三連休最終日をダラダラ過ごして罪悪感でいっぱいになった私の学び。
今日は本当にびっくりするほど何もしなかった。
3連休の最終日。
せっかくなので、普段行かないところに家族と足を伸ばして、何か子どもに新しい体験をさせてあげたいなと思っていた。
動物園がいいかな?遊園地がいいかな?
いろいろ考えていたのに私が起きたのは8時半。
息子が「少し体調が悪い気がするので、家にいたい」と言ったことがきっかけだった。(よく考えると4歳の割になかなかしっかりしたことを言う。)
とは言え私とて、起きて尚ほとんどの時間をパジャマのような姿で過ごし、気合の入らない顔、服装、髪型で1日を無駄にしてしまったことによる焦燥感と罪悪感でずっと胸がバクバクしている。
こういうことは時々ある。
こんな日は、夕方4時位になると大抵息が止まりそうになる。
今日1日私は何をしていたんだろう。
何も人のためになることできなかったな。とか、何も自分の成長につなげられることができなかったなとか。
後悔の念にさいなまれて、せめて罪滅ぼし的にちょっと凝った夕飯でも作ろうとしたものの、結局冷凍の塩サバを解凍してフライパンで焼いただけ。
家族は何も言わずに、普段通りおいしいと言いながら、さっき焼いたばかりの鯖と、作り置きのちょっとしたおかずを食べてくれたけど、私の心はモヤモヤしたままだ。
振り返ればそりゃあ確かに、「何もしなかった」と言うわけではない。
お昼ご飯にココイチのカレーをデリバリーして美味しく食べたし、おやつにポテチをつまんだし、合間に少し筋トレもしたし、昨日から始めたMinecraftの攻略本を読みながら、初期設定やベッドを作るところまではやってみた。
息子と一緒に遊んだり、絵本を読んだりもした。
ソファーで気がついたら気を失っているようなお昼寝もした。
こうやって振り返るとまぁ確かにダラダラしただけなんだけれども、普段土日と言えば、子どものリクエストに沿って公園で遊びまわったり、自分も体力を削られてナンボなことが多いので、ここまで体力を温存して過ごす1日と言うのは、私にとっては非常に貴重だったとも言える。
無駄な1日と言ってしまえばそうかもしれない。確かに何も生み出しはしなかったかもしれない。
でもよくよく考えると、大人になってからこうして1日ダラダラ過ごすなんて本当に贅沢なことだ。
「ダラダラ」と言うと、なんとなく「怠惰」とか「怠け」とか「無意味」みたいな言葉に瞬間的に脳内変換されるけど、実はその裏に潜んでいる「幸福感」とか「ほわほわした気持ち」とか、そういうものを感じられる力が弱くなっているのが問題な気がする。
何かする(DO)ことではなく、その日どうあったか(BE)に焦点を当てて、その時の自分の気持ちを大切にできたら、こんな異様な気持ちにはならないのかも。
うっわー めっちゃひまー
やらなきゃいけないことないー 最高〜!
もう一度こんな日があったら、その時は家族でパジャマDAYできるくらい心に余裕のある私でいたい。
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