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30歳以降の友人関係について

さて本稿は与太話にしてはそれなりに真面目な話で私としてはかなり気にしているトピックなのであるが、男性として30代以降の交流関係・友人関係というのはどのように構築して、またどのように維持していくのかについて考えていることを述べていきたい。このnoteは基本的に全て無料で読むことができる。最後に投げ銭の欄を置いておくので(200円)、支援したい人は課金してもらえるとありがたいが、そもそもマガジンに加入している人はそこも見ることができる。


1.   親友の話から

まず話すと教養のnoteを読んでくれれば私の半生については多少のことが書かれているのであるが、私自体は1980年代生まれの人間である。2000年代(以後00年代)の前半に大学生を経験し、00年代後半に大学院生を博士課程まで経た後に今に至るまで分子生物学者として研究者の職業に就いている。

私は色々な友人が実際には複数いるのだが、その中でも特に安定的に仲が良い友人がいる。時々Xのポストにも書いているのだが、中学高校時代に知り合った友人と、大学時代に知り合った友人になる。私自体は幼稚園から中学までは国立大学の附属校に通っていて、高校だけ私立高校に在籍し、大学以降は国立大学という経歴である。そういう点では、1人は中学高校というのはとても変わっていて(学校が変わっているので)、しかも実はクラスが一度も一緒になったことがない人物であった。

1-1 X君
私はコミュニケーションをとるのがかなり元々苦手で20代くらいまで随分と苦労してきた。もちろん今でも苦労はしているが、それでも多数の経験と色々と学んだことを生かして随分と改善はされているが。そのような性格の人物であったので、10代なんて本当に色々と交友関係では苦労していたこともあって、自分は「誰かの友達である」と思ったり、また「誰かを友達だと思う」ということがとても苦手であった。どういう関係だったら友達と呼んでもいいのかがよく分かっていなかったのである。今から考えればそんなのは全く笑ってしまうくらいしょうもない悩みでもあるが、当時に自分ではとても戸惑い困ることであった。そんななか、自分は高校時代は中学までほとんど勉強していなかったのを取り戻すためにそれなりに頑張っていたのだが、中学から高校がたまたま一緒だったX君が、色んな面白い話をしてくれて私を楽しませてくれた。彼はアニメや声優とかなんともオタクみたいな話をよくしてきて、自分はそういうのは正直言ってそんなにはまることもなく、そういう点では自分はオタクにはならなかったと思うのだが、彼自体はとてもそういうことにはまっていて、そういう話をとにかく私にしてくれるのが楽しかった。彼と会うのは朝と夕方のスクールバスや、または授業の間の休み時間だった。つまりクラスが一緒だったことも一度もないのである。ただそういう話をしてくれる彼といるのは楽しかったのだが、私は彼を友達だと思うということができていなかった。それで高3の時に、私は国立大学に進学することになり、またX君は地元の私立大学に行くことになったのだが、ちゃんと連絡先を交換しなかった(今の若い方々には想像できないことだと思うが、当時は携帯などが無かったし、SNSというかLINEなども無かったので、本当に家の住所や家の電話番号を交換するような時代の最後くらいであった)。
 それで結局、彼は成人式にも同窓会にも現れなかったために、連絡先が分からずじまいであった。私はだんだんと年を取るにつれて人格や精神が遅れながらも成熟してきて「もしや彼が親友だったのでは」と彼と連絡先を交換していなかったことを大きく公開し、大変つらい気持ちになったのだがどうすることもできなかった。
 そして私も博士号を取得して研究者となり、また結婚して子供も得て行ったのだが、その頃、ちょうど今では使っている日本人はわずかになったと言われているが、Facebookを眺めていたら「あ、彼は!」みたいな形で発見することができた。「やあ、良く俺を見つけたね。また話せる日が来るとは思えなかったよ」と、彼は応じてくれた。そして実際に再会できたのは、向こうの都合も色々とあり1年以上かかったのだが、最終的に彼と再び会って話をすることができたのである。
 そしたらなんと、会話のはじまりが、高校3年の時の最後の日あたりに会話していた内容のちょうど続きから始まったのである。もう15年近くのブランクがあったはずなのに、それでいて会話は最後に会った遠い昔の続きから。私も彼も色々なことがその間にあり、ライフイベントの様なものなどもそれなりにあったわけなのだが、それでも会話の中身はまずは高3の卒業式の次の日にやるような会話だったということである。そして「そういえば、お前、高校出たらどうするみたいな話してたじゃないか、どうなったんだ」と聞いてみると「ああ、大体その時言ったとおりになってさあ」と色々な身の上話が出てくる。私も彼も、あんまり不愉快になるような話は全然出てくることがない、あくまで合う話だけが続いていくのである。そのような感じで、彼とは今でも年に1度くらいの頻度であるが会うようになっている。会って話をするとしても大体1-2時間くらい、あまり意味のある話をしているわけでもない。ただし、何も問題なく時間は過ぎていき争いもなく楽しく終わっている。そしてどちらかがちょうどよいバランスで「そろそろ会うか?」といって交流が続いているのである。

