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第2章


2-1:それが俺の正体なんだってさ

 俺はその時、和服を着流しで粋に着こなしつつ、ダブルクラッチ必須の旧型自動車をクーペからダンプまで自在に乗り回し、右手には旧軍の三八式小銃、左手には形式不明の大口径拳銃を携えて、何とも表現しがたい醜悪な姿をしたバケモノどもの群れを片っ端から撃ち殺しまくっていた。
 何だそりゃ意味わからん滅茶苦茶じゃねぇか、と誰しも突っ込みを入れたくなるだろうけど実際に無茶苦茶で、目につく人たちの生活様式や文化レベルも、江戸時代、明治、大正、戦前戦後が入り乱れている。
 そんな文字通りの混沌の中、俺は八面六臂の大活躍を続ける。

 和服のままで舞うように身体をさばいて格闘戦。
 様々な種類の銃を戦況に合わせて自在に使いこなすノウハウ。
 あらゆる自動車をほぼ完璧に乗りこなす運転技術。
 俺はそれら全部を完全に習得していて、縦横に駆使していた。

 ――ああ、こりゃ、夢だ。絶対に。

 少々奇抜な夢でも朝まで気付かず浸り込んでしまうのが常だけど、今回はさすがに夢だと気が付いた。夢の中の自分と、夢を認識した自分との間に意識の剥離が起き、観客席から超リアルな3D映画を見ているような感じになっていく。
 ま、遠からずこうなるだろうとは思ってたよ。現実で何か困難にぶち当たると、それより数段厳しい状況を夢の中でシミュレーションして劇的に成長する、ってのがお決まりののパターンだしな。翌朝の俺はきっと、あんな目に遭っても物ともしないスキルを身につけてるんだろう。

 あんな目、ってのは、つまり。
 十八歳の誕生日に起きた事件のことだ。

 羽織袴で強制的に参加させられた結婚式。爆破される会場。襲いかかってくる米軍の特殊部隊。そこから逃げ出すため大立ち回りして、無免許でロードスターを運転してカーチェイス。挙げ句の果てには狙撃銃一丁でM1エイブラムス戦車三輛と対決するハメになった、とんでもない夜のこと。
 いやはや、冷静に考えると呆れるしかないな。無茶苦茶な混沌っぷりは今見てる夢と大差ねぇじゃん。実は徹頭徹尾、ぜーんぶ夢だったんじゃないのか?

「かっこいいなぁ、お義父さんは強いなぁ」

 激闘の末に強敵を斃し、機関部が壊れて使い物にならなくなった旧式の銃を投げ捨てていた俺の背後から、誰かが声をかけてきた。
 振り向くと、黄色い帽子に白いシャツ、黒い半ズボンとサスペンダー。いかにも昭和の小学生という出で立ちの子供が、目をきらきらさせながら俺を見つめている。
 その子供の顔に、どことなく、父さんの面影があった。

「僕もいつか、お義父さんと一緒に戦うよ、命がけで」
「ダメだ。お前はお前の人生を歩め。そして、人間らしい幸せを掴むんだ。いいか……」
「わかってるよ、いつものアレでしょ? もう聞き飽きたよ」
「聞き飽きたとは何だ。これはな、百年経とうが千年経とうが……」
「はいはい。お義父さんの言う通りにする。でも、お義父さんの手助けをするくらいならいいでしょ? たとえば、お義父さんのための最高の武器を作る、とか」
「……勝手にしろ。全く、お前はもう少し親の言うことを素直に聞け」

 夢の中の俺は、苦笑しつつも嬉しそうに、義理の息子の頭を撫でる。
 手を繋いで歩き出した父子の前に、夢でしか逢えない理想のひとがいる。腰まで伸ばした艶やかな黒髪、すらりと伸びた長い手足、豊かな胸元、抜群のプロポーション。
 そのひとは腕の中に、俺とバケモノの戦闘に巻き込まれて実の両親を亡くしてしまった乳飲み子を抱いていた。
 女の子。そう、俺の母さんにどことなく似た顔立ちの。
 俺はその乳飲み子の頬を撫でようと、左手を伸ばして近寄っていき――。




