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第1章


1-1:華麗かつ平穏な俺の日常

 言い忘れてたけど、俺の通学風景は同級生の女友達・滝乃コノとセットで成り立ってる。昨日は用があったらしくて学校を休んでたんだけど、俺が十八歳の誕生日を迎えたこの日はちゃんと通学路の途中でいつも通り俺を待っていた。

「おはよ、沖継くん。相変わらず時間ぴったり」
「それはお互い様」

 コノは徒歩通学なので、俺は愛用のMTBモドキ号を降り、押して歩く。
 で、昨日あった出来事を何となく一通り話してみたんだけど。

「ふーん、じゃあ、今年の沖継くん誕生パーティって、すごい大々的にやっちゃうんだ」

 コノが反応したのは誕生パーティの話だけ。お前にとってはそこが一番プライオリティ高いのか、他に注目すべきところはいくらでもあっただろ、と突っ込みたくなったが、そういやこいつ、中学の時から俺の誕生日パーティには必ず出席し続けてるもんな。
 ちなみに俺は、コノに対して一片たりとも恋愛感情を抱いてない。付き合いが古いだけあって話は合うし、結構細かいところにも気が利くから、一緒に居て居心地悪くないのは確かだけどね。あと、女の子と一緒に初詣とか、夏祭りの花火を観に行くとか、いわゆるリア充らしいことを一通り経験できてるのは正直言ってコノのお陰。そういう意味ではめちゃめちゃ感謝してる。大事な女友達。
 ただ、コノに向かってその気持ちを素直に伝えると素っ頓狂なことを必ず言い始めてしまうので、ある程度キツい対応をせざるを得ないんだよな。

「ね、ね、沖継くん。誕生日って言えば、プレゼントなんだけど」
「ん?」
「今年こそ、誕生日にアレやっていい? 裸でリボンつけて私を以下略」
「死ね」

 ちょうどこんな感じ。下手に好意を示そうもんなら、やっぱり沖継くんが最後に選ぶのは私以外に居ないよね、みたいな妄言が連発するのでまともに取り合っていられない。世間的な評価で言やァ充分可愛い部類に入るんだし、俺の近所をチョロチョロしてるヒマがあったら別の男を探せってずっと言ってるんだけどさ。困ったもんだ。

「あれ、何その溜息。ひょっとしてちょっと想像して期待しちゃった?」
「してない。一切合切これっぽっちも全くしてません」

 あ、そうだ。コノについてあと一点補足。
 実は俺の家とコノの家って、数十メートル程しか離れてないんだ。でも、俺は自転車通学でコノは徒歩通学。学校からだいたい二キロメートルを境にして自転車通学の許可が出るんだけど、俺の家は二キロちょうど、コノの家は一・九キロで申請却下された格好だ。
 コイツはホントに何というか、一事が万事、その調子でさ。

「そういやさ、コノ。お前、昨日なんで学校休んでたんだ?」
「私、先月が誕生日だったじゃない? その時、骨髄バンクに登録したんだけど」
「ああ、十八歳になったら試しにやってみるとか言ってたっけか」
「そしたらね、私の遺伝子型と適合する人がいきなり見つかったって。病院に呼び出されて、全身麻酔されて、一日がかりで腰のところからズビズビ骨髄液抜かれて」
「おお、素晴らしい。お前なんかでも世間様のお役に立てる時が来たのか」
「ううん、骨髄液抜いた後で再検査したら全然違うタイプだって。検査ミスか何かだったみたい。病院の人とかにゴメンねゴメンねってすっごい謝られちゃった」
「……ホントにお前ってヤツは」

 そんなことを話している間に、学校へ到着。
 下駄箱を開ける。ラブレターの類がはらはら落ちる。今日はちょっと少なめだ。

「うわあ」

 すぐ後ろで下駄箱を開けたコノが変な声を上げる。向こうでも手紙の雪崩が起きていた。
 ただ残念ながら、ありゃラブレターじゃないんだけどな。
 俺はコノの足下から手紙を二、三通拾い上げ、陽の光に透かして中身を確かめてみる。

「こっちはカミソリ入り、こっちは人毛の呪い人形、んで……血で書いた手紙か」

 毎度の通り惨憺たる有様。要は「沖継くんの側から離れろこの醜いメス豚め!」ってことだ。俺もいろいろ手を尽くしてきたんだけど、女は夜叉にも般若にもなるって言葉の通り、理性じゃどうしようもないらしい。

「せめてこれ、俺に直接向いてくれりゃいいんだけどなぁ……」
「沖継くんには関係ないよ。弱いところにしわ寄せがくるのは仕方ないってば」
「あのさコノ、ずっと言ってるけど、せめて毎朝一緒に登校するのは止めないか? 別に、それで俺らの仲が変わったりしやしないんだしさ」

 ところがコノは、むしろ輝くような満面の笑顔で。

「ううん、いいの。これも沖継くんへの愛の試練だから」

 だからお前、真顔でそういうこと言うから全校じゅうの女子に目ぇつけられるんだってば。とか呆れる間もなくコノのヤツときたら三年生の教室が集まるフロアに入ってからもぶんぶん手を振りながら「また昼休みに!」なんつって大声出して自分のクラスつまり三年七組のほうへ走り去って行きやがる。お前ときたら常時そんなだから四方八方から嫉妬や殺意が入り交じった視線が飛んで来るんだろうが。少しは自重しろ。

 頼む、誰でもいいから。
 可哀想な星の下に生まれた残念女を守ってやってくれ。

「どうした沖継、また滝乃の心配か?」

 三年五組に入って溜息混じりに自分の席へ腰を下ろすと、すぐ前に座っているダチ・瀬尾拓海が振り向いて苦笑してきた。考えていたことを表情から読み取られたらしい。拓海も昨日は家の都合でたまたま休みだったんだが、今日はちゃんと登校してたのか。
 コノほどじゃないけど、拓海との付き合いも結構長い。中学に入って以来だから、もう丸五年になるのか。俺のことは大抵何でも知ってる。

「何で滝乃と付き合わないんだ? お前がずっと側にいて守ってやれよ、それで大抵の問題は解決するだろ?」
「今だって充分すぎるほど側にいて守ってやってるだろ。友達として」
「もう一歩踏み込めよ、躊躇う理由もないだろ。俺は結構お似合いだと思うんだけど」
「んなこと言われても。これっぽっちも惚れてないんだからどうしようも」
「向こうはずーっとラブラブ光線出し続けてるんだから、少しはさ」
「こっちはずーっと断り続けてるんだっつーの、知ってて言うな」
「でもなあ沖継、その理由が例の“脳内彼女”ってのは、ちょっとどうかと思うぞ俺は」
「…………」
「お前も俺も、今日が誕生日だろ? 十八歳だぞ? もうさ、バカみたいなこと言ってても許されるガキじゃないんだ。いい加減に妄想とお別れして現実に生きろって」
「言われなくても……わかってるって」
「いいや、わかってないね。滝乃をほったらかしにしてるのがその証拠だ」
 悟ったようなことを言う拓海に、俺は何も言い返せなかった。