ジョバンニとカムパネルラ 銀河鉄道の夜(1985年)(c)朝日新聞社/テレビ朝日/KADOKAWA/アスミック・エース

1-2 Y君
Y君は大学1年の4月に出会った男で、今から振り返るとなぜだったのかもはや分からないが大学内ではずっとべったり仲良くしていた。彼自身は分子生物学ではない分野に進んで行ったが、なんかよく分からないが、とにかくずっと私がしゃべってて彼はずっといつも聞いてくれるという男であった。そしてお互い大学院に進学し、博士号を取り、彼は民間企業に就職していったわけなのだが、会話すると大体、問題なくいつまでも会話があるという感じで、喧嘩になったこともない。ただなんとも変わっている所があって(私も変わった人かもしれないが)、一時期、携帯を彼が変えたのが番号やe-mailが分からなくてどうやって連絡を取ればよいのか彼の住所以外がわからなくなり、しばらく年賀状のやり取りだけで交流してた年が4-5年あった。その後はようやくLINE交換あたりはして連絡は取れるようになったのだが、大体合う頻度はもはや3-4年に1度かもしれない。ただいつであっても会話したら会話がなりたつので、この安定感には驚かされる。

1-3 Z君
彼は大学1年の5月に知り合ったまま、今に至るまで交流が続いている。そもそもこのnoteを執筆した日の前の週に会って飲んでいた。彼は大人しい紳士的な男で、なんとも控えめなタイプで友達ではあったんだけど、まさかこんな長く交流関係が続くとは思わなかった。彼は僕とはまた別の分野の生物系の大学院に進んで博士号を取得したのち、一度企業に就職してから、またアカデミアに戻って来て研究をしている。実際のところ、ここ10年くらいで言えば、XYZ君たちの中で一番交流している。なんというかZ君はとにかく人が嫌がることを言わないし、僕もまた彼に何を言ってはいけないのかが多少は察することができるので、結局無風で無難に定期的に交流して喧嘩もせずにトラブルなく続いているという感じである。Z君は色々なことが人生であって結構苦労されているのだが、それは彼のプライベートの話であり、本稿では書くことは無いが、ただ彼は苦労があった時も、終わってから基本的に話す男で、何かしらこちらを動揺させるような話はしないタイプであった。つまりハッピーエンドというか良くも悪くも次のステージについてから話をするというか。その姿勢はまさしく交流を続けやすいスタイルであり、私としても死ぬまで続けたいと思っているかけがえのない友人である。

実際には他にもいるのだが、それなりにちゃんとまとまっている友人で、特に親友といえるのは上の男性3人であり、長く続くには長く続くだけの理由が共通的にあるなと思う。

  1. 無意識的に相手に何をどこまで話して大丈夫そうか分かる。

  2. 腹を割った相談をしない。そういう重い話は各自で解決してから酒の場で話す。

  3. 片側ではなくお互いで定期的に「そろそろ会うか」みたいな感じで会う。

  4. 別に当分会わなくても問題がない。多分、今から上の3人と10年くらい会わなかったとしても、皆が健康なら連絡すればいつでも会うのを設定するだろうと自信を持てる。