「……あれ」

 天井に向かって伸ばした左手がスカッと空を切り、目が覚める。
 俺の家、リビング、ソファの上。部屋の電気はつきっぱなし。首を巡らせて壁掛け時計を観ると、時刻は午前二時過ぎ。どうやらテレビでも観ながらうたた寝していたらしい。

「何だよ、ほんとに全部夢だったのか……」

 大あくびを一つ。自分の部屋に戻って寝直そうと、身体を起こす。
 起きられない。
 身体の右半分がやたらと重い。寝相が悪かったのか、麻痺したように感覚があやふや。
 自分の身体を確かめる。胸元から脚の方まで薄手のブランケットで覆われていて、その下はTシャツにパンツ一丁。いつも寝るときはこの格好だから、おかしいことは何もない。

 ただ、ブランケットの下に、何とも言えない感触。
 ひょっとして、これ――いや、間違いない。

 俺じゃない誰かの、人肌の感触。

 青ざめつつ、慌ててブランケットをはぎ取る。

「ぅ、ん……むにゅ……」

 下半身はショーツ一枚、上半身はノーブラでどう見てもオーバーサイズな俺のTシャツだけを来た黒髪ロングの十四歳。下手すると素っ裸よりも三倍くらいエロい格好で俺の下半身に両脚を絡ませ、まだ小さな胸の谷間に俺の右腕を抱きかかえて――。

「ぬわあぁぁああぁぁぁああぁぁぁああぁぁぁあぁああぁああああぁっ?!!」

 思わず大声で叫んでしまった。驚いた結女の身体がビクッと震えて目を覚ますと、胸元から撫で上げてくるように視線を動かして俺の顔を見つめる。

「ああ、起きたのか、沖継……。おはよう……いや、まだ夜中か……」

 呆然としている俺の顔を見つめつつ、ほわ、と控えめなあくびをしながら仔猫のように目元を擦る。やめてくれそういう可愛い仕草をこのゼロ距離で見せつけんな!! まさかとは思うけど俺たちヤることヤっちゃった後じゃないよな? ないよな?!
 俺は寝ぼけていた脳味噌を叩き起こし、戦車と戦ってた時と負けじ劣らじの領域まで思考を加速させる。思い出せ、思い出せ、思い出せ、ここで眠りこけるまで何があった? ええとええと、戦車を潰して、気力を使い果たして倒れそうになって、自衛隊の人が駆けつけてきて、それから、それから――うああ、記憶があやふやだ。疲労からくる猛烈な眠気に逆らえなくてときどき意識を失ってたから。
 そ、そうだ、自衛隊の人たちが家まで送り届けてくれたんだ。ヘリと軽装甲車を乗り継いで、気絶しっぱなしのコノを家に送り届けてくれるって言うんでお任せして、結女に肩を借りながら自宅に戻ってきた。もう二階の自室へ上がる元気もなく、リビングのソファに倒れ込んでそのまま爆睡。
 何もしてない、できるはずがない。大丈夫。落ち着け、落ち着くんだッ。

「すまなかった、沖継。ずいぶん勝手なことをして……」
「? 何の話だよ」
「お前の身体、汗や埃でずいぶん汚れていたから……。寝ている間に蒸しタオルで拭かせてもらった。あと、お前の部屋にも勝手に入ってしまった。替えの下着を探しに」

 そういや今穿いてるパンツって、俺が昨日穿いてたヤツと違う――なななななっ何だとぉー?! おおおおまおまおまっ、ぜぜぜ全部見たの?! 見ちゃったの?!!!

「そんな顔をしないでくれ……。それ以上のことは、何もしてないから……」

 きゅっ。
 結女が、俺の腕を抱く手に、少しだけ力を込める。
 そして、頬を桜色に染めて、柔らかく微笑む。

「あ、あのな、その……沖継、さっきは……すまない。つい、その……自分の気持ちが抑えられなくて、取り乱して、女にあるまじきみっともない真似を……。頼む、嫌いにならないでくれ……。もう、焦らなくてもいいんだ。これからはずっと一緒なんだから……。お前がその気になる時まで、私は、ずっと待ってるから……」

 ギャーいやーやめてぇー!! 恥じらいながら可愛らしいこと言わないでぇー!! 男の欲望を堰き止めている理性のダムがうっかり決壊してしまうぅー!! それなら目の色変えて強引に襲われそうになってた方がまだマシだよぉー!!

