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読書記録『霧の向こうに住みたい』

「一万円選書」で選んでいただいた10冊のうちの1冊。
私にとって初(と思われる)エッセイです。


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作品について

霧のむこうに住みたい
須賀 敦子 著  河出文庫

内容

愛するイタリアのなつかしい家族、友人たち、思い出の風景。静かにつづられるかけがえのない記憶の数かず。須賀敦子の希有な人生が凝縮され、その文体の魅力が遺憾なく発揮された、美しい作品集。

河出書房新社作品紹介ページより


家にいながら海外気分

イタリアに限らず、ヨーロッパには一度も行ったことがありません。
ですが、これを読んでいるとき私はヨーロッパにいます。
テレビでよく観る賑やかしい観光地ではなく、人々の「暮らし」のすぐそばを歩いているのです。
人通りの少ない石畳の坂道、脇には色鮮やかな花々が植わっていて、庭先から陽気なおばちゃんが声をかけてくる。
行ったことも見たこともない、知らないはずの街並みを勝手に想像し、なぜかそこに暮らす人々の温かみまで感じられて、古い友人に久々に会ったときのような懐かしさが胸を満たしていきます。


人々の温もり

ここに登場する人々は皆個性的で、著者の人物描写はくすっと笑えます。
中でも私の1番のお気に入りは「ミラノの季節」の章に出てくる老夫婦で、
引用させていただくと

あるスタンドの前の水たまりで、まだ若いおかみさんだった彼女が、すべってころんだ。泥だらけになったおくさんを、旦那は、知らんふりして、おいてきぼりにしたというのである。ひどい人だ、とおばあさんは、まるで昨日の出来事だったかのようにおじいさんをにらみつけた。あっはあと、おじいさんは、歯のない口をあけて笑っていた。

ミラノの季節 P.102〜103

まるで、自分がこの老夫婦とお喋りしている気分になりませんか?
イタリアの陽気な人々の温もりに触れることができる章でした。



最も心惹かれた章

「となり町の山車のように」の章に出てくる時間と空間の表現に心を持っていかれてしまいました。

東京へ向かう夜行列車に揺られて、こんな一節が頭に浮かんだとあります。

この列車は、ひとつひとつの駅でひろわれるのを待っている「時間」を、いわば集金人のようにひとつひとつ集めながら走っているのだ。

となり町の山車のように P.118

また、パリからローマへ向かう夜行列車の客室で次のようなことを考えています。

一本、また一本とうしろに飛んで行く電柱だけが、この世で自分の位置をはかるたったひとつの手がかりのように思えた。

となり町の山車のように P.121

私は長いこと、通学・通勤で電車に揺られる生活でした。
働き始めてからは最終電車で帰宅することもままありました。
実家はかなりの田舎なので、利用する路線の最後の《街》と呼べる駅を過ぎると
一気に乗客が減り、客室には私1人、ということもあったのです。
流れているはずの景色は、住宅の灯りも街灯もまばらで、窓の外は闇。
途中停車するのは無人駅で、申し訳程度にホームを照らす明かりがあるだけ。
もちろん乗り降りする人はいません。
引用した2つの文は、その頃の記憶をそのまま呼び覚ますような表現で、
軽い言い方をすると「ほんまそれ!」でした。

この章は、著者の物書き人生が走り出したと思われる重要な章なのですが、
私にとっては、若かりし頃の虚しさと不安を代弁してくださった章になりました。



最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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