見出し画像

ときどき思い出す後悔。どうにもならないやつも、どうにかなるやつも難しい。

先日、何かの本で読んだが、人が年を取って自分の人生を振り返るとき、一番後悔するのは”リスクを取らなかったこと”だそうだ。

勇気をもってチャレンジしなかったこと。
やりたいことを、何かと理由をつけてしなかったこと。

恐らくそういうことなのだと思う。

自分の人生の後悔について考える。
まだ30代半ばだけど、いくつかある。
それはどれも人とのつながりに関するものだ。

ひとつめ。
祖父がガンで闘病していたとき。
体が痛いのでさすってほしいと頼まれて、背中をさすっていた。
当時私は高校生だったと思う。
ずーっとさすっていて、手がひりひりしてきた。思わず少し休憩したとき、祖父がぼそっと「もういい。鈴(従妹)はもっと優しい。」といった。

少し認知症もあった祖父。悪い意味ではなく、自分の気持ちを素直に声にするところがあったと思う。
でも、手が擦り切れてもいいから、最後まで、もう十分だって言ってもらえるまで背中をさすればよかった。

ふたつめ。
もう5,6年前の話。
当時私は、自分が好きな「本」と、仕事で取り扱っている商材を掛け合わせた新サービスを作ろうと思い始めていた。
大学の先輩に大手出版社に勤めている人がいることを思い出し、コンタクトを取った。
先輩が快く担当の方につないでくれ、途中まで話が進んだものの、私の会社側の都合で進まなくなり、そのままなし崩し的に終わってしまった。

正式に話を終わらせず、またご縁をつないでくれた先輩の顔を立てず、そのままにしてしまったことを後悔している。

今さら突然メールで謝るのも変だろうか。
でもこのまままた何年も過ぎていくのは正しいんだろうか。
私がスッキリしたいためだけのメールに意味なんてあるんだろうか。
取り返しが”つく”ことなのに、何もできないでいる。

みっつめ。
高校生の時に仲の良かったヨウコさんという友達がいた。
彼女が結婚式に呼んでくれたのだが、直前になって私は高熱をだし、出席が叶わなかった。
私にとっては、人生で初めての結婚式の参列だった。

記憶が正しければ、そのとき私は謝罪のメールだけでなんのお祝いも送らなかったと思う。

無知を理由にできないが、本当にひどいことをしたと思う。
友人としての気持ちがあれば、もう少し何かできたことがあったように思う。

彼女とはそれっきり疎遠になってしまった。当然だ。
それに気づいた時、あとからでもいいからすぐにアクションを取ればよかった。
取り返しがつくようで、つかない。そんな後悔。

人とのつながりを保つのは難しい。
学生時代を経て、いろんなライフステージに属するようになるとなおさらだ。

大人になって人とつながり続けるには努力がいる。
そして、その中で自然と淘汰されていく繋がりもある。

当たり前だけど痛い事実。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?