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彼女がいる、彼がいる/青春物語7

明日も仕事だからと早々にお開きになった。
課長からタクシーチケットを手渡され私ひとりタクシーで帰ることになった。
「そうだ、俺たち来週から研修センターで研修受けるんだよ」
メンソールを吸いながら永尾さんは言った。

「えっ?何日ぐらい?」
「1週間だったよな?」 
「そう。朝から晩まで研修するんだって」
永尾さんに問いかけられた小林さんが私の顔を見て答えた。

「私も去年行ったよ。4日間だったかな?朝ごはん前にマラソンしてさ、死にそうだった」
「俺たちもマラソンあるよ。で、一日中勉強会でしょ。テレビもないらしいじゃん」
「ない、ない。研修センターだもん。でも全国の支社の子と知り合えるよ」
「知り合っても男ばっかりだけどね」
そんな話をしているうちにタクシーが横付けされて私は乗り込んだ。

会社ではコンピューター化のため毎日残業が続いていた。
顧客のデーターベースを入力しつつ月末処理をする。
投げ出してしまいそうなぐらい忙しい毎日でも頑張ってこられた。
それはきっと永尾さんの存在があったからだろう。
彼はいつも遅く営業から帰って来ていた。
経理課を通る際に必ず「ただいま」と私の顔を見て言った。
そして帰り際にはいつも何かしら話しかけてくれていた。
そんな些細なことが少女のように嬉しかった。

その日21時が過ぎて部署の灰皿を片付けに給湯室へ向かってると「ねぇ」と彼が声を掛けた。
「俺さ、明日から研修なんだ」
「そうだってね。さっき課長が言ってた」
「なんだか行きたくないんだ」
「どうして?」
「1週間も行ってるとせっかく覚えた仕事を忘れそうだから」
「大丈夫だよ。それ以上に研修で覚えてくるんじゃない?」
「それに俺も忘れられそうだし」
「そんなの忘れられるわけないでしょ。入社して1ヶ月も経っているんだから」
「桜田さんも忘れない?」
「忘れるわけないよ。なに心配してるのよ」
「それならいいんだ。じゃあ」
そう言うと彼は給湯室の前でUターンした。

着替えて裏口から出ようとした時、彼が自販機でコーヒーを買っていた。
「お疲れさまでした」
「あっお疲れさま。バスある?」
「うん大丈夫。すぐ来るから」
「もう真っ暗だから気をつけろよ」
「ありがとう。じゃあね」

振り返ると彼が見送っていた。
いつかのように…
そしてドキドキしている私がいた。
いつかのように…

翌朝10時に彼ら新入社員は研修センターへ出発だった。
私はみんなが集合しているA会議室に顔を出した。
「タクシーが来ましたよ」
永尾さんが振り返り駆け寄った。
「ねぇ電話してくれない?」
小さな声で彼は言った。

「えっ電話?無理でしょ」
「だって俺、忘れられたくないから」
「だから大丈夫だって。それにセンターにどうやって電話するの?」
「呼び出してくれればいいから。お願い」
「じゃあ永尾さんの部署の子にしてもらいなよ。忘れられないように」
私は笑いながらそう答えた。

「・・・」
意外な反応だった。
彼はずっと黙っていた。
ドアを開けて出て行こうとすると
「それじゃ意味ないんだ!」
彼は少し怒った口調で言い放った。
私はそのまま振り返らずに階段を駆け下りた。
「なに?なんなの?なんで怒られなきゃならないの!」

彼には4年間同棲していた彼女がいる。
私にも1年間付き合っている彼がいる。
でもこの研修の1週間が私達の思いを結びつけるとは思いもしなかった。