1番から4番までどれも重要なのだけど、今となって分かるのは、その中で特に2番というのはかなり重要ではないかと思う。昔は、「親友なら腹を割って悩みを打ち明けられるはずだ」という考え方を聞かされていたので、それを若い頃はわりと真に受けていたが、男性の場合、多分それは関係維持には難しいのではないかと今は思っている。腹を割ることは「相手を加害する」ことかもしれないと最近は思うに至った。なぜなら重い話をすることは、相手を悩ませ苦しめるからである。そして重い話は基本的には解決することは難しいし、特に友人の力ではどうすることもできない。自分の力でどうすることもできない悩みを言われたら、それは人間は苦しむように出来ている。だからこそ、友人の前で苦しんでいる姿は見せない。それが大事なのだと思っている。
 ちなみに1番は、相手が不快に思うトピックを話さないということで、相手に対して思いやりを持つことと、相手に対してマウンティングみたいなことをしてやろうと決して思わないことである。ただマウンティングをしようと友人に思うのは正直、今となっては全くよく分からない話である。現実にはそういうシーンは見かけたり聞いたりすることはあるが、その場合もしかしたらその関係性は友人ではあっても、親友ではないのだろうと思う。加えて重要な事は、1番2番両方に関係があることだと思うが、とにかく相手に差し出がましいような態度を取らない。相手に対して近傍まで入り込んだようなことは言わない。いくら友人・親友であっても分からないことや色々な事がありこちら側が独善的になってはいけないわけであり、相手を尊重するという気持ちが大変重要に思う。まあ4番は、3番にも立脚しているところがあるが、とにかく自分からも定期的に会おうぜと言い、相手も同様の頻度で言ってくる。こういう相手がいることはたとえ数が少なくともありがたいことではある。

さてこんな感じで、あまり深く考えずに生きてきたが、友人はいるにはいる。ただ私も含めてどこかで死ぬかもしれないわけで、先だった場合はそのクラスの友達はもう戻ってくることはない。そのようなことを最近思うようになり、「中高年以降(ここでは30代以降なのだが)の交友関係・友人関係」とはどうするべきかということを色々と考えるようになった。随分と長い本章であったが(まあ基本的には無料noteなので)、次章では友人をいつくかのパターンにわけて考えたい。

2.友人の分類

この章では友人を分類する。

  1. 親友

  2. 利害関係のない友人

  3. 利害関係のある友人

  4. 異性の友人

  5. 外国人の友人

ここで1番は上で述べた親友であり、これはそう簡単に獲得することはまず困難である。つまり奇跡的にいろんなことが合うので、無意識的に気遣いが出来る上に、さらには相手も同様に気遣いをしてくれる関係である。こういう関係は稀有なものでよくありえるのは、自分側は相手をよく思っていたけど、相手はそうではなかったなどの悲劇である。また自分の側も、実際には親友になりたいと思ってくれた人はいたかもしれないが、自分が関心がなくて踏みにじってしまったことなどもあるかもしれない、しかも無意識的で最初から最後まで気が付かずに。つまり「片思い」では親友になれない。交際相手や結婚相手を見つけることも難しいが、親友を見つけることも難しいし運の要素も大きい。
 2番目はいわゆる「普通の友人」を指す。ここでは近所や学校などで知り合った友人を指していた。従来だと、基本的に利害がない友達というのは男性の場合年をとればとるほど難しくなってきているようにも思える。しかし後で述べるがこの2番目は、SNSやオンラインで作った友達もこれから含まれる。それは今まででは出来なかった、もしくは難しかった交流であり、ここに新しい交流関係をつくれる機会の余地があるように思える。
 3番目は仕事などで知り合った友人を指す。この場合、色々な利害が絡むことがほとんどで、あくまでその仕事をしているから仲良くしている、その地位やステータスがあることが交友関係のベースになっていることが多い。そのために、仕事の部署が変わったり、仕事自体が変わったり、または地位が変わったりするとその場で関係が終わることも多々ある。そういう点では、出会ったときから、いずれは交流が終わる日がくるものだと最初から割り切っている方が心が楽かもしれない。ただこの関係は侮れなくて、利害があったりするので、下手すると2番目の交友関係より、利害が発生している期間は堅い場合もある。あくまで色々なことが関係維持の要因にあるとしても、いずれ終わる関係だとしてもそれなりに重要であり気遣いそのほか色々と大事であり、またこのカテゴリの友人から本当に救われることもありえることには留意したい。むしろこのカテゴリであるからこそ、利害も絡むので「腹を割った深刻な話がなされる」ことも機会としてありえるのである。
 4番目は実はそれだけでnoteを一つ書けるくらいの大きな問題のトピックであるが、異性の友人は同性の友人とはカテゴリが異なる。まして、私のような既婚者や異性パートナーがいる場合は、異性の友人は同性の友人とは異なる接し方をする必要がある。現在では、ジェンダーレスとかジェンダーエクイティとか男女は基本的に平等に接するという考え方はあるが、配偶者への配慮は友人関係を優越するので、その時点で異性と仲良くするというのは配偶者を気にした上での範囲の関係にとどめなければならない。ちなみに、異性の友人については(1) 性的関心が本当に無い友人 (2) 実は性的関心がある友人の二種類に分かれうる。(1)ならばそれなりに問題がないとは思うが、それでも自分が無くても相手にはあるかもしれないこともあり、両方が関心がないという条件がそろわなければならない。実際には(1)は事例としては多くないのではないかと考えている(データは調べていない)。(2)については、片方または両方、とにかくどちらか一人でも性的関心がある場合はそちらのカテゴリになる。片方が性的関心を持っている場合、どうしても関係性はどこかでいびつになる。特に物理的に会ったりすることもある関係だと後々、良くないトラブルが起きるのではないかと懸念する。そして両方が性的関心がある場合は、これはパートナーがいないならもはや友人ではなく恋人として関係性を築いた方がよいのではないかという気がしてしまうが、色々な都合があるならばそれはそれで双方にパートナーがいない限りは問題はないように思える。そしてもしパートナーがいる場合は、これはもうアウトというか、普通に浮気や不倫が実行される直前の状態ではないかという気もしており、一体どうやって自制していくのかあまり想像もできず、多分、直接的に会わずにオンライン上でやり取りをするだけであれば事件にはなりにくいと思うが、会ったりすると多分、パートナーにバレれば傷つき・悲しませることになる可能性が高まるであろう。離婚やそれに関連する裁判になることもありえる。上に書いたように配偶者(パートナー)を優越する友人関係は基本的にはないというルールは堅持するべきである。本稿は普通の長続きをする友人の探求の話をしているので、あまり異性的な友人の話は多岐にわたる問題や考えるべきことがあるので話としてはここでとどめる。
 5番目は外国人の友人であるがイメージとしては、外国にいる人種や言葉も違う友人の事を指す。この場合、基本的には相手の文化とこちらの文化もかなり違うので、お互いがまさしく相手を尊重し合い、気遣いをもたねばならないということは確かではある。ただ、あまり近傍で緊密になるということはそう多くもないように思え、その場合は、定期的なゆるい交流を文通的なテキストのやりとりや、たまに電話したり話をするくらいにしておくと長く続くように思う。むしろそれなりに遠い関係なところもあり、かえって余計な事を言わない限りは良い関係が続くかもしれない。ただ例えばロシア・ウクライナ戦争みたいな国家間の争いが起きると、いきなりロシア人と友人だった人と会話が一切成り立たなくなって関係が終わったというような残念なことはありえる。ただそれは致し方ないように思えるし、そういう事がある際には争いが起きている間はあまりコミュニケーションをとらないように努めることも必要かもしれない。

