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夫も子どももおいて一人参戦した12年ぶりのライブハウスが最高だった。

10年以上ぶりにライブハウスに行った。

記憶を辿ると、最後にライブでもみくちゃになったのは2012年。
当時大好きだったDOPING PANDA(略してドーパン)のライブに通い詰めていたころだ。

ところが彼らはその年に解散し、私の愛は行き場をなくし、新しい推しも見つけられないまま、ただただ悲しみに暮れ、徐々にライブに行くことも無くなってしまっていたのだった。

それから12年。
なんと件のドーパンが、ご近所の小さな箱にやってくるというではないか。
2年前に再結成したことは知っていたが、正直最新曲は聞いてないし、そもそもライブハウスのお作法を忘れてしまった。
ロッカーに荷物預けるんだよね? どうしよう12年前の色褪せた(まだ着ている)ライブTシャツしか持ってないんだけど何着ていったらいいの…?

30代も半ばとなったいま、あのころみたいにはしゃげるんだろうか…体力持つだろうか…

色んな不安が渦巻いたが、こんなチャンス2度とないかもしれない。
思い切って夫に相談したら背中を押してくれたので、息子を預けて一人夜の街に繰り出した。

さて、結果はどうだったかというと、端的に最高だった

小さい箱ならではの距離感。目の前でかき鳴らされるギター。お腹に響くドラム。心地よいベースのリズム。
ライブでしか味わえない臨場感と、同じ時間をアーティスト、そしてファンと共有している刹那感。本当にたまらない2時間半だった。

しかし最高だったのは音楽だけではない。

私が味わったのは「昔の私」という快感だったのだ。

さすがに12年前に解散したバンドだけあって、客の年齢層はちょっと高めだ。周りを見渡すと、ほとんど40代のお兄さま、お姉さま方。あとは20代前半くらいと思しき若者たち。(Welcome to ドーパメイニア!)

客の中ではちょっと若めの私ももはやミドサー。
とはいえ結局年甲斐もなく前から5列目くらいを死守して飛び跳ねた。昔の癖でつい前へ、前へと出てしまった。

心地よいリズムに目を閉じて体を揺らしていたら、自分の体から、ひとつ、またひとつと鱗が剝がれ落ちるような感覚になった。

母、妻、会社員、上司、部下・・・

普段意識せず身にまとっている、もはやアタリマエの私の役割。
12年前、ただの大学生だった私個人にはくっついてなかった役割。
それがぽろぽろ剥がれ落ちていくとそこにいるのは昔の私、というか「生身の私」だったのだ。

母だから、妻だからと言って普段そのことをストレスに感じているわけではない。この役割を愛しているし、私の人生そのものだと思っている。

でも、生身の私に久々に会った瞬間、急にすべてから解放された気がして、涙がぽろぽろ零れてしまったのだった。

アンコールに入り、ギター・ボーカルのロックスターことフルカワユタカがこう言った。

「最高の人生だ。俺はこの人生を愛してる」

そうだ、私もこの人生を愛してる。
この人生とはすなわち、今だけではなく、ここに来るまでの道のりすべてだ。
若かりし頃1人ライブハウスでもみくちゃになっていた私も、母となった私も、それでも時々生身の自分を恋しいと思う私もすべて、人生だ。


基本的にライブハウスは若い時の方が存分に楽しめた気がする。少なくともあの頃は、今回のようにジャンプしてもつま先が痛くなったり、上方を向き過ぎて首がおかしくなったりはしなかった。

ただ一つ良かったのは、この12年は私に経済力をもたらし、ライブ終わりに欲しいグッズをすべて買い漁ることができたことだ。
しばらくはこのライブの余韻に浸りながら暮らせそうで嬉しい。

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