見出し画像

LGBT関連のNGフレーズ集

 セクシュアル・マイノリティを題材に小説を書いていると、時々意味不明なことを言われたり、よく分かってもいないのに「分かっているつもり」で上から目線の評論を書かれることがあります。

 よほどひどいもの(「レズビアン小説を書くならエロスが必要」とか「外国人が書くLGBT小説という枠を越えられていない」など)については都度講演のネタにしたりエッセイで反論しているが、いちいち言い返すのも疲れるし、自分の基準はどこにあるのだろうと自問する時がある。

 この記事では、実にありふれた言説から、実際に言われたことがあるものまで、私が考える「セクシュアル・マイノリティを扱う作品を批評する際のNGフレーズ」や「セクシュアル・マイノリティの人々について語る際のNGフレーズ」を羅列してみる。自分用のメモも兼ねて。思いついた時に都度追加するし、読者の方も、何か思いついたらぜひ教えてください。

 中には絶対に「NG」とは言わないまでも、文脈的に適切かどうか再三確認しなければならないものもある。

※2020/9/13追記:
普段LGBTやセクシュアル・マイノリティについてあまり考えていない人にも分かるように、何故これらの評語はNGか/気をつけなければならないのか、という説明を付け加えました。
怒り指数高め。

※2024/4/28追記:
本記事を書いた2020年からだいぶ時間が経ちました。前回書いた内容はほとんど同性愛者を念頭に置いたものですが、ここ数年でトランスジェンダーに対する差別言説の盛り上がりを踏まえ、トランスの人々について言及する際に好ましくない用語を文末に補足しました。

・「禁断の恋/恋愛」
 →同性愛は禁断でも何でもないんで。
・「知られざる世界」
 →知らないのはあなただけでしょ。
・「LGBT小説」
・「カミングアウト小説」

 →必ずしもダメではないが、これらのレッテルで片付けて「分かったつもり」にならないことが大事。
・「LGBT枠」
・「ダイバーシティ枠」

 →いやそんな「枠」なんてないって。人を勝手に枠に押し込めようとすな。
・「流行りのLGBT」
 →やはりでもブームでもなんでもない。タピオカみたいに言うな。ずっと昔から存在しているし今も生きている人間だ。流行りとしてしか見られないあなたの感性にがっかり。
・「同性愛は今や全く平凡な題材」
 →同性愛など性的少数者が異性愛と同等の社会的地位と権利を手に入れ、平等が保証されるまでは、「平凡な」などとは安易に言わないこと。
 →もちろん同性愛を書くだけで自動的に「新しい」作品になることはないが、それは異性愛についても同じ。異性愛を描く凡百の作品について誰も「異性愛は今や平凡な題材」なんて言わないでしょ? なんで同性愛についてだけ言いたがる?
・「LGBTという言葉は市民権を得て久しい」
 →いや得てないって。差別されているし権利を保障されていないし苦しんでいる当事者がたくさんいるって。
・「ただの同性愛の恋愛/小説/作品ではない」
 →「ただの」だと悪いんかい?
・「同性愛という枠を超えた」
 →だからそんな枠がないし仮にあったとしても越えなくていいって。
・「性別を越えた愛」
・「女の友情を越えた愛」

 →いやいや越えてない。同性愛は同性愛だよ。むしろ性別を越えてるのは異性愛の方だろうが。
・「新しい愛の形」
 →別に新しくも何もないって。ずっと昔から存在する人間だって。
・「レズビアンの男役/女役」
 →レズビアンとは「女性を愛する女性」のことであり、男役も女役もあるものか!
・「同性愛も異性愛も変わらない/違わない/同じだ」
・「同性も異性も関係なく、愛はみな同じ」
・「異性も同性も隔てることのない『人としての愛』」