「あ、そうだ。夜食も用意しているぞ。昨夜はお前も私も食事抜きで大立ち回りしていたからな。お腹、空いてるだろう?」

 結女の視線を追ってソファの隣のテーブルを見る。ラップのかけられた皿がある。中身はおにぎりとウインナーと卵焼き。男心を鷲掴みする夜食の王様。

「味噌汁もあるんだ。温め直してくる」

 結女が身体を起こす。でも、俺の身体に直接触れていた手や足を離しがたいのか、いかにも名残惜しそうに躊躇って――。
 唇を噛み締め、目を強く閉じる。
 これじゃダメだ、と自分に言い聞かせたんだろうか。
 それでようやく決心できたのか、勢いよくソファから降りて俺に背を向ける。キッチンの方に歩み去る。長い黒髪がその動きにたなびいている様子を見て、後ろ髪を引かれる思いというのはこれのことなんだろうと変に納得。

 ともあれ、やっと右半身が解放。
 俺もようやくソファの上で身体を起こせた。

 でも、この気持ちは、何だろう。
 理屈抜きの喪失感。
 寂しい。物足りない。

 俺の身体も、結女と触れ合っていたかったんだろうか。

 って何考えてんだ俺はダメダメダメそういうこと冗談でも思っちゃダメ!

「……あいでっ。あだっ」

 頭抱えて暴れてるうちに、うっかりソファから転げ落ちる。テーブルの脚へしたたかに頭をぶつけて、近くに置いてあったらしい電話の子機が顔の上へ振ってきた。

『録音、一件です。五月二十一日、午後十時四十八分』

 子機のボタンをどっか押したらしく、親機と通信を初めてしまった。ピーッという電子音と共に留守録メッセージの再生が始まる。

『沖継がこれを聞く頃には、もう朝なのかしら。おはよう、新婚初夜は楽しかった?』

 うちの母さんじゃないか。初夜とかやめてくれよ状況的にも冗談になってないから。

『こっちにも自衛隊が助けに来てくれてな、さっき、ようやく落ち着いた』

 今度は父さんの声だ。ひとつの携帯を中心に、夫婦で顔を寄せ合って電話してる様子が目に浮かぶようだ。相ッ変わらず仲いいよなあんたら、まさにおしどり夫婦。

『話は聞いたぞ。どうやって戦車なんかやっつけたんだか……。つくづくお前は凄いな、沖継。よく頑張った』

 思わず照れて、口元が緩む。父親に手放しで認めてもらえるって、いくつになっても嬉しいもんだな。一人前の男として認めてもらった気になる。

『今から家に帰っても良かったんだが、それじゃ二人の邪魔をしそうなんでな。私たちは他の親戚と一緒にどこかのホテルにでも転がり込むつもりだ』
『むしろ明日からしばらく旅行に行っちゃおうかなー。グァムとかサイパンとか』
『ははは、グッドアイデアだ母さん。地上の楽園を巡る旅と洒落込もう。という訳で沖継、こっちは気にするな。しばらく二人きりの新婚生活を楽しむといい。……近いうちに父子で一杯やろう。お前が一人前になった記念に』

 ピーッ。時間切れ。再生終了。
 父さん、気持ちはわかるけど。十八歳はまだお酒飲んじゃダメなんです。

「やれやれ……。変な気を回さなくてもいいのに」

 結女も聞いていたらしく、苦笑しながらリビングに戻ってくる。両手には味噌汁の入ったお椀。結女には大きすぎるTシャツは襟周りから白い肩が露出しそうになっている上に、キッチンの明かりを背後から受けて身体のラインが完全に透けてしまっていて――。

 俺は慌てて目を逸らす。
 いくら何でも目の毒すぎる。

 い、いやいや、相手は十四歳、中学生、守備範囲外、興味は無い。必死で自分に言い聞かせる。顔が赤いのも心臓がバクバクしてるのも全部気のせいだ。気のせいなんだッ。

「さ、沖継、食べてくれ。冷めないうちに」
「あ……ああ、じゃあ……」

 固辞する理由もないので、二人で食卓について食べ始める。

「……あれ、この味噌汁、母さんの作り置き?」

 一口啜ってすぐ気付く。うちの母さんはやたら料理上手で、出汁の取り方ひとつにしてもそうそう簡単に真似ができないんだ。台所にある同じ材料を使ったところでこの味に辿り着くはずはない。

