夏の終わりーAIに分析できない感情

 8月31日、子供の頃は夏休みの最後の日であり、今日が夏の終わりという気持ちのケジメをつけたことが記憶に残っている。

 大学生以降は1年分のエネルギーの大部分は5月頃からのマリンスポーツで費やされ、ダイビングで多くの時間を水中で過ごし半魚人状態であった。9月中旬以降の台風シーズンになると夏の終わりを感じて半冬眠生活に移行した。 海にいることそのものが夏であった。社会人になっても暫くは繰り返された夏活動だった。

 家族ができ、自分の体力も劣り、生まれつきの内臓機能障害の程度も悪化という時間経過を経てマリンスポーツからも遠のかざるを得ず、夏活動の拠点とした別荘も売却した。海を見るのはアウトレット脇のヨットハーバーかハワイへ旅行へ行った時で、そこに季節感とのつながりはなく夏の終わりをしみじみ感じることもなくなった。しかし、

 2020年8月31日、年初めからコロナ禍で外出を控え、人混みを避け、旅行も行けず、と行動様式が大きく変化をした今年は季節感という時間軸による夏の終わりより空間的に海が遠くへ行ってしまったという感覚になった。 時間的なものはまた来年また夏が来るという期待感へ切り替わったが、今年は若い時を思いつつ海が遠のいていくというドヨンと暗い夏の終わりを感じてしまった。

 withコロナで時代は変わる!とコンサルタントで熱弁しながら、同時に時空が元の戻らない寂しさに心やられている8月31日である。 あの頃が懐かしいというアナログな気持ちはAI野郎では分析できないだろう。

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