彩。全てはそれが体験しうる限りにおいて甘く愛おしい。
人が認識できるものには全て相対する「対」がある。もし、人に右手がなかったら左手は存在できるのだろうか。「右」手がなければ、「左」手はただの手になってし