「いや、作ったのは私だが、味が似ているのは当然だろう。そもそも富美子に料理を教えたのは私だからな」

 さらっと結女が言う。富美子はうちの母さんの名前。十四歳の中学生が四十路がらみの主婦に料理を教えるなんてどだい無理だろ――普通なら。

 でも、結女が普通じゃないのは、もう、嫌ってほど知ってる。

 危うく忘却しかけていた疑問が、一気に胸の中で膨れあがってきた。
 俺はいったん、箸を置く。

「……なあ結女。お前さ、この日本って国は俺とお前で作った、とか言ってたよな」
「どうした突然。それが何か?」
「あれって、どういう意味なんだ? 喩え話の類だと思うけど……」
「なぜ変に勘ぐる。言葉通りに取ればいい」
「取れるか。無茶言うな」

 俺は苦笑しつつ、手を振って否定。

「結女くらいの歳じゃ知らないかもしれないけどな、日本って世界最古の国家なんだぞ。神話や伝承によると二千六百年以上昔から、現存してる文献を元にした科学的な研究でも千五百年以上昔から、ずっとずっとずーっと途切れることなく続いてんだ。世界の特異点と言っても過言じゃない。そんなもんどうやりゃ俺たちで作れるんだっつーの」

 結女、これに目をぱちくり。ほんとお前は変なとこで驚くよな。

「ああ、そうか……そんなところから説明しなければならないのか。義則や富美子から、沖継は以前のことをかなり思い出していると聞いていたから……。これまでなかなか話が噛み合わなかった理由、やっとわかったぞ」

 結女はかぶりを振って溜息をつき、俺と同じく箸を置く。

「よし、では、沖継は何も知らないという前提で、何もかも一から話そう」

 おお、これは期待。ようやくまともな話が聞けそうだ。

「その前に、沖継。一つ確認しておきたい」
「? 何を」
「自覚できる範囲でいい。お前の政治信条は右か? 左か?」
「……何だそりゃ」
「昔のことを包み隠さず話すと、まれに烈火のごとく怒り出す人がいる。これまでの経験上、右だ左だと即答するハッキリした者ほどその傾向が強い。そういう相手にはある程度話をごまかすと決めている。私は論争したい訳ではないしな」

 うーん、何となく想像つくような、想像したくないような。

「正直、自分が右か左かなんて意識したこともないよ。多分ノンポリ」
「そうか、では、包み隠さず何もかも」
「あ、でもその、俺は今後もノンポリでいたいので、できれば当たり障りのないよう危ないところは適度にぼかして。話が意味不明になんない程度に」
「……面倒臭いオーダーだな。仕方ない、なるべく配慮しよう」

 助かる。世の中には知らなくていいことがあるもんだしな、うん。

「まず、私たち自身のことについてだ。伊弉諾と伊弉冉は知っているか」
「日本神話の神様か? 日本書紀とか、古事記とか」
「そう。日本列島を作り、天照大神をはじめ自然と風土を司る神々を産んだ親でもある」
「ま、知ってるけど。日本史の授業でもさわりだけ習ったしな。で?」
「つまり、それが私たちだ」

 俺、思わず鼻で笑っちゃう。

「じゃあ何か。俺とお前が伊弉諾と伊弉冉の生まれ変わりだとでも?」
「生まれ変わったことなど一度もない。私たちはおよそ三千年、ずっと生きてる」
「…………」

 いや、ないわ。いくら何でも。

「もちろん、伊弉諾と伊弉冉の伝説がそのまま、昔の私たちを正確に伝承している訳ではないぞ。私の小さな母胎で日本列島を産めるはずもないからな。民族の祖として奉られて神様のように扱われた末、神話ではああいう位置に収まっただけだ」
「まあ、神話や伝説なんて、針小棒大に誇張されてるもんだろうけど……」
「昔はまだ民草も未熟だったのでな。法を整えて公明正大な統治に力を注ぐより、神という偶像に依拠した絶対的な権威を大袈裟に示した方が、何かとやりやすかったんだ。どうだ、思い出してきたか?」