          ○



 自分で言うのもアレだけど、俺は本当に普通じゃない。世間的には「生まれ持った才能が桁違い」とか「キャラメイクでチートした」みたいに認識されてるんだけど、厳密に言うとこれは間違いだ。俺の才能は先天的なものじゃないから。

 俺、妙にリアルな夢を見るんだよ。ほとんど毎晩。

 最初にそれを自覚したのは、三歳か四歳の頃。初めて買ってもらった自転車に乗れなかった時だ。いきなり補助輪ナシのチャリを買ってくるうちの親も相当どうかと思うけど、まあ、普通に何度かコケて痛い思いをしたのな。
 そして、その日の夜に夢を見たんだ。
 夢の中でとっくに大人になってた俺は、自分の足で歩くも同然の気軽さで自転車をスイスイ乗りこなしてんの。で、翌朝目が覚めてもその記憶と感覚が残ってて。結果、三輪車がやっとの友達を尻目にエア・トリックを決めつつ町中を爆走する天才チャリンコ幼稚園児が誕生するって次第。

「何も変じゃないわ。起きてる間にたくわえた経験や知識が、寝てる間に整理されて、ある時突然、自転車に乗れるコツが掴めるの。みんな同じよ」

 母さんはそんな風に説明してくれて、それで納得してた時期もあったんだけどさ。

 たくわえたはずがない知識や経験が夢に出てくることも、しょっちゅうあって。

 たとえば小学校四年生の頃。雨傘を剣や刀に見立てて遊びながら下校した日の夜に、本物の刀を抜き身で引っ提げて街中を走り回る夢を見たんだ。時代設定は江戸か幕末。日本家屋が軒を連ねる夕闇に染まった細い路地を俺は必死に逃げてるんだけど、どこまで行っても四方八方殺気だらけで振り切れない。こりゃ真正面から殺り合うしかないぞと腹を決め、浅黄の羽織を着た四、五人の手練れども相手に切り結び始めたところで目が覚めた。いやもう、今思い出してもチビりそうなほどリアルな悪夢だったよ。
 んで後日、何の因果かたまたま少年剣道会に誘われて。悪夢のせいで剣とか刀とかにあんまりいい印象を持てなくなってたんだけど、試しに一日だけ稽古に参加してみたんだ。

 そこで俺、国士舘大卒で剣道五段の師範を打ち負かしちゃってさ。

 だってその人、夢の中の刺客に比べたら全然弱かったんだもん。三戦して全部一本勝ち。これに師範は自信喪失、その日限り竹刀を置いてしまって、指導者不在になった剣道会はそのまま解散。後で聞いたらこの剣道会、全国大会常連の強豪チームを何組も輩出してたらしくて、悪いことしたなと今もちょっと後悔してる。
 繰り返すけど、俺自身はもともと雨傘を振り回してただけだ。なのに一足一刀の間合いから呼吸を読んで、気と気の攻防、そこから圧倒的にリーチで勝る相手の後の先を取って打ち込むとか、そんな駆け引きまで身につけたんだぜ。いくら何でも謎すぎんだろ。

 中学校に上がったばっかの時もそう。
 小さな農村を蹂躙する盗賊の夢を見たんだ。いろんなものに飢えてすっかり理性を無くした賊に対し、俺は徒手空拳で立ち向かって見事に勝利をおさめ、めでたしめでたしで清々しく翌朝を迎えたんだけど。

 学校に登校してみて、心臓が口から飛び出すかと思うほど驚いた。
 現実の世界に、盗賊どもと同じ目をしたヤツがいやがる。

 それは当時の担任教師。普段は理性で抑え込んでるっぽいけど、時折、どう考えてもまともじゃない濁った目を見せるんだ。その視線の先を追っていくと――当時の俺のクラスにいた一番可愛くておとなしい女子に必ず突き当たるんだよ。
 不安にかられた俺は周囲の同級生にそれとなく相談してみたんだが、考え過ぎ、心配しすぎ、何言ってんの、ってな感じでどいつもこいつも反応が鈍い。中学生の頭ん中なんてまだ半分くらい無邪気なガキのままだし、大人はみんな自分たちの庇護者だって無条件に信じてるところがあるもんな。人間は時として獣以下の存在に堕することもあるんだって、そんなの想像もつかなかったんだろう。
 いっそ信頼できる他の教師に頼るべきか、でもまだ具体的には何もしてない担任を悪し様に言うと俺の方が怒られかねんし、とか悩んでいるうちに事態が動いた。
 担任がその女子に難癖つけて、放課後一人で生活指導室に呼び出つけやがったんだ。
 嫌な予感がしてこっそり後を尾けてみたら、まー案の定、その教師は粗末なモノを剥き出しにして女子を押し倒してる真っ最中ですよ。

 そりゃあもう、蹴った蹴った。
 教師の股間を。二度と使い物にならなくなるまで。

 ちなみに、ここで間一髪難を逃れた女子は何を隠そう、コノだったりする。それまではただの顔見知りに過ぎなかったあいつが俺に対して溢れんばかりの愛情を示し始めたのは、この事件がきっかけだ。

 他にも、理科の授業でカエルの解剖を学んだ夜にはちょんまげの蘭学者が人体解剖を教えてくれたし、パソコンを触れば旧式のタイプライターでブラインドタッチをマスターし、家庭科で初めて包丁を握った時には小刀一本でマグロを解体する方法を身につけてた。もしかして前世の記憶なのかと疑った時期もあったけど、それにしちゃ時代設定が節操なさすぎなんだよ。ファッションとか生活様式が現代とほとんど変わらなくて、携帯電話やノートパソコンを使ってる夢もあったからな。そんな前世聞いたこともない。

 さすがに気味が悪くなって、中三の頃、父さんに相談してみたこともあるんだけど。

「ふうむ。きっと沖継は、夢の中で物凄くリアルなイメージトレーニングをしてるんだろうな。そう考えると辻褄も合う」

 最初は「何のこっちゃ」だったんだけど。

「夢を見ている間は、大抵の場合、それが夢だと気付かないだろう。目の前に起きてる破天荒な事件を現実だと思い込んでる。いわば天然の仮想現実だ。そこでもし、現実と区別がつかないほどリアルなシミュレーションができれば、どうなる?」

