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自分が意味する「自由」を考える。

よく「自由に生きよう」とか「好きなことを仕事にしよう」というフレーズを耳にするが、こうした言葉に憧れ、惑わされた人は中々残念な人生を歩むことになる。

というのも、SNSやメディアが一般的に述べている「自由」の概念は大袈裟に誇張されている傾向があり、自分の物差しで自由を定義できなければ、結局はメディアやインフルエンサーなどに搾取される道を歩んでしまうことになることが圧倒的に多い。

 誰もが一度は「自由になりたい」「自由に生きたい」と思ったことがあるだろう。だが、そこで一度立ち止まり、「自分にとっての自由とは何か?」をしっかり考えなければ、自由を求めて行動を起こしているのになぜか不自由になるという結果に陥ってしまう。

まず第一に、「自由」という言葉にはたくさんの定義があることを理解しなければならない。それは自由を考える人の数だけ存在し、自分にとっての自由と他人にとっての自由が違うということをきちんと認識しておくのが大事だ。

たとえば、「会社を辞めることが自由」だという人がいれば、「フリーランスとして働くことが自由」だという人もいるだろう。あるいは、「お金持ちになり、寝たいだけ寝て、行きたい場所に行き、やりたいことをやる」ことを自由だという人もいれば、「自由とは状況や環境ではなく、好きなことを考えることができる」ことこそが自由だという人もいる。

自由という言葉に抱く定義は人それぞれであり、他人の自由の定義ではなく自分だけの自由を定義することが大事なのである。

 よくテレビなどのメディアが喧伝している自由は、「仕事を辞めること」や「好きなことを仕事にすること」こそが自由だと述べていることが多い。だが、こうした自由の定義は、あくまでもストレスが溜まっている人や不満を抱えている人に対して響く定義であり、万人に通用する定義ではない。

 にも関わらず、SNSなどのメディアが訴えている自由の定義に影響され、「仕事を辞めて自由になる!」と安易に行動を起こしてしまうと、「こんなはずじゃなかった……。」と思うことになってしまう。なぜなら、その決断には「自分なりの定義」が組み込まれていないからであり、メディアの自由の定義を自分の自由だと勘違いしてしまうと、会社に勤めていたり仕事をしているときよりも不自由になってしまうのだ。

 さらに、最近はメディアだけでなくアーティストなどの芸能人も自由について述べている場面がよく見られる。音楽の歌詞は、アーティストが感じでいることを好きに歌うことができるため、そこにはどうしても「アーティスト自身」の目線での自由の定義が入り込んでしまう。

 そして、そうしたアーティストが歌う自由の定義を自分に適用してしまうと、これまた不自由を感じてしまうことになるのだ。アーティストが歌詞に載せて歌っている自由は、そのアーティストが人生の中で感じたことや経験したことを通して得た自由の定義であり、仕事も経験も感性も価値観も違う自分と自由の定義が一致するはずがない。

 だが、芸能人やアーティストという存在は、その存在ゆえに彼らが述べていることがすべて「正しい」と思われる傾向がある。これはSNSのインフルエンサーなどにもいえることであり、人は有名な人や社会的に影響力を持っている人を無意識に信用してしまう傾向があるのだ。

自由という言葉には魔力がある。「今よりも自由になれれば」「自由に生きれば幸せになれる」と思っている人も多いだろう。だが、ここまで述べてきたとおり、自由という言葉の自分なりの定義を持っていなければ、自由を求めて行動を起こしているのに不自由になってしまう。

自由を求める人間は誘惑に弱く、SNSやメディアやアーティストが述べる自由に簡単に振り回されてしまうのだ。自分にとって何が自由な状態なのか。自分が自由だと感じる瞬間はどんな時か。その自由を得る方法にはどんな方法があるか。

 自由について考えるときは「主観性」がなによりも大事であり、決して自己啓発本やSNSのインフルエンサーや、好きに音楽をやっているアーティストの自由の定義に振り回されてはいけない。自由は自分の物差しで定義するものであり、自分の感性、価値観、生き方を考えて決めるものなのである。

 現代の自由のイデオロギーに振り回されない、「自分なりの自由」をしっかり定義するようにしよう。

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