外交問題と国内問題の連動 ウイグル族亡命を問題視していなかった中国

 日中関係の悪化によって、中国は中国国内で福島原発を政治問題化して利用しています。対外関係の悪化によって中国国内で政治問題化させることは過去にもありました。今回の記事では中ソ関係の悪化とウイグル情勢の連動について取り上げます。

※11分あたりから話は始まります。

 中国とソ連の国境、現在の新疆ウイグル自治区の地域では国境管理がそこまでシビアではなく、現地の人々が普通に行き来していたみたいです。伝統的な新疆ウイグルの遊牧民は現在のような国境概念や特定国家への帰属意識がかなり希薄でした。国境警備も一応は存在していましたが、そこまで緊張状態ではありませんでした。しかし、60年代にかけ中ソ関係が悪化するに伴い状況も変化します。代表的なのは1962年に発生した新疆ウイグルの少数民族約7万人が亡命した伊塔事件(イリ・タルバタイ事件)です。この事件は中国国内ではソ連が反中プロパガンダを煽り、少数民族が亡命した事になっています。
 しかし、問題は中ソ関係が良好だった時代にもあった”亡命”のような状態がなぜ大きく政治問題化したか?その”亡命”に対して中国は何も手を打っていなかったのか?にあります。
 時を遡ります。1950年代、中国は新疆ウイグルの実質的な支配権を確立させますが、現地の少数民族とのコミュニケーション方法がなにも無いような状態でした。そこでウイグル人政治家セイプディン・エズィズィは、当時友好だったソ連のウイグル語の教科書を中国に持ち込みます。しかし、ソ連の教科書を使っていたので、その教科書には「私はソ連の国民です」「我が国の首都はモスクワです」という事が書いていました。スピーカの李丹慧先生は「当時、中ソ関係は良好だったので中央政府はこれを問題視しなかった」と言います。
 中国は1962年のイリ・タシュクルガン事件を受けて新疆ウイグルの民に三个一教育(三つの一つ教育)という愛国教育を強化します。三つの一つとは「祖国は一つの中華人民共和国」「その首都は一つの北京」「中国共産党の社会主義路線が唯一の方針」という内容です。
 イリ・タシュクルガン事件は元々の中国共産党の民族政策の無頓着さや新疆ウイグルの民の性質が、中ソ関係の悪化という対外問題が構造的に嚙み合った事で政治問題化した事件と言えそうです。

 

 


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