以上、友人の分類を行ったが、重要なのはあまり上で説明を書かなかった2番であり、次が短期的ではあるかもしれないが侮れない3番である。そして危ういのはそれなりに説明したように4番である。5番はそもそも外国人の友人がいない人も多いので、本稿ではこれ以降は扱わない。
 次章では中高年(ここでは30代以降)の男性はどういう友人を作ればいいのかという話に入っていく。つまり主に2番と3番になる。

3.友人を獲得する新しい時代へ

前章の2番である「利害のない普通の友達」は今の時代はとても作りやすくなっている。SNSが発達したことにより、性格や色々な事が合う人たちがオンライン上で会話することが容易になり、仲良くすることが簡単になったのである。しかもオンラインであれば現実の世界では遠方にいたり、様々な立場が違ったりすることがあっても、そのあたりの詳細は全然名乗らなかったり気にしないようにすれば長く仲良くすることが期待できる。まさしく、素晴らしい時代が到来したものだと私は本当に思っている。
 そうなるとオンラインで友達を作ることが、中高年以降の男性が疎外や孤独から逃れる重大な解の一つであるということで、それを実現していくにあたり、私が考える気を付けるべきことを挙げていきたいと思う。

オンラインで人々と仲良くする時代
  1. 相手に決して深く立ち入らない。腹を割ろうとしてはならない。腹を割っていいのは実は親友に対してですらなく、利害関係があってそれが終わるまで切るに切ることもできない関係のビジネス友人だけである。そういう点では、相手に深く入ろうとすることは、それで関係が終わる覚悟をしての行為であるということを深く理解する必要がある。

  2. Xなどはいろんな人の思考が垂れ流されているわけであり、仲良くなったと思われる人でもどの考え方も合うなんてことは普通はありえない。合う話だけするようにして、合わない話は素通りする姿勢を見につける。

  3. オンラインだけの友達にとどめるタイプと、実際に会ったりもするタイプの二種類に分けるのが良い。言うまでもなく、関係が終わる可能性が高まるのは後者である。また異性のオンライン友達とは特にパートナーが既にいるならば猶更会うべきではない。特に1:1で。