 俺は思わず、目を見開いた。

 人間は一日八時間、一日の三分の一は睡眠に費やしてるんだ。もしもその間、脳内シミュレーションを続けたとしたら?
 当時の俺は十五歳、単純計算で五年分は人生経験を上積みできるから、実質的な年齢は二十歳かそれ以上ってことになる。同い年のヤツより知恵が回って、より効率のいい身体の動かし方を知ってて、ちょっとやそっとじゃビビったりしなくても、さほど不思議なことじゃない。
 もちろん、この考え方だけですべての疑問が氷解するわけじゃない。ただ、俺の心情的にはそれで充分だったんだ。自分の夢と才能を「得体が知れない、気味が悪い」と感じなくなっただけで、救われた気分になれたんだ。

「沖継はきっと、小さい頃にたまたま、夢を上手く利用する方法をマスターしたんだろうな。夢いっぱい、才能いっぱい、超ラッキーとでも思っておけばいいさ」

 あの時はホントに、父さんに相談して良かったって、心の底から思ったもんだ。



 ただ、この夢が良い影響ばかり与えてくれるかといえば、そうでもなくてさ。いや俺自身は別に悪い影響とは思ってないけど。
 つまりえーと、簡単に言うと。

 女性経験。

 だって俺は心身ともに健康な男子で、しかも夢の中で現実以上に波瀾万丈なイメトレをやってのける能力があるんだぜ。考えちゃダメだと思っても考えるっつーねん。こんな感じの理想のひとと恋人同士になれたらいいなあとか、あわよくば組んずほぐれつ以下略な関係になれたらいいなあ、とかさ。
 おかげさまで、ええ、思春期を迎えた頃から毎晩のように夢の中へ出てくるようになりましたとも。艶やかな黒髪ロングのストレートを風になびかせ、どんな美人も裸足で逃げ出す綺麗な顔に心からの信頼を宿した極上の微笑みを浮かべて、いつでも真っ直ぐに俺のことだけを見つめてくれるひとが。
 しかも綺麗なのは顔だけじゃない。脱いでも凄い。俺は未だに彼女以上にそそられれる絶妙な女体のカーブを見たことがない。どんなグラビアアイドルも勝負になりゃしない。

 おまけにその超絶美女、俺のためなら何だってしてくれるんだ。
 もう、ンもう、何だって。

 想像してみてくれ。自分史上最高に興奮したこれ以上ないって言うエロいシチュエーション。あるいは、いずれやってみたいけどこの辺はさすがにアブノーマル、恋人に拒絶されるよなっていうギリギリラインの妄想プレイ。
 夢の中の彼女は、そんなハードルを余裕で飛び越えるぜ。
 もうね、エロいなんてもんじゃない。もはや淫魔だ。
 でもでも、そのくせしてベッドの外ではどこまでも淑女なんだよ。十二単を着てしゃなりしゃなりと歩いてみたり、鹿鳴館でイブニングドレスを着て俺と一緒に不慣れなチークを踊ったり。穢れを知らない乙女の微笑み。それがもう可愛くってさ。で、俺と二人きりになった途端に豹変して、もう、ほんとに、その、も、もう――。

 ごめん、思い出しただけでちょっと鼻血出た。

 そんな訳で毎朝毎朝、俺は自分の下着とベッドを確かめて、夢精したかな、してないかな、なんてビクビクしなきゃいけない。コノなんかが全身から好き好きオーラを振りまいてきても、幼稚園児が「あたしおっきくなったらおきつぐおにーちゃんのおよめさんになる!」って言ってる風に感じちゃうんだよ。どうしても。

 しょうがないって。な。しょうがないだろ?



          ○



「はいはい。そうやって現実に背を向けて、脳内彼女と一生仲良くしてろ」

 昼休み、教室の片隅で一緒にメシを食ってた拓海にバッサリ切り捨てられた。
 その隣にはコノもいる。一人でウロウロしてると逆恨みした女子に刺されかねないので側に居させてやってるんだが、こやつめ厚かましくも拓海に同意して頷きやがった。

「沖継くんから夢の話を聞くたびに思うんだけど、それって病気じゃないの? 一度お医者さんに相談してみたら? 心の病は大人になると治しづらいよ? あ、でも今日から十八歳だもんね。医学的にはとっくに大人かな。じゃあ手遅れなのかも……」

 コノが憐れみに満ちた目を俺に向けてくる。お前に同情されるようじゃ俺もおしまいだ、と言い返したかったが、トンカツ弁当を頬張るのが先なので無視しておく。

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「いやいや、待てよ滝乃。沖継を病気だってことにしたら、アニメやマンガのキャラを俺の嫁とか公言して抱き枕とか買ってる連中はみんな病気に……いや、病気なのか?」
「拓海くん言い過ぎ。ああいう人たちの嫁宣言は半分くらい内輪向けの冗談だし、現実に裏切られて二次元でやっと安らぎを得た部分もあるんだから。ある意味では幸せなんだよ。でも、沖継くんはそういうのと違うでしょ、不幸だよ」

 さすがに我慢できなくなって、俺は弁当を貪り食う手を止めた。

「ちょっと待てよコノ。俺は自分が不幸だなんて思ってないぞ」
「本当に? ほんっとーに、自分は幸せだって胸を張って言える?」

 コノが上目遣いに俺を睨みつつ、ぴんと伸ばした人差し指を俺の眼前にジリジリと近づけてくる。俺、思わず上体をちょっと反らして後退り。

「だいたい、沖継くんがゾッコンだっていう女の人の名前、何て言うの?」
「いや、夢は夢だし、細かいディテール突っ込まれても」
「二次元に逃避してるヲタクな人も、自分が好きなキャラクターの名前くらいは知ってるよ? 同じキャラが好きな人と意気投合して盛り上がったりできるよ?」

 俺が言葉に詰まっていると、拓海が鼻で笑い出した。

「一方、沖継の脳内彼女は長い付き合いの俺らでさえ許容範囲外。しかも好意を寄せてくれる大勢の女の子の純愛を踏みにじって妄想に逃げてる。男として最低極まりない」
「うんうん。こればっかりは全面的に拓海くんに同意」
「ほんとにさ、沖継。今日から十八歳なんだし、もう大人なんだぞ。いい加減に脳内彼女と決別して現実に目を向けようぜ。たとえばほら、ここに滝乃とか居るだろ?」

 拓海がそう言った途端、コノが目を輝かせて俺に同意を求めてくる。
 うわあ、死ぬほどウザい。

「だからさ、何で沖継はそういう嫌そうな顔するんだよ。滝乃と何年も一緒に居りゃあさ、普通は情の一つも移るってもんだろ?」
「あいにく俺は普通じゃないんだよ。規格外のスーパー高校生らしいから」
「相ッ変わらず自惚れてやがる……。何なら今から外出ろよ、お前が自分で言うほど特別じゃないって証明してやる」

