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人生には経験から得る知識の習得が必須である。

「どんなことでも無駄なものは何一つない」

こうした言葉を耳にしたことがある人も多いはずだ。実際、学校の先生や自分の親、友人や恋人にそんなようなことを言われた人も多いだろう。そしておそらくほとんどの人が、「そんなことは綺麗事だ」「無駄なことだらけだろ」と思ったことがあるだろう。

だが、私個人的な経験からいえば、「無駄なことは何一つない」というのは人生の真理であり、まさに現実の出来事のすべてを表している言葉だと感じている。というのも、以前「知識を深める重要性」についても読書を用いて経験的に意見を述べてきたが、「知識」というのもさまざまな分野に応用できるものであり、まさに「無駄な知識など何一つない」といえるものなのである。

ここで読書を例に出して説明していこう。知識の応用性があるというのは、ある分野で得た知識は、その知識を得たときには想像もしていなかった分野で生きてくることを指す。これは読む本によっても異なるが、何かしらの勉強のためや知りたいことを知るために本を読んでいると、それらの本をは何かしらの学問に分類することができるだろう。

人生や生きることについてなら哲学、人間の欲求や欲望について興味があるなら心理学、人体の構造についてなら生物学、個人の特徴なら遺伝子学といったように、知りたいことを本というジャンルで分類するとすれば、たいていの本は学問に分けることができる。そして、哲学で得た知識は心理学で生き、心理学で得た知識は生物学へ、生物学の知識は遺伝子学という具合に、知識はジャンルを超えて横断していくのである。

こうした応用は日常生活においても同様であり、普段の生活の中で何かしらの体験や経験をして得たことは、それとは別の瞬間で生きてくることがあるのだ。それはまさにパズルのピースが合わさるように、自分の中でアイディアとアイディアが自然と結合するのである。ある経験が点だとすれば、また別な経験も点であり、どこかのタイミングで点と点が線で結ばれる。

 これが「どんなことでも無駄なものは何一つない」という言葉に含意されている意味である。知識は応用することができ、体験や経験も人生という広範囲において応用することができる。生きていく中で得られることは、実はすべて根底でつながっているのである。今自分が経験している感情はパズルのピースであり、人生は大きなパズルを完成させるようなものだ。

人生には無駄なことなど何一つないのである。

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