ロボットと働くことについての考察
先日、キャリアコーチとお話をすることがありました。
働くことに対して、熱い想いを聴かせていただきました。
特にAIが普及し始めて、
今後、私たちの働き方は大きく変わっていくことが予想されています。
多くの仕事がAIやロボットに置き換わってしまうと言われています。
ところで、ロボットという言葉は、
チェコ語で「強制労働」を意味する「ロボタ」からきたものだと言われています。
さらにロシア語では労働のことを「ラボータ」と言うそうです。
ロボットとは、人間ではなく、労働の道具と使用されるもの…。
ロボットには、遊びや楽しみは必要ないのですが、
人間には遊びや楽しみが必要なんですよね。
そういう意味で、働くことの中に遊びや楽しみ、喜びを見出せるならいいですよね。
働くということは、ただ、ロボットのように単純な作業を繰り返すだけではいけない…。
創意工夫というものがなければ、自発的に働くということにならない。
しかし、効率や生産性を追求しすぎて、
コスパ、タイパを求めすぎて、
働くことに楽しむゆとりを与えない社会構造が、
自発的に働くことを難しくしているように思うのです。
もちろん構造の問題だけではなく、その他の問題もあります。
人は好きなことをしている時、
時間が経つことを忘れ、
それに没頭できる。
そこに、
金銭的報酬以外の遊び的な感覚や、
楽しみがあるように思うのです。
働く際に、嫌なことを無理にやらされ続けることが問題なのだ…。
そういう意味で、
自分の興味や関心のある仕事をすることが求められる。
しかし、全ての人が、興味や関心のある仕事につけるわけではない。
ただ、その時、仕事を通じて、
金銭的報酬以外の楽しみを感じることができるなら、いいと思う。
働くことを「労働」と捉えると、
その先に待ち受けるのは、「ロボット」なんだろう。
働くことを「端楽」と捉えると、
その先に待ち受けるのは、「楽しみ」なのかもしれない。