 →安易に同性愛を異性愛と同一視し、普遍化し過ぎると、同性愛ならではの性質(差別されている現状、差別されてきた歴史、生きる上での社会的な障壁)を見落としがちになる。「みんな同じ」と思考停止するのではなく、「違いがある」ことを認め、「違いを強要されている」現状を踏まえてものを言った方がいい。
・「同性愛が登場するとはいえ、描かれているのは普遍的な人間の物語だ」
 →「とはいえ」ってなんだ? 同性愛が登場すると普遍的な人間の物語になりにくいとでもおっしゃりたいのか?
 →「普遍」を強調し過ぎると、同性愛にまつわる現実を見落としがちであるというのは、先述の通り。
・「作中人物は親密な関係にあるが、同性愛とは言い切れない」
 →同性愛だと言い切ると何か不都合でも? 「確かにこの人は犯行の疑いがあるが犯人とは言い切れない」みたいに言わないでくれる?
・「登場人物は同性愛という設定だが、別に同性愛である必要/必然性はない(だから異性愛という設定でいいじゃん)」
 →必然性がなくて悪かったね。で、異性愛である必然性はどこにある?
・「1万人いれば1万種のセクシュアリティがある(だから同性愛は特別じゃないしあえて取り上げる必要はない)」
・「みんなどこかしらマイノリティ性を抱えている(だからLGBTのマイノリティ性を取りたてて強調する必要はない)」

 →いずれもセクシュアル・マイノリティが受けている社会的差別、生きる上での社会的障壁を矮小化し、無化することに繋がりかねない。
・「隙間産業」
・「普遍性がない」
・「マイノリティ要素てんこ盛り」

 →死ね。

【以下、2024年4月追記:トランスジェンダー関連】

・「体の性と心の性が一致しない」
 →「体の性」が何を指しているのか不明であり、トランスの人々の多様な身体的特徴を正確に捉えられていない。また、「体の性」と言う時に喚起されるイメージは往々にしてトランスの人々の実情に合わないだけでなく、有害な場合が多い。
 →「心の性」は実際に存在するものというより、トランス当事者がトランスではない人に何とかして性別違和の辛さを理解してもらうために編み出した、一種の比喩に過ぎない。今となっては「心に性別なんてない」「魂に性別なんてない」と主張することでトランスの人々の存在そのものを否定しようとする差別者たちによって好んで用いられるようになった。
 →トランスジェンダーという語について説明しなければならない時は、
出生時に割り当てられた性別性自認が一致しない人」
「出生時に割り当てられた性別と生活する性別が一致しない人」
「出生時に割り当てられた性別と経験された性別が一致しない人」
出生時に指定された性別のままで生きることができない人
 といった文言を、文脈に応じて使い分けるとよい。

・「生物学的性別」「身体男性」「身体女性」
 →「体の性」と同様、「生物学」や「身体」といったものを粗雑に捉えすぎており、トランスの人々の身体的特徴の多様性を正確に描写できていない。
 →また、現在ではトランスの性自認や、トランスの存在そのものを否定しようとする差別者たちによって多用されるようになっている。

・「性転換」「性転換者」「性転換手術」
 →「転換」という言葉は、あたかもスイッチの「On/Off」ように簡単に変えられるというイメージを喚起するが、これはトランスの人々の実態と異なる。トランスの人々は様々な努力をし、様々な場面で自らの性別を移行していくことが多い。これは時間のかかる地道なプロセスである。詳しくは高井ゆと里・周司あきら『トランスジェンダー入門』を参照。「性転換」の代わりに「性別移行」を使うとよい。
 →多和田葉子の小説『地球にちりばめられて』『星に仄めかされて』ではトランスジェンダーの「性別移行」を「性の引っ越し」と表現している。これはなかなか実態に沿った比喩ではないかと個人的に思う。引っ越しは時間とお金のかかる大変な作業だ。
 →「性転換手術」ではなく「性別適合手術」と言おう。

・「性転換症」
 →トランスジェンダーに対する理解がなかった時代に作られた、めちゃくちゃ古い診断名。今はもはや差別用語レベル。

・「性同一性障害」
 →「性転換症」ほどではないが、2024年現在ではもう存在しない概念。「性別違和」「性別不合」などと言おう。


書くためには生きる必要があり、生きるためにはお金が必要になってきます。投げ銭・サポートは、書物とともに大切な創作の源泉になります。