  4. オンラインで知り合って気が合うとは言え、もちろん相手の素性は基本的には分からないことはある。しかし残念なことに属性的に決して相容れない立場であったり(相手が犯罪者や反社所属だったり)、または当初は合うと思っていたが、相手が自分に対して加害的な姿勢を持っていることが分かった場合は、一言は言った方がいいかもしれないが、ちゃんとブロック機能を使用して縁を切るようにすることは大事である。

4番からの話になるが、オンラインの友情関係だと、ちょっとした言葉や色々な行き違いで、ブロック(≒絶縁)が発生することはある。ただ言い換えると、相手が自分に対して加害的であったりまずい人物だと分かれば容易に遮断することも可能ということになる。そのあたりが現実の各段階のライフステージや趣味などの場で知り合う友人とは異なる。基本的には、オンラインの友人というのは関係がそう深くなることは稀であり、ましてや親友まで高まる人はそうは多くないとも思える。ただし気が合いそうな人候補が現実よりはるかに出会いやすい性質があるために、多数の人達と容易に交流できる。そういうところからうまく特に相性が良い人たちをフォーカスして仲良くしていくと良いのではないかと思う。重要な事としては1番3番で触れているが関係を現状より近づけようとするのは、絶交・絶縁の確率がかなり高まるという法則があるのは留意したい。また3番で述べたように、オンラインは異性の友達を作るには良さそうだが、パートナーがいるならば現実の場で会うのは控えるべきに思う。そもそもリアルで会って男女で何をするというのかと。配偶者・パートナーがそれを知ったらどういう事を考えるのかについての想像力は重要である。そして2番について、現実の方で出会う友人より、相容れないような話や考え方が出てくることは多い。オンラインで友達を作る時代に重要なのは寛容さである。ただ4番にあるように危険な人物にはブロックするという姿勢も同時に持っていることも必要で、どちらについてもそれなりに考えて判断できるようになっていく必要がある。

4. 終わりに

友人を考える上で私が基本的に考えるのは、長年にわたりうまく行ってる親友との関係性がある種の対照(実験で言うコントロール)である。最初の方で挙げた親友たちと関係が維持できているのは最も大きい点として「相手に近づき過ぎない」ことが結果として長くつづいている理由であると思う。オンラインで友人が出来てもとにかく近づき過ぎない、差し出がましい事をしない、余計な事を言わないことが重要であると思う。人によっては「友人には言いたいことを言っても良い」と思っている人もいるかもしれないが、私は友人にこそ「言いたいことがあまり言えない」ところがあるのではないかと考えている。ただ本文の途中でも述べたが「利害関係がある友人」の場合は、とにかく利害の関係性が終わるまで嫌でも関係を良好に維持しなければならなかったりすることもあるので、場合によってはむしろ重く苦しい話について相談できたりすることもあるかもしれないと今は考えている。なのでいずれは終わりうる短い関係であっても、利害関係のある友人、すなわちビジネス友人も決して軽視できる存在ではないということも留意である。ただ老後などで孤独になりたくないとかそういうのではビジネス友人はまったく貢献にはならないように思う。節度と礼儀と、そして距離を保った利害のない友人たちを複数得て、その人たちと楽しい余生が迎えられるような体制を作るように私も含む、各人が努力をしていくことが良い事だと思う。もちろん友人がいらないという人もいるかもしれず、それはそれで尊重されるし、私としてはそれはそれで良いと思う。ただ私は寂しがり屋なので、友だちは欲しいなといい年して思っている人間である。ただそれによって何かしらのトラブルや大きな被害に遭ったり、また配偶者をはじめとする家族にダメージがあったりすることは避けたい。友情関係は大変重要であるが、最も重要なのは家族であるというのも原則である。
  ちなみに本稿は最初から述べている通り、男性向けである。もちろん女性読者も歓迎であり、男性はそういうものなのかなとか考えてもらい、自分達との差異などを知ってもらい男性への理解などを深めてもらえるとありがたいところがある。女性と比べて男性は得てして新しい友達を獲得するのが苦手なわりに、古い友達が身分や収入などに大きな差が出来ても関係が続きやすいという性質がある。男女は色々と考え方に異なるところがあり、女性向けの友人論と、男性向けの友人論はどうしても異なるところが出来てしまうものとは考えている。ただ異性友人の話についてはそこそこ共通的な問題などには触れている。
 本稿はここまでであり、お礼の項を見たい人は200円で課金するか、マガジン購読をしていただければと思う。

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