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かくて救世への道を往く(4)

迷える子羊、考える


 大騒ぎになり始めたコーヒーショップを後にした四人は、立ち並ぶビルの屋上や住宅群の屋根を誰にも気付かれることなく飛び渡っていく。絶妙のバランス感覚と凄まじい跳躍力を持つ瑤子は基本的に身一つで、綾と久瀬はみつきの手を借りて。

 その最中、綾は昨夜の事件について一通り久瀬に説明しつつ補足をする形で、

「超能力研究の歴史は、二十世紀初頭、二度にわたる世界大戦の頃に始まったの」

 超能力に関する裏の歴史を語り始めた。
 しばらくは荒事が続くと予想できるし、一瞬の判断が状況を左右することもあるだろう。そこで久瀬が非協力的な態度を取れば、足手まといどころか全員の命が危険に晒される状況にも陥りかねない。信用を得るためのやむを得ない判断だった。

「当時はどの国家も新兵器の研究と開発に血道を上げていたわ。毒ガス、戦車、戦闘機、核兵器……近代兵器の多くが産声を上げる陰で、およそ軍事転用など望めそうもない分野にも莫大な予算が投入されていた。そこには当時ですら眉唾物だった魔術や悪魔召還、霊能力などのオカルトも含まれていたの」

 こうした超常現象の根源として指摘されたのが、人体でも飛び抜けて複雑、かつ特異な構造を持つ脳の働きだった。すでに第一次大戦の中頃には、人間は本来誰でもESPやサイコキネシスを発現しうる素養を有していることが確実視されていたという。
 そして、潜在能力を引き出すひとつのきっかけが、人間を生死ぎりぎりの極限状態に追い込むことだった。環境へ本能的に対応しようして、潜在能力が開花する可能性が飛躍的に高まるのだという。

「この研究に一番熱心だったのが、第三帝国の独裁者なの。実用化に先鞭をつけた大スポンサーよ」
「ヒトラーか? そういや、オカルトに熱心だったって話は聞いたことあるな」
「博識なのね。だったら話は早いわ。ほら、強制収容所の大虐殺、知っているわよね?」

 久瀬が眉を顰める。

「冗談だろ……。ナチのホロコーストが超能力研究のためだったってのか」
「それが全てとは言っていないわ。選民思想に基づく被差別民族の絶滅、戦時下で必要な奴隷的労働力の確保、毒ガスの人体実験。重なり合ったいくつもの理由の中に、超能力研究のサンプルを確保するためのふるいという側面もあった、ということ」

 ふいに久瀬は、綾の容姿が日本人離れしていることに思いが至る。

「……まさか、君は」
「ずいぶん察しが良いのね。ええ、私の曾祖父母は収容所の生き残りだそうよ」

 だが、この研究は世界大戦中には実用化されず、戦勝国である米、英、露らが研究データを略取。やがて時代は世界を二分する冷戦へ突入していく。

「一つでも多くのサンプルを欲した各国政府は、研究データを一部故意に流出させたの。世界中で研究機関が乱立、極過型の能力者も確認されて飛躍的に研究が進んだ。私のようなESP能力者の諜報員や、みつきと同じサイコキネシスを使う兵士が誕生しようとしていたのね。これが六十年代初頭のこと」

 ところが、研究はここで一つの終焉を迎える。
 種の存続に関わるほどの未曾有の危機──核戦争の恐怖を背景に、存在を隠蔽しきれないほど多数の超能力者が民間から現れるようになったためだ。

「特に七十年代の前半。超能力ブームが起きてスプーン曲げだ透視だって世界中が熱狂していたけれど、これは時の為政者にとって悪夢のような誤算だったのよ。政治家の嘘を見抜くESP能力者や、完全武装の兵士と素手で渡り合うサイコキネシス能力者が政府の管理外から生まれる可能性が出てきたのだから」

 そして、超能力研究は大きな方針転換を迫られた。従来とは正反対、いかにして民間から超能力者が発現するのを食い止めるか、という風に。
 具体的に取られた方策は、大きく分けて二つある。一つは潜在能力の発現要因を可能な限り解消すること。もう一つはマスメディアを使った情報操作。