 不敵に笑った拓海が、俺の目の前で拳を固めて頭を軽く小突いてくる。

「やめとくよ。今のお前にゃ勝てる気がしない」

 苦笑しつつ、俺は拓海の拳をやんわり払い除ける。
 それは俺のように、紳士のハンカチが必要なヤワな代物じゃない。人類最強を目指して徹底的に鍛え抜かれた文字通りの凶器。無数のタコが出来ては潰れ、潰れては出来を繰り返した結果、象の皮膚のようにぶ厚く柔軟になった格闘家の拳だった。

 実は拓海の親御さん、若い頃は総合格闘家としてプロのリングで活躍してたんだとか。ずいぶん昔に現役引退してるんで戦歴とかは知らないけど、後進の指導とかでしょっちゅう家を空けるらしいから、その筋では割と名前が通ってるんだろう。拓海はガキの頃から後継者として英才教育を受けていて、今はデビュー目指して修練の日々を送ってる。昨日学校を休んでた理由も多分これ。親父さんのスケジュールが突発的に空いて休日になると、その日はマンツーマンの特別メニューになってしまうんだとか。
 それでもまァ、中学の頃までは、拓海より俺の方が断然強かったんだけどさ。基本的には才能頼みで毎日コツコツ努力なんてしてきてないんで。本気で道を究めようと努力を続けるプロ予備軍に追い抜かれるのは自明の理。
 実は俺、拓海のそういうところを――努力家で、ひたむきで、一つのことに黙々と取り組み続ける精神力みたいなものを、密かに尊敬している。本人には絶対言わないけどな。たとえ口が裂けても。うん、絶対に言わない。大事なことなんで二回言いました。

「あ、そうそう。拓海くん、今日の放課後、予定は?」
「いつも通りかな。家に帰ってトレーニング。クールダウン合わせて四時間みっちり」
「そうじゃなくて。その後。拓海くんも今日が誕生日でしょ?」
「うちはパーティなんかやらないよ。滝乃も知ってるだろ。親が仕事で海外行ったまま戻ってこないとか、ガキの頃からしょっちゅうだから」
「だからこそだよ、一緒に沖継くんの家に行こうよ。大勢で派手に十八歳の誕生日祝いするんだって。拓海くんならきっと、源のおじさんおばさんも歓迎してくれるよ」
「止めとく。滝乃の邪魔したくないから」
「あらあらー。相変わらず心憎いばかりの気遣いを有り難う。拓海くんにもいつか素敵な彼女が出来るといいね! ……こんないい人なのに何でモテないのかな」
「チート野郎の隣に居るからだよ、沖継が全部美味しいとこ持っていくから」

 何でもかんでも俺のせいにするな、と言い返そうと思ったが、昼休み終了十五分前の予鈴が鳴り始めてしまった。早く弁当食い終わらないと。あと三人前残ってるのに。

「それにしてもよく食うよな、沖継……。一日三千カロリーと強化プロテイン必須の俺よりも食ってんじゃないか? その細い身体のどこに入ってんだか……」
「沖継くんは頭も身体も、普通の人の数倍でフル回転してるから。エネルギーが要るんだよ、きっと。……お茶、足りる? 私の飲みかけでよければ」

 コノが差し出してきたペットボトルを受け取りつつ、俺は目と手で感謝の意思を伝える。口の中は米と野菜と鶏肉で埋まってるので声が出せないから。あ、間接キッスとかそういう胸キュンなシチュエーションはコノとの間じゃ成立しないのであしからず。

「さて、沖継はほっといて、午後の用意でも始めるかな」
「三年生はみんな進路指導だと思うよ。もうじき三者面談も始まるし、結論出さなきゃいけないもんね」
「俺の結論なんかとっくに出てるんだけどな。プロのリング以外ありえない」
「あはは、拓海くんは昔からそれ一本だもんね。あ、デビュー戦とか決まったら真っ先に教えてね、プラチナチケット取って絶対応援に行くから!」
「気が早いよ、滝乃。デビューはまだ先の話。もっともっと鍛えないと」
「えー、今でも充分プロとして通用しそうなのに。お父さん厳しいんだね」
「いや、厳しいって言うか……言い方は悪いけど、プロの試合ってのはある意味、見世物だからさ。それだけで食っていこうと思ったら、興行収入を左右するくらいの知名度か話題性がなきゃ話にならないんだよ。地味にデビューした新人が結果をコツコツ積み重ねるよりも、無名の超新星が鮮烈デビュー連戦連勝、あっという間に世界タイトル射程圏内、ってほうがさ、もう断然目立つだろ?」
「よくわかんないけど……すごいね、色々考えてるんだ」
「で、滝乃の方は?」
「えっ? 私の方こそ訊かれるまでもないというか、別に何の才能もないし、平々凡々とね。基本的には進学するつもりだけど、志望校をどこにするかは……」

 コノが俺の方に視線を送ってくる。俺はその意味をわかっていて無視。

「沖継はどうするつもりなんだ? 先月はまだ結論出してなかったよな」

 まあ待て拓海、やっと全ての弁当を食い終わったところだ。
 コノからもらったペットボトルのお茶を一気飲みし、ぷふぅ、と一息ついて。

「俺の進路なんて、訊かれるまでもないね」

 力強く断言。

「正義の味方だ」

 それを聞いた拓海が頭を抱えるのが全く解せない。コノなんか「ああ、やっぱり」なんて感じで笑ってるんだけど。俺は真面目だぞ、真剣だぞ。

「……あのな、沖継。俺はそういうことを訊いたんじゃなくて」
「何だよ、昔はお前も俺と一緒に目指してただろ。だいたいお前が総合格闘技に進んだのも、変身ベルトやパワードアーマーなしで強くなるにはこれしかないって」
「そんな昔の話はどうだっていいんだよ。もう高三だぞ、十八歳なんだぞ。東映特撮やマーベルのヒーローを本気で目指してる場合じゃないだろうが」
「いいや違う。違うぞ拓海。これはいくら歳を取ろうが絶対に変わらんッ」

 俺は胸を張って、絶対に譲らないぞと態度で示す。

「知恵をつける、技を磨く、カネを稼ぐ、権力を手に入れる。大抵の人間はどれかを目標にして一生を過ごすけどな、俺に言わせりゃそんなもん単なる手段だ。大事なのはそれをどう使うか。そして、最終的に指針となるのはただ一つ、正義以外に有り得ないんだよ。坂本龍馬も吉田茂もナポレオンも言ってることは本質的にみーんな同じ。男ってのはガキみたいな正義感を失った時点で生きてる意味すら見失うんだッ」
「悟ってるんだか、血迷ってるんだか……」
「悟ってるんだ。お前もいずれわかる」
「よし、百歩譲ってその主張は認めようじゃないか。でもな、正義の味方ってのは心情の問題だ。ぶっちゃけニートでも犯罪者でも正義の味方を貫くことはできる」
「おおっ。さすが拓海、心の友よ。核心を突く鋭い意見だ」