 俺、あまりに呆れてしまい、黙って食事を再開。

「何だその顔は。信じていないのか」

 当たり前だろそんなもん、という意思を目に込めつつ、口の中の食べ物を呑み下す。

「百歩譲って、伊弉諾と伊弉冉にモデルが実在したとこまでは信じてやるよ。けどな、ただの人間が三千年も生きていられるかっつーの。どんなに頑張ってもせいぜい百年程度で死ぬっつーの。医学の発達してなかった古代ならなおさら……」
「沖継。お前、風邪をひいたことはあるか」

 俺の話を遮るようにして、突然訊かれる。

「何だよ。いくら俺でも人の子だぞ。風邪くらいひくよ」
「いいや。遠足に行く日の朝に風邪っぽくて熱があったとしても、家族で映画に行く日曜日に体調が悪かったとしても、ふんぬと気合いを入れるだけで、お前は簡単に病魔を退けられたはずだ」
「うーん、確かにそんな感じだったけどな。体力には自信あるし」
「体力は微塵も関係ない。アレルギー、流行病、食中毒。私とお前はそういうものと全く縁がない。毒ガスや細菌兵器ですら私たちの身体はことごとく無害化してしまう。病気や中毒の類では決して死なないようにできているんだ」
「んな、アホな……」

 いや、でも待てよ。
 心当たりがないわけじゃない。
 たとえば、インフルエンザの流行で学級閉鎖になった時でも、俺だけいつも元気だった。保健所から予防接種の案内が郵送されてくると「沖継には必要ないのにね」と父さん母さんが呟いていた記憶がある。それにあの黒ずくめどもだ。屋内で挟撃を仕掛けてきたくせに、催涙ガスの類を使おうともしなかったっけ。

「一種の特異体質……? でも、それだけで何千年も生きられるはずは……」
「私たちは三つ、特別な力を持っている」

 結女が俺の表情を見ながら、指を三本立ててみせて。

「まずひとつめは、さっき言った通り、病気の類では決して死なないこと。そしてふたつめは、自分で自分の年齢を決められること」
「……え」
「年齢をプラスしていくのは人並みに時間が必要だがな。栄養を摂取しながら細胞を正常に分裂させて体組織を増やすか、あるいは、少しずつ老化で衰えていくのを待たなければならないから。しかし逆に……」
「老化を止める……現状維持は、簡単にできるってのか」
「若返ることもな。新陳代謝しながら余計な細胞を切り捨てるだけだから」
「いや、ははは。無茶苦茶な。んなことできるわけない」
「論より証拠だ。沖継、私の言う通りにしてみろ。目を閉じて、自分の心の中を覗き込むようにイメージし、自分の年齢を変えようと考えながら……」

 結女の話を聞きながら、半信半疑、いや、ほぼ完全に疑いつつも、念のために言われた通りにしてみたんだが――。

 度肝を抜かれた。

 俺の中に、そういうシステムがちゃんとある。

 地球上に存在するありとあらゆる毒素、有害な化学物質、ウイルス、病原菌。そうしたものを徹底的に排除して健康を保つための抗体管理モニター。そして、自分の肉体年齢を操作する一種のインターフェイス。それが瞼の裏に映る――いや、目で見ているわけじゃなく、脳で直接理解していると言った方が正しいのか。それ故に、これが幻の類じゃなく、実行力を持った活きたシステムだと直感的に理解できる。
 いやはや、よく今まで気付かなかったもんだ。やろうと思えば今すぐ、あっという間に幼児の頃まで身体を縮められそうだ。

「待て沖継、実際に若返るな。もし三歳児にでもなろうものなら、今のお前の姿に戻るまで十五年かかるんだぞ。いざという時のために取っておけ」

 結女のその言葉に、俺はシステムを閉じて目を開ける。

「いざという時……?」
「うまく使えば、大怪我を負ってもチャラにできるんだ。さっきも言ったろう、若返る時は新陳代謝しながら細胞を切り捨てると。仮に片腕を切り落とされても、失った細胞は全身の数割に過ぎない。なら、体重が数割少ない状態で五体満足だった年齢まで若返れば、おおむね組織が再生できるという理屈だ。もちろん限度はあるがな」

