いいご身分ですね

 安倍総理が急遽辞職を発表した。その前から、「総理が147連勤で疲れが溜まっている」「別荘に入って休んでもらいたい」などの声が自民党内から上がっていたらしいが、「首相動静」を見る限り、安倍総理は147連勤といってもほとんどの時間は私邸で過ごし、外に出て公務に取り組んでいる時間は民間の会社員以下であることが分かる。「別荘で静養しなければ休みと言わないのかな? 本当にいいご身分ですね」というのが、一生活者としての素直な感想である。

「いいご身分ですね」という日本語は面白い。字面だけ見れば相手を褒めているように見えるが、本当は強い皮肉が込められており、それと同時に発話者の偏屈な劣等感が読み取れる。本来誰にもついている「身分」という言葉に敬語の「ご」をつけ、更に「いい」といった形容詞を冠する、それだけで皮肉として機能する。自分自身の境遇について払拭できない劣等感を抱き、そのような境遇を変える手段を持たない人は、自分より優位に立っているかに見える他者に対して「いいご身分ですね」の皮肉の一つでも言いたくなる。人間というのは劣等感の塊だから、私たちの人生には実に様々な「いいご身分ですね」に満ち溢れている。

 言うまでもないが、私もまた心の中で「いいご身分ですね」と毒づきまくるような、ひねくれた一個の人間だ。テレビに出ている有名人が小説を書き始めるとたちまち注目を集め、ベストセラーになる。文豪の祖父を持っているだけで持てはやされる。容姿が良くてそれだけで人気が集まる。それらの人たちを見ていると、本当にいいご身分だと呟きたくなる。結婚相手が見つからないと嘆く人、離れ目くらいで悩んでいる人、家柄がよくてお金に困らない人、実家暮らししていて家賃や食費を払わずに済む人、日本人として生まれて何の努力もせずとも日本に居住できる人。自分にとって「いいご身分」の人たちを数え上げたらキリがない。しかしそれらはとりもなおさず、自分自身の――大した先祖も持っていないし大した家柄で生まれたのでもなく、それほど知名度も人気もなく容姿も優れておらず、結婚制度から排除されているし経済的にいつ立ち行かなくなるかも絶えず心配の種となり、ひょんなことで日本に居住する権利すら失いかねない、そんな自分自身の――うちに潜むどす黒い嫉妬と劣等感の反映にほかならず、それを感じる度に無力感に打ちのめされるのと同時に、自分は決して本質的なレベルにおいて善良な人間ではないという基本的な事実を突きつけられる。

 それでも、そんな私でも、誰かにとっての「いいご身分」になるかもしれない。これまでの人生においてレールを大きく外れたことはなく、休学したことも留年したこともなく、都内の有名私大の修士号を最終学歴に持ち、大企業で勤務した経験もある私は、難病を抱えている人や、どこかでレールを外れて「普通」とされる生活ができなくなり、ホームレスや引きこもりになった人たちから見れば、なんていいご身分なのだろう。今は作家業と翻訳業を営み、それで何とか生計を立てているが、文筆業だけで生活ができない作家仲間からすれば「いいご身分」なのかもしれない。それ以前に、小説を書いて原稿料をもらっている時点で、小説家志望者からすれば羨望の的かもしれない。Twitterでトランス排除問題を巡って論争が巻き起こり、私もそれなりに発言してきたが、「性的同一性で悩んだこともないくせに」と、一部のトランスジェンダー当事者から思われているのかもしれない。コロナ禍の中で取材を受ける機会があり、出版社を訪ねるとどこもサーモグラフィーカメラが設置されていて思わず珍しそうに眺めたが、毎日出勤してサーモグラフィーカメラを通らなければならずうんざりしている会社員の人からすれば「そんなものを珍しげに眺めるなんて、どうせずっと家に籠もれるいいご身分の人だろう」と思われる可能性も、なくはない。当然、そんな人たちからすれば私は「いいご身分」なのだろうが、そんな「ご身分」に辿り着くまでの苦労と闘争、味わってきてそして今もなお耐え続けている痛みと苦しみを、彼ら彼女たちには知る術がない。

 逆に、裕福な家に生まれた人や、文豪を祖先に持つ人、テレビに出ている有名人、私が目にできるのはいつも彼ら彼女たちの現在に過ぎず、彼ら彼女たちの過去について私は知る術がない。裕福な家に生まれた人ならではの苦労もあるかもしれない。祖先の文豪の影を脱却するために人並み以上の努力をしてきたのかもしれない。テレビで売れるようになるまで大変な苦労を積み重ねてきただろうし、生まれつき美人の人は、逆に外見ばかり注目されているがゆえにコンプレックスを抱えてしまうというのも、ありそうな話だ。総理大臣という職の苦労を私は知らないし知る手段もないが、今政権の中枢に居座るエライおっさんたちだって、それなりに苦労してきたのかもしれない。

 結局のところ、圧倒的な権力を手に握っている人でも、圧倒的な無力に押し潰されている人でも、私たちは他者に対する想像力が圧倒的に欠如している。自分の生しか生きられない以上、他者に対してひがみを抱くのは仕方のないことだし、マイノリティや社会的弱者が置かれている苦境を、社会構造の問題を顧みず過度に相対化するのも非常に危険なことだ。それでも、せめて文学の世界、小説の世界において、「いいご身分」などと毒づきながらも、他者への想像力を精一杯働かせてみたい。

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