 ここまで聞いていたコノが、突然挙手。

「じゃあ、沖継くんは警察官になったらいいってことかな?」

 自分の知る限りで俺の理想を現実的なプランに引き落としたんだろうが、所詮はコノだ。考え方が甘い。俺はぴんと立てた人差し指を左右に振りつつ否定する。

「警察は正義の味方じゃない。体制の味方だ。ハリー・キャラハンがそう教えてくれた」
「……誰? それ」
「知らないのか? それは人生を損してるぞコノ、今度DVDを貸してやろう」

 頭を抱えて溜息をついていた拓海が、机をコツコツ叩いて俺の話を遮る。

「天才とナントカは紙一重、か……。なあ沖継、俺たちが訊いてるのは具体的な話だよ。高校卒業した後、ちゃんと考えてるか?」
「自分の学力で行ける一番いい大学に行く。とりあえず通過点として」

 それを聞いたコノが軽い目眩を覚えつつ天を仰ぐ。俺とコノの偏差値にはかなりの差があるから、気軽に一緒のキャンパスを目指そうって訳にはいかないもんな。ま、頑張れ。

「通過点? ってことは、ひょっとして、その先も決めてるのか?」

 拓海が顔色を変え、身を乗り出してきた。

「ああ、かなり具体的な最終目標がある。三日前に死ぬほど悩んで決めた」
「……聞かせてくれ」

 俺は制服の襟元を正し、もったいぶって咳払いを一つしてから、大真面目な親友の視線を真正面から受け止める。
 フフン、耳をかっぽじってよく聞くがいい!

「幸せな家庭を築こうと思う」
「…………」
「大学では適当に遊びながらバイトとサークル活動に精を出し、モラトリアムのうちに人間関係の機微と大人社会のいろはをしっかり学んで卒業。サラリーマンとして社会を経験し、フツーに結婚してフツーに子供をもうけて、できれば一姫二太郎で、三十台の半ばを迎える前には自営業で独立し、小金を蓄えて貧しいながらも悠々自適の老後へ」

 大まじめに語る俺の顔を見て、拓海の顔が鬼のように引きつり始めた。

「なあ、殴っていいか。沖継」

 意味わからん。何言ってんだこいつ。

「いいか、よく考えろ、真意を見通せ、そして想像するんだ。普通の生活、普通の家庭、普通の幸せ、これを作り出し守り抜くことがどれだけ社会に夢と希望と安定をもたらすか! これぞ王道、これぞ正義! そう、俺は声を大にして言いたい! 普通のご家庭のお父さんこそが最も正義の味方に近しい存ざフギャッ」

 熱弁を締めくくる寸前で拓海に殴られた。全力で。グーで。

「お、おおお、おまっ……!! 咄嗟にスウェーして威力削いだからいいようなものを! 俺じゃなかったら鼻の骨折れてたぞ絶対に!!」
「その溢れんばかりの才能を全部ドブに捨てる気か! もうちょっと真面目に考えろバカ! とりあえず安易に普通の家庭って選択肢だけは論外だ!!」
「しょせんお前も本質を見失いがちな愚民の一人かっ!! 俺は絶対間違ってない! これが正義だ、真実だ! なぜそれが理解できない!!」
「こうなったらお前が目を覚ますまで腐った頭を殴って殴って殴りまくってやる!」
「やれるもんならやってみろ脳筋野郎! ルール無用のデスマッチなら悪知恵が働く俺の方が絶対勝つってところを証明してやる!」
「語るに落ちたな正義の味方崩れ! 性根からガッツリ叩き直してやる!!」

 椅子を蹴って立ち上がった拓海が正拳を真っ直ぐ繰り出してくる。俺はわずかに身体を沈めて紙一重で躱しつつ、死点まで伸びきったヤツの腕を掴んで軸に利用して回し蹴り。普通なら躱しようがない究極のカウンターだ。

 ところが拓海は、鍛え抜いた左手一本で俺の足を受け止めやがった。

 ぎょっとした俺に対処の暇を与えないよう足を引っ張る。当然、俺はバランスを崩す。投げ技へ移行する絶好の隙が生まれた。拓海はすかさず俺を組み伏せてマウントポジションへ――。

 なんてな。そう簡単に持ち込ませてたまるか。

 俺は拓海が足を引っ張る力を逆に利用する。バランスを崩された方向へ自分で思いっきり跳んだ格好だ。傍目には拓海に放り投げられたように見えたかもしれないが、放り投げられたネコよろしく宙をくるくる回りながら最終的に一定の距離を置いて見事に着地。この時点で形勢逆転。まさに俺の狙い通り。愕然としている拓海の側面へすかさず連打、連打、連打――と思ったらこの野郎、何とかかんとか受け流しながらきっちり反撃して来やがる。ええい小癪な。

「お前の手はミエミエなんだよ沖継! 才能頼りで組み立てがなっちゃいない!」

 えっらそうに、俺に向かって上から目線で言い放ってきやがった。

「冷や汗かきながら言っても説得力ないんだよタコスケが!」

 言い返した俺は完全に本気モード。拓海も真剣だ。一切手抜きナシの攻防が続く。
 いや、俺も拓海も周囲に迷惑をかけるつもりはないし、教室の設備を壊すつもりで動いてないから、そういう意味では手加減しているのかもしれないけど、手の内がある程度わかってる同士だからこそ成立するギリギリの攻防には変わりがない。傍から見ればアクション映画の格闘シーンそのもの、あるいはアグレッシブなペアダンスのように映るのかもな。五限の授業が始まる間際だってのに男子も女子も次々に群がってきて、どっちが勝つかの賭けが始まるほどの大盛り上がりで――。

 って何だよお前らふざけんじゃねえ! やってる本人は死ぬか生きるかの打撃を紙一重でかいくぐりながら必死でやってんだぞ?! 見せ物じゃねえんだよどっか行け!!

「ホントに二人とも仲いいよねー。どっちもガンバレー、ふぁいとー」

 コノも呑気に応援してる場合か! 邪魔なんだよ、逃げろよ! お前を巻き込まないように気を使うの結構大変なんだよ!