 なんとまあ、健康と長寿を維持するって意味じゃほぼ死角がないのか。

「……私は本来、二十代半ばくらいの姿を維持していたんだが」

 結女が急に、恥ずかしそうに笑い出した。

「何年か前、ちょっとしたアクシデントで顔に傷を負った。女として魅力に乏しい未熟な身体でお前と再会するか、醜い傷がついた顔で再会するか、選択を迫られて……」

 結女の指が、右目から右頬を伝うようになぞっていく。
 もしそれが傷の記憶だとしたら大きすぎる。女の子には酷だろう。

「つまらない女心だ。笑ってくれていい」

 ――じゃあ、やっぱり。

 毎晩のように夢の中で逢っていた理想のひとは、結女、なのか。
 千年以上の時を連れ添ってきた伴侶の面影を、戯れに思い出していただけで――。

「ただな、一つ、朗報もあるぞ」

 結女が急に、花が咲いたような笑顔を見せて。

「これだけ若返ったからな。顔の他にもいろいろと新品同然だ」
「えーと、何の話……」

 本当にわかんなかったから、そう訊いたんだけど。
 結女はわずかに赤面して、組んだ手を両脚の間に挟んで、しきりにもじもじしながら、ちょっとだけ上目遣いになって。

「お前に“初めて”を捧げるのは、憶えているだけでも、八回目だ」
「…………」
「男の場合は、初めても百回目も身体的には何も変わらないから、以前からちょっと不公平だと思っていたんだが。しかし、その、今の沖継は間違いなく、初めて、と、見なしていい、はずだな。……何だか想像するだけでドキドキしてくるな。こないか?」
「あ、あの、えっと、結女さん?」
「い、いや、お前がその気になるまで待つと言ったんだから、その、いくらでも待つぞ、待つとも。だが、いよいよその時となったら何も遠慮はいらない。どーんと直接入ってきてくれ。そら、女は産まれた時、一生分の卵子を持って生まれてくると言うだろう。私はもう飽きるほど産んだ。それはもう産んだ産んだ。最後の一粒まで使い果たしたんだろうな、千年以上前から一度も孕んだことがない」
「こら結女、待ちなさい、ちょっと」
「当時の人口と今の人口を考慮するに、今の日本人には多かれ少なかれ、私たち夫婦の血がどこかで混じっている可能性がある。計算上はな。私がみんな家族だというのはつまりこういう……あ、い、いかんな、何だか生々しい話になってきた。忘れてくれ」

 忘れたくても忘れられねえよ脳味噌にこびりついちゃったよ。ガキの頃からお世話になってる商店街のおっちゃんおばちゃんが明日から息子や娘に見えてきちまうよ。いやこの場合は孫とか曾孫とか玄孫とかなのか? ダメだ想像が追いつかん。なので今まで通り赤の他人ってことでいいですよね?

「……とにかく」

 結女は咳払いして、妙な雰囲気を断ち切る。

「古代には、私たちと似たような能力を持った者が……老いることのない人間が大勢いたらしい。世界各地にその証拠が残ってる。旧約聖書の創世記をみろ、ノアの洪水が起きる以前の人間はみな、九百歳まで生きていたそうだ。ギリシャ神話もそうだな、クロノス神が王権を掌握していた頃に生きていた金の種族……つまり人間のことだが、これは神に等しい長寿だったという。中国にも仙人の伝承があるな。そして、この日本には……」

 続く言葉を強調するために、結女はわざと一度、言葉を切ってから。

「沖継と、私だ」

 微笑みながら、言う。

「私たちは……老いることのない者は、皆、長寿によってたくわえた知識と、いつまでも若く活動的で病むことのない身体が生み出す活力をもって、精力的に古代の人々を守り、導き、現代につながる文明の基礎を築き上げてきたんだ」

 結女は、冷めつつある味噌汁の碗を手にして、飲み干す。

「改めて言うぞ。この日本という国の原型は、私たち二人で作ったんだ」


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