「具体例を挙げると、前者は東西で協調しての世界的な軍縮の断行。後者は超能力をトリック扱いしたテレビの暴露番組ね。稚拙なほどシンプルな方法だけれど、効果は絶大だったわ。八十年代後半には誰も超能力の可能性に見向きもしなくなって、政府から基本的に放置されていた低レベルのESP能力者……霊媒師や霊能力者にまで疑惑の目が向いた。一時期は超能力者の特集記事が一般紙の三面記事を飾ったことすらあったのにね」
「……俺が子供だった頃でさえ、本気で信じている奴は一人もいなかったよ」
「そうでしょうね。たまに地震などの大災害が影響して能力に目覚める、あるいは超常現象を体感する人はどうしても出てくるけれど、今では政府機関が介入するまでもなくゴシップ扱いだもの」
「そう、か。ひょっとして、君らが昨夜会ったっていう松永とか言う奴も……」
「数人にリンチされた程度でいきなり目覚めたとは考え難いから、首都圏大震災の被災者ではないかしら。そういう調査は、あなたたち内調の方が得意だと思うけれど」

 それでも各国政府は超能力をうまく利用したいという欲を捨てきれず、研究は細々と継続されたのだが、一方、東西冷戦が終結して一応の平和が保たれた世の中では、非人道的な人体実験を積み重ねてきた負のデータを持て余す格好になってしまった。

「人間の頭を割って電極を差し込み、メスで肉体を切り刻んで神経を薬漬けにしてきた記録ですからね。ごく一部でも明らかになれば、どれほど多くの政府高官や政治家が首を吊るか知れないわ」

 そうして、超能力研究は先進諸国共同となりながらも統合後は縮小を繰り返していき、最終的には一極集中の形を取って、日本に研究所が移転される。

「ほら、八十年代の日本は貿易摩擦が原因で他の先進諸国から目の敵にされていたでしょう。それで、拒み切れずに押し付けられた格好らしいの」
「確かに、PKOだ何だのって国際貢献が叫ばれ始めた頃だが……。気持ち悪いくらい符合するな」
「符合して当然でしょう。すべて事実なのだから」
「…………」
「あとは、九十年代から二十一世紀へ……もう私たちの世代ね。精神サナトリウムに偽装された研究所で私が少女時代を過ごしている間に捨て子のみつきが保護されて、地方の陸上大会で百メートル走一秒半という記録を叩き出した瑤子が拉致された。まあ、研究所での暮らしに不自由はなかったけれど」
「それは教練役やってたあんただけでしょ、私や瑤子にとっては牢屋と何も変わんなかったんだから」

 いきなりみつきが話に割って入る。

「ついでに、ちょっと資金繰りが厳しくなったからって私のこと殺そうとまでするしさ。あーもう、思い出しただけでムカムカしてきた」
「殺す? 君を?」

 ここで、四人の先頭にいた瑤子が振り返る。

「構造不況のせいですよ。震災前まで大きな社会問題だったあれです。酷い話ですけど」

 瑤子もみつきと同じに、嫌悪感を隠そうとしない。

「その頃、研究所の運営資金を捻出していたのは日本政府だったそうです。でも、不況で税収は落ち込むし、お役所の帳簿もチェックが厳しくなる一方で、秘密裏に回せるお金が激減したらしくて」
「予算の問題で日向を殺す? 何か辻褄が……」
「センパイを中心に、超能力の強化措置プロジェクトが動いてたんです。これが恐ろしい金食い虫だったとか。でも、お金がないから死ねって言われて納得できる訳ありません。だからあたしたち、センパイと協力して研究所から逃げ出したんです」
「ちょ、ちょっと待て」

 久瀬は、しきりに首を振る。

「ここまでの話が本当なら……いや、俺が特務分室で見た資料が何よりの証拠とは思うが、でも、でもな、とても信じられん。各国政府は半世紀以上も人権無視の国家犯罪を続けていたことになるんだぞ。近代民主国家でそんな真似を続けられやしない」

 これを聞いた綾が、片眉を持ち上げて腕を組む。

「どうして、そう言い切れるの?」
「あのな、俺は官僚だぞ。君らが仇のように言う政府や体制側の人間なんだ。……本当にそういう研究を軍事目的で進めた政権があったとしてもな、いずれは選挙だ何だで別の政権が生まれるし、役人だって世代交代する。情報の隠匿には限界があるんだよ。旧東ドイツや旧ソ連がいい例だろう。政治家や役人も人の子なんだからな。人権無視の非人道的な真似を黙々と続けられやしない。絶対にだ」

 ここで、綾がふと、微笑んだ。
 久瀬にはそれが、ひどく場違いに感じられた。

「……何がおかしいんだ」
「あなた、意外といい人なのね。見直したわ」
「は……?」
「でもね、久瀬さん。人権なんて所詮、今の人間社会が保証している制度の一つに過ぎないの。それはあくまで、社会を構成する普通の人間に適用されるもの。人間の領域を越える力を手にした人間は、もう人間ではない。少なくとも私たちはそう扱われてきたし、これからも変わらないわ」
「…………」
「だいいち、義憤にかられた誰かが過去にいたとしても、その末路くらい想像がつくのではなくて?」