1-2:寝耳に水ってレベルじゃねえ

 きーんこーんかーんこーん、と何一つ独自性のないチャイムが鳴って放課後を告げる。
 昼休みにド派手な喧嘩をやらかした拓海は、後ろの席にいる俺を一顧だにせず席を立ってとっとと帰っていった。どうせまた親父さんのツテでどっかの道場にでも出かけていって男だらけのむさ苦しい中で鍛錬という名のセルフSMに入れ込んでマゾい汗を流すんだろうが自分の身体をそんなに痛めつけて何が楽しいんだよこの変態。ふんっ。

「……きっと、口惜しかったんだよ。拓海くん」

 一緒に下校していると、コノが突然ぽつりと呟いた。

「沖継くんの態度に腹が立ってるのか、自分のふがいなさに腹が立ってるのか、自分でもよくわかってないんじゃないかな。自分はあんなに努力して一生懸命鍛えてるのに、毎日フラフラしてる沖継くんになかなか勝てなくて……」
「いや、あのままなら拓海が勝ってたろ。五時限目が始まって水入りになんなかったら、俺はスタミナ切れで持ちこたえられなかっただろうし」

 これは本当。俺はそういう分析に関してまでウソをつくつもりはない。

「でも、拓海くんのパンチやキック、沖継くんに一つもまともに当たってなかったよ」
「そうでもないぞ? 服脱いだらあちこちアザになってるだろうし」
「普通はその程度じゃ済まないと思うよ?」
「だから、俺を普通の尺度で考えない方がいいんだってば」

 そんなことを話しながら、俺たちは帰路を辿る。
 途中で滝乃家に寄って、コノが私服に着替えてきた。

「また随分オシャレしてきたな。うっかり可愛いなぁとか思っちゃったよ」
「いいでしょ、ちょっとカントリー風で。惚れ直した?」
「そもそも惚れてません」

 毎度ワンパタの会話を繰り返しつつ源家へ。玄関戸を開ける。

「お帰り沖継。そろそろだと思ったぞ」

 目の前に居たのは、黒いタキシードに身を包んでビシッと決めた父さんだった。

「グッドタイミング、沖継。待ってたのよ」

 奥から出てきた母さんも髪を結い上げ、黒を基調にした上品な正絹の着物を着ていた。

「えっと……ひょっとして私、もう一回着替えてきた方がいいのかな」

 コノが自分の格好を見て不安そうに呟く。ドレスコードを気にしたのかもしれないが、そもそも主賓が俺って時点で正装になるはずないだろうに。

「二人とも、何でそんなカッコしてんだよ。どっか行くのか?」
「そうだ。お前にとびきりのプレゼントがあるんだ」

 父さんが革靴を履いて外に出る。と、門のすぐ外に運転手つきの車が滑り込んできた。わざわざタクシーを呼んでたみたい。あ、いや、違うな、これハイヤーなのか?

「さ、沖継。乗って、乗って」

 白足袋に草履を履いた母さんに背中を押され、俺は半ば無理矢理外へ。学ラン姿のままハイヤーに乗せられてしまう。親戚連中も来るとか言ってたし、中華料理屋の貸し切りでもセッティングしてんのかな。たかが誕生日で奮発しすぎだよ。

「あ、あの、おじさん、おばさん。私は……」

 玄関先にぽつんと残ったコノが心細げに呟くと。

「今日は身内だけだから、ごめんねコノちゃん。また明日に」

 母さんがとんでもないことを言い出した。

「おいおいおい、コノはもう身内みたいなもんだろ。つーか、曲がりなりにも俺の誕生日を祝いに来てくれたんだぞ、ここで追い返すような真似ができるかよ」
「あら、沖継ったらもう、相変わらず女の子には優しいんだから」
「そういう問題じゃない。コノがダメだって言うなら俺は家に残るぞ。親戚と宴会やりたいならそっちで勝手にやってりゃいいだろ」

 言いつつハイヤーを降りようとしたら、先に乗っていた父さんに腕を掴まれた。

「わかった、なら、コノちゃんも一緒でいい。一席くらいどうとでもなるだろう」

 最初からそうしてくれよ。コノが来ることくらい想定の範囲内だろうに。

 そうして車はひた走る。途中で高速道路に乗ったんで都心へ向かってるのかな。目的地はどこなんだと聞いても「着いてからのお楽しみ」という答えしか返ってこない。

 小一時間後。

「さあ、着いたぞ」

 一足先に車を降りた父さんが向かう先には、やたらリッチで優雅な雰囲気の漂う高層ビル。えーと、名前は何だ。ああ、あった。植え込みの中のオーナメントに書いてある。

 ――帝都ホテル?

 おいちょっと待てそれってつまりアレか戦前からずっと営業してて戦後は一時GHQが接収したこともある世界でも指折りのVIP御用達な超高級ホテル?! まさかここのレストランで俺の誕生会をやる気なのかよいくら何でもカネかけすぎだ!!

「やっぱり私、着替えてくるべきだったのかな……」

 気後れしたコノが摩天楼を呆然と見上げながら呟いてたけど、それを言うならTシャツに学ラン姿の俺はどうなる。学生にとってはこれが正装だとかショボいタテマエは口にするだけ虚しいぞ。こんな格好で帝都ホテルにやってくるのはゴチバトルに参加する芸能人くらいだ。しかも番組改編期のスペシャル版限定。

「大丈夫だ。沖継の着替えは会場に用意してある」

 父さんに背中を押されてホテルの玄関をくぐり、エレベーターで最上階に近い場所まで上る。コノと母さんは先に会場へ行くとかで途中で分かれて、俺は父さんと一緒に高そうな赤い絨毯を踏みしめながらフロアの奥へ進んでいく。
 突き当たったのは、控え室、という札がかけてある部屋。父さんはそこに用意してあった衣装を手にし、着せ替え人形よろしく半ば強引に俺の身体へ着せていく。

「羽織袴……? しかも紋付きって……」

 菖蒲の葉の形を模した源家の家紋。たしかこれ全国でもすっげーレアなんだよな。つまりこの羽織袴、レンタルじゃなくてわざわざ今日のために仕立てたってこと?

