カトリックとプロテスタント

カトリック

カトリックの教会がいつ始まったか、確かな年代は不明。(但し、カトリック教会は、その起源はイエス・キリストにあり初代の法皇がペテロであったと主張しています。)ただ、2世紀中期以降、徐々にカトリック教会の伝統が作り上げられた。ローマ帝国では首都ローマが政治的、経済的な面はもちろん、あらゆる面において地方都市の模範になっていた。首都ローマの権力ゆえに、ローマ教会の内外への権限と影響力がおのずと大きなものになっていった。

その当事、影響力のある教会はローマ教会の他に少なくとも2つある。エルサレム教会とアンテオケ教会。その様な中で教会間の権力闘争が始まり3世紀の初期ごろからローマ教会は、ローマ教会が使徒パウロとペテロによって建てられたという事を基に、教会のリーダーであるべきだと主張。

その後、2つの重要な出来事が起きる。

その一つはローマ皇帝コンスタンチンが312年にクリスチャンになった事。この事によりキリスト教がローマ帝国の国教になり、より権威主義的要素が強くなった。つまり宗教に政治的要素が入り込んできた。そして教会間での権力争いも激しさを増し、ローマ教会はその権威を一層強く主張。ローマ教会は、帝国の皇帝が教会員であるいう事もあり、権力を増していった。最終的に、ローマ教会の権威に他の教会も屈服するようになる。

第二の事件は、コンスタンチンがローマ帝国の首都をコンスタンチノープル(今のイスタンブール)に移した事。最初、この動きはローマ教会に不利に働くように思えた。しかし、事実はその逆。ローマ教会はローマから皇帝がいなくなったために、事実上のローマの支配者になった。そして、ローマ教会は、コンスタンチン皇帝から皇帝が住んでいた城を譲り受けた、という文書を作成し、民衆に示す事によって、その権威を内外に示した。15世紀にその文書は偽造された物であった事が発見された。このような文書は初めから存在しなかった。これはカトリックの方たちも認めるまぎれもない事実。

ローマカトリック教会の特徴は、ローマ教皇の権威、または教会の権威を掲げたこと。その当時のローマカトリック教会によれば、教会が神の恵みを与えるパイプであった。聖書は一般の信者の人々には与えられず。祭司は教会に来た一般の信者に聖書を読んで聞かせたが、それは伝統的にラテン語で読まれたために、一般の人々には理解されなかった。

プロテスタント

プロテスタントは、ヨーロッパのルネッサンスの一部、宗教改革によってもたらされた。プロテスタントの元々の意味は、英語で「抗議」という意味。カトリック教会に抗議するという意味で後に付けられた名称。初期の宗教改革のリーダーの中には多くの聖書学者がいる。ルター、カルヴィンなどは典型例。 

宗教改革には共通した3つの主張がある。

第一に、各々が聖書を読む機会が与えられるべきである、と主張。(この考え方は万人祭司といわれます。)これはルネッサンスにおける産業革命で印刷の技術が発達した事にも関連してくる。カトリック教会では、一般の信者は聖書を所有できず。ところが、この時代に聖書は英語に翻訳され、出版技術によって一般の信者の人たちに聖書が届くようになった。このような環境の中で、各々が聖書を読むべきだと言う考えが浮かび上がるのだ。

第二に、信仰と神の恵みによる救いを宗教改革者たちは訴えた。カトリックの信仰では、信者は赦しを得るために、ローマ教会への巡礼、祭司への罪の告白などの様々な事を行った。恵みによる救いという概念は、残念ながら中世のキリスト教にはなかった。それを宗教改革者たちは正そうとした。

第三に、教会の権威を認めながらも、聖書の権威を強調。(聖書が信仰生活のすべての基準)カトリック教会では教会の権威のもとに、聖書とは他にいろいろな決まり事を作った。これらの決まり事に、ある一部の宗教改革者達は反発を覚え、聖書の権威の重要さを強調した。

結論 

カトリックの権威は次のような順番。神>>教会>>聖書>>信者 プロテスタントの権威の順番。 神>>聖書>>教会(信者の集まり) カトリック教会は教会が恵みの取次ぎ者として考えている。聖書の正典を決めた教会の権威は、聖書の権威よりも上にたつと考える。プロテスタントは、聖書、神の御言葉に権威があると主張。その権威に基づいて教会形成をするのだ。その反対にカトリックは、教会(ローマ教皇)の権威によって教会形成をするともいえる。

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