 今のあなたが証拠だと言わんばかりに、綾は久瀬を睨めつける。

「……なら、これが最後の質問だ」

 久瀬は気持ちを切り替える。
 過去についてはともかく、問題なのは現在だから。

「日本政府は……内調と山形参事官は、どうして君たちを保護してるんだ。政府が研究所の資金を出していたというのなら、それを壊滅させて逃げ出した君たちが敵になってもおかしくないだろう」
「えと、簡単に言うと、一応は日本の国益にかなってるから……とか、聞いたことがありますけど」

 こう言ったのはみつきだ。

「私たちが逃げ出す時、不可抗力で研究所が壊滅しちゃって、超能力研究に関するデータやノウハウが全部オシャカになったんです。そのせいで、私たちの存在自体にすごい価値が出てきたんだって。うちのお父さんが言うには……あ、私の養父母って、山形参事官の古い友人なんです。えーと……日本って名目上は他の国に攻め込める軍隊とか持ってないし、経済力だけで国際社会での発言力を発揮するのは難しいんでしょ? だから、私たちが日本政府の管理下にあるって思わせるだけでも意味があるんだって」
「核ミサイルみたいな話だな、おい……」

 呆れつつも、久瀬は理解できる気がしていた。
 潜在能力としての超能力が本来誰でも持っているほど普遍的なものなら、その開発ノウハウはどの国でも欲しがるだろう。まして先進諸国にテロ拡散の恐怖が蔓延している昨今なら尚更だ。超能力を持った兵士はテロリストやゲリラを殲滅しうる無敵のエリート・フォースたりうるのではないか。

「……待てよ。となると、君らを日本政府が独占するのは、世界中を敵に回すのと同義にならないか?」
「いや、そんなことないですよ。えーと、その」

 答えようと必死で言葉を選んでいるみつきを見て、瑤子が助け船を出す。

「山形さんが言うには、世界中の情報機関で思惑が違うから、どこも下手に動けないらしいです。三竦みの状態です。あたしたちを取り戻したいところもあれば、研究所と一緒に消滅して欲しかったところもあるし、日本政府の影響下に入ることを望んだところも」
「君らをどう扱うべきか、結論が出ていない?」
「そうです。だから今は、日本政府と内調の影響下にあることを渋々認めてるんだって。あたしたちが所属不明のままあちこち転々とするうち、うっかりテロリストやカルト集団に取り込まれるよりはずっとマシってことらしいですよ」

 これを聞いた久瀬は、思わず顔をしかめる。

「もちろん、あたしたちはそんなことしませんよ。でも、胡散臭い人たちがあたしたちを何度か勧誘してきたのは事実なんです。どこから情報が漏れたのか知りませんけど」
「……俺みたいな馬鹿が、過去にもいたのかな」

 久瀬の自嘲である。

「つまり、そういう連中の仕業と見せかけられれば、俺を殺した程度のことはどうとでも処理できる訳か。ついでに日本政府に無能のレッテルを貼り付けられれば、三竦みの状態からも脱せられて、君らを好きにできる可能性も出てくる……」

 久瀬が自分なりに噛み砕いた結論を導くと、綾が小さく拍手をしながら微笑みかけた。

「ご名答。本当にあなた、聡明な人なのね」

 しかし、褒められても全く喜べない。
 要するに、久瀬なら殺しやすいし殺してもいい、という判断をしている誰かがどこかに居るということなのだ。

「……何にせよ、冗談じゃない話だ」

 苦々しげにそう呟くのが精一杯である。

「んと、とにかく、そういうことです。本当は好き勝手に話しちゃダメなんですけど、詳しいことは山形さんが帰ってきたら聞いてみて下さい」

 こう言ったみつきに、久瀬は頷いてみせた。

「了解だ。ひとまずは理解できたよ、有り難う」

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本作は2003年に企画・発案、2004年に小説誌で発表、2006年にノベルスとして商業出版されたものです。 2011年に発生した東日本大震災とは何ら関係がなく、登場人物の発言や行動は00年代初旬の社会的背景を強く反映しています。特に作品のバックボーンとなる中央官庁の描写については、当時取材した内容や入手できた資料に依るところが大きく、現在ではフィクションとしても許容が難しい描写も散見されます。ご注意ください。 .

日向みつきは18歳の予備校生。大きなお節介と小さな迷惑、そして世界規模の陰謀を抱えて、彼女は今夜も東京の空を飛ぶ!

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