「いいから、いいから。さ、行くぞ沖継」

 父さんに引っ張られるようにして、再び廊下へ。
 しばらく歩くと、複雑な彫刻が施された超豪華な観音開きの扉に突き当たる。脇にはホテルの従業員が控えていて、俺と父さんが近付くのに合わせて扉を大きく開いていき――。


ぱぱぱぱーん ぱぱぱぱーん
ぱぱぱぱん ぱぱぱぱん ぱぱぱぱん ぱぱぱぱん ぱぱぱぱ
ちゃーらぁー ららぁーたったった ぱーんぱかぱん ぱんぱぱん


「……メンデルスゾーン? 結婚行進曲?」

 入場にシンクロして流れ始めたその曲に、いささか面食らった。
 ていうか、何だよこの大ホール。サッカーの試合が余裕でプレイできそうなほどクソ広い上、夕闇に包まれつつある東京の夜景が一望できるパノラマ&スカイビュー。こんなの貸し切ったら諭吉さんが百人単位で消え失せる請け合いだ。そして参加者の人数。一体何人いるんだよ、ほとんど満員じゃん。うちの親戚こんなに居たっけか? それより何よりこの席の構成は何だ、特に一番奥にある雛壇。金屏風とかでっかいタワー型のケーキとか完全に結婚披露宴のソレなんだけど。

「見ての通り、結婚式だからな」

 父さんが言う。なぜかやたら嬉しそうに。

「結婚式って、誰の?」
「お前」
「…………」

 言葉を無くした俺の真正面、父さんと一緒にフロアへ入ってきた扉とちょうど反対側。似たような様式の観音開きの扉があったんだけど、そこが今まさに大きく開いて。

 花嫁が入ってきた。

 だって綿帽子に白無垢って格好だし、花嫁以外に表現しようがないよ。ナチュラルメイクに紅をさし、微笑みつつもわずかに目を伏せ、付き添い役のうちの母さんに手を引かれながら、しずしずとこちらへ歩み寄ってくる。

「まさかとは思うけど……父さん、さっき言ってたとびきりのプレゼントって……」

 ご明察、と言わんばかりに、父さんがドヤ顔で微笑む。
 頭痛がした。目眩もする。体調悪い。俺、もう帰っていいかな。

「おおおおおお沖継くん何なのコレどういうことなの?!」

 急遽用意されたらしい友人席にひとりぼっちで座っていたコノが、髪を振り乱しながら俺の方へ駆け寄ってこようとして――親戚総出で押さえ込まれた。折り重なった人の群れから般若のような顔だけが飛び出てる様子を見て、ニホンミツバチの集団に取りつかれて熱殺される哀れなスズメバチみたいだなって、ちょっと思った。

「はなせはなせぇはなしてよおおおおぉぉぉおぉ!! 私というものがありながらいったいどこの誰とそんな関係に!! 絶対許せない呪ってやるううぅぅぅううぅうーっ!!」
「俺だってこんなの知らねーよ勝手に呪うなっ!! っていうか俺とコノの関係はもともとそんなディープじゃないだろうがっ!」

 コノのおかげでちょっと我を取り戻す。一瞬見失ってたいつもの俺がカムバック。

「父さん、こりゃどーいうことだっ! 冗談にしたってさすがにやりすぎだろ!!」

 詰め寄ったんだけど、父さんは俺の方をまったく見ていない。

 花嫁がもう、俺のすぐ側まで歩み寄ってきていたんだ。

 手の込んだメイクの影響を差し引いてもすごい美形。そこで今まさに死にかけてるコノだって充分可愛いし俺が知ってる女子の中でも余裕で上位に入るんだけど、この花嫁の前では全く勝負にならない。芸能界でも通用しそうなホンモノの美少女だ。こりゃあ男なら問答無用で見惚れる。それは否定しない。しないんだけども。

「……あのさ、母さん。ひょっとして、この女の子って」

 花嫁の脇に控えた母さんに訊く。

「名前は結女。源結女。あなたの妻よ」
「違う、名前を訊きたかったんじゃない。この花嫁の歳って……」
「十六歳、沖継の二つ下。ほら、女の子は男より二年早く結婚できるから」
「いやいやいやいや見え透いたウソついてんじゃねえよこれで高校生な訳があるか!」

 せいぜい十三、四くらいの中学生だろ! 年相応のコノでさえ俺にとっちゃ守備範囲外だってのに身長百四十センチ台のつるぺた中学生と結婚しろとか何の冗談だ!

 と、取り乱しかけた俺の紋付き袴の袖を、誰かが引っ張った。

「案ずることはない、沖継」

 花嫁だった。綺麗な顔によくお似合いな笛の音を思わせる澄んだ声だけども、案ずることはない、って何だよ。武士言葉か。ギャップ萌えでも狙ってんの?

「確かにお前の言う通り、今の私はおおむね十四歳だと考えて差し支えない。そういう勘の働き具合はさすがだな。しかし何も問題ない。戸籍上では間違いなく十六歳だ」
「えーと。その、結女ちゃん、だっけ?」
「ちゃん、は要らない。呼び捨てでいい。私はお前の妻なんだぞ」
「いや、その件はさておいて。戸籍が……何だって?」
「戸籍を改竄した。私は法的に十六歳だ。何も問題ないぞ。さあ結婚しよう」
「ありすぎるだろ問題。むしろ問題しかないわ」
「どこが? 家事全般は完璧にこなすし、身体も充分、閨を共にできる」
「ね……や?」

 聞き慣れない言葉を反芻すると、結女ちゃんは顔を逸らして頬を赤らめる。

「寝床。転じて、夫婦の情を交わすこと。愛の行為。女に言わせるな、恥ずかしい」

 かっちり三秒、時間が跳んだ。

「おいおいおいおい! ダメだろそんな実際に出来るかどうかはともかく教育委員会と青少年保護条例が許しちゃくれませんよ?!」
「不純異性交遊などという意味不明な概念を愛する夫婦の床の間に持ちこむな。そもそも婚姻は国が定めた民法に依るもの。地方自治体が定めた条例よりも優越する」
「法律をかいくぐればOKとか考えちゃダメ! 道徳的に完全アウトだから!」
「古来より日本には元服という風習があったろう。世界的にもほとんどの文化圏で十四、五歳は大人とみなされていた。これは心身の発育を考えても理にかなっているし、事実、医学的にも十三歳以上の異性に欲情するのは健全だと判断される。むしろティーンエイジを未成年として子供と同列に扱っている昨今の世情こそ異常なんだ。すなわち、道徳的な側面から考慮しても、私とお前が同意の下で睦み合うのは極めて自然なことで何の問題もない」

 あ、あれれ、どうした訳だか反論できる余地がない。

「いや待て屁理屈こねるなごまかすな! もっと常識的に考えてだな!」
「世間一般のスケールを完全に無視したお前が常識なんてつまらないものに囚われるというのか。馬鹿馬鹿しい。男ならもっとどーんと大きく破天荒に生きろ」

 よもや中学生に人生を説かれる日が来ようとは。
 万策尽きた俺、困り果てて明後日の方向を向き、ただ苦笑。いやもうこんなの笑ってごまかす以外にどうしろと。

 ――と。

 側にいた花嫁が背伸びして手を伸ばし、俺の顔をぺたぺたと触ってきた。

「おい、こら結女ちゃん。やめろって、止せよ、おい」
「……本当に、沖継だ」
「はい?」
「困った時の表情。声。目線。唇。何もかも、沖継だ」
「そのラインナップに俺以外の何かが入ってたら怖すぎるだろ……」

 結女ちゃんは、俺の目をじっと見て。
 嬉しそうに、本当に嬉しそうに。満面の笑顔を見せて。
 で、その嬉しさが、ある一点を超えたところで。

 吸い込まれそうなほど綺麗な黒い瞳から、突然、大粒の涙が溢れ始めた。

「へ……? あ、ちょ……」
「……逢いたかった。沖継っ……」

 ふわり、と。
 結女ちゃんが、俺の胸へ飛び込んで。
 抱きついて、きた。
 俺にしがみついたまま、押し殺しても隠しきれない、静かな嗚咽が漏れ続ける。

「あ……その、え……?」

 演技? いや違う。紋付き袴の前身頃を握り締め、白くなった彼女の手。その震え。ぽつ、ぽつと流れ落ちていく涙の雫に込められた感情は、とてつもなく深くて強い。望まずして何人もの女の子を泣かせてきた俺だけど、こんなに心揺さぶられる涙は一度も見たことがなかった。つい抱きしめて慰めたくなる。いや、何とか堪えたけどさ。

 この結女って子、何なんだ?
 俺とは初対面、のはず、だよな?

「わ、っ、私の沖継くんから離れなさいっ、こらー!!」

 殺されかけのスズメバチ、もといコノが必死で吠える。俺はお前の所有物になった憶えは微塵もないぞ。ちょっと黙ってろ面倒だから。

「ちょ、ちょっと父さん、事情……説明、俺、もう、何がなんだか……」

 助けを求めると、父さんはニコッと優しく微笑んで。

「その嘘も、もう止そう」
「? 何が?」
「実はな、沖継。私は、お前の本当の父親じゃないんだ」
「…………」

 え、ちょ、マジで?

「はっはっは、薄々気付いてたんじゃないのか? ぶっちゃけ私の顔は全くイケてないし脚も短いし母さん以外の女にはモテたこともない。最終学歴も地方の二流公立大を中退だ。どれだけ突然変異を引き起こしてもいきなりお前みたいな息子が生まれるはずなかろう」

 こらこらこらこらこらこらこらこらこら! サラッととんでもねえことをカミングアウトすんな! ていうか冗談でしょ? 冗談だよね?!

「うふふ。ついでに言うとね、母さんとも血は繋がってないのよ」

 ギャー!! やめてよ母さんまでそんなこと言い出さないでええええええ!!

「でも、私がお腹を痛めてあなたを産んだのは確かなの。言わば産みの親……あら? ちょっと待って、産みの親って血が繋がってるって意味よね? あらららら?」
「母さん、細かいことは気にするな。もう面倒だから、赤の他人だと言ってしまえばいいぞ」
「そうね、そっちの方が簡単だし、便利かも」

 簡単と便利を安直に追い求めた現代社会がどれだけ大切なものを失ってきたと思ってるんだ! 現に俺のアイデンティティは音を立てて崩壊してる真っ最中だよ!!

「すぐに信じられないのもムリはない。しかし事実は事実だ。ほら、証拠もあるぞ」

 いきなり父さんが懐から書類を取り出して広げる。
 なんだこりゃ。戸籍謄本のコピーか。世帯主は源沖継になってて、その妻の欄には結女――え? ちょっと、あの、はい?

「あ、間違えた。見せたかったのはこっち。父さんと母さんの本当の戸籍」

 今度は世帯主・河守義則、妻・富美子って書いてあるんだけどそんなのどうでもいいよいや本当はよくないけどそれよりさっきの俺の戸籍もっかい見せろやごるぁ!!

「とにかく、私たちがあなたの親を演じてきた日々も、今日でおしまい」
「お前と過ごした十八年、本当に楽しかったぞ、沖継。末永く幸せにな」

 父さんと母さん――いや、もはや義理の親とか育ての親とか言うべきなのか――は、肩を寄せ合って満足げに微笑む。こっちにはもう、その祝福を受け止める余裕なんぞ一平方ミリもありゃしない。あうあうあうあう、という呻き声しか出てこねえ。

 そんな俺の頬を、いつの間にやら泣き止んでいた結女ちゃんが両手で包み込む。

「沖継。……幸せになろうな」

 結女ちゃんが、俺の首へ両腕を回して。
 ギュッ。と、抱きついてきて。

 ――チュッ、て。

 えっと、これ、一応、俺の、ファースト、キス。なん、だけど。
 あ、は、あははは。俺、家族をなくしちゃったけど、新しい家族ができちゃったんだね。プラマイゼロだ。わぁい。あは、あはは、ははは、はははははははははははははははっ。

「良かった、本当に良かった、良かった……」
「今この場で死んでも悔いはない……」

 抱き合ったままの俺と結女ちゃんの側で、父さんと母さんも抱き合ってだばだばと歓喜の涙を流す。会場に列席してる親戚連中まで一人残らず泣いてやがる。祝福ムード一色に染まりきった会場の空気は、やがて、誰からともなく始まった優しい拍手によって華やかに彩られ、万歳三唱の叫びをきっかけにして怒濤のような歓喜のうねりへ変わっていった。
 万歳、万歳、万歳、万歳、万歳、万歳、万歳、万歳。ご結婚おめでとう。沖継、結女、末永くお幸せに。万歳、万歳、万歳、万歳、万歳、万歳、万歳、万歳。

 そんな、幾重にも重なる祝福の声が。
 結女ちゃんに抱きつかれたままの俺の元へ。
 次々に、のしかかってくる。

 押し潰される。



「――――――ってお前らいいかげんにしろおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!! 意味わかんねえんだよおっふッざけんなああああああああああああああああぁ――――――――ッ!!」



 堪えきれずに感情を爆発させてしまった。親戚一同の万歳コールを押し返すのに充分な桁外れの声量に、会場がいっぺんで静まり返る。呆然とした全員の目が俺一人に注がれる。
 俺の胸にしがみついていた結女ちゃんも驚いて目を丸くしていたが、ここまで来たら彼女のことは後回しだ。胸に収まりきらない怒りの炎を言葉に変え、俺は両親を始めとした親戚一同を焼き尽くすべく大きく口を開けたまさにその瞬間に。

大   爆   発


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Amazonで販売されている電子書籍内でベスト50入り。後にKADOKAWAグループの電子書籍ストアBOOK☆WALKERにおいてインディーズ部門のロングセラー1位を獲得。同年のBOOK☆WALKER大賞インディーズ部門にもノミネートされました。本レーベルの代表作のひとつです。ぜひお楽しみください。 .

神代の昔から途切れることなく連綿と続く、とある夫婦の愛と戦いのマイソロジー。これが本当の“正史”かも?

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