生産性の高い人生とは
生産性とは
生産性とは何であるか。
それはこのような公式である。
50歳となり、最近思う事は、今のように元気に体が動く期間というのは、後10年くらいなのだから、何かを成すのであれば後10年くらいしか時間は無い。
だから、生産性を高めなければならない。無駄な事をやっている場合ではない。
高齢で事業を興したカーネルサンダースと、年齢も大差なくなってきた。いよいよ私の人生は、何者にもなれないままに終わるのか。
という思いである。
今年も半分が過ぎる
今年も気が付けばもうすぐ半年を過ぎる。
1歳年齢を重ねて既に7か月が過ぎようとしている。
あっという間に時間が過ぎ去って行く。
私には好きな事がいくつかある。
文章を書く事や、料理をする事、写真を撮る事、映画を観る事、ジムで体を動かす事、などである。
いずれの領域も、プロや専門家が数多に存在しており、何も生産せずただひたすら消費する私は、ただの消費者にすぎない。
だが、私にだって生計を立てる為の専門領域くらいある。
ITの領域だ。
コンピュータシステムのソースコードを見ているだけで異常に興奮するという特異体質が原因で、エンジニアの世界に踏み込んだのが、約30年前だ。
生憎近年では、ソースコードを書く仕事から遠ざかる事が多く、最近はインフラ周りの仕事を主に対応しているが。
時々、気持ちの中で盛り上がって来るのが、単に消費者にすぎない領域で、所得を得られる自分になりたい、という欲求である。
だがしかし、その野望は常に瞬時にうち砕かれる。
専門書や雑誌等を手に取った瞬間に、一流の専門家の活躍の足跡が、私に「それは諦めよ」と告げる。
そして、私は本をパタンと閉じて、単なる消費者に戻る。
字を書いて生業にする事が何故自分にはできないのか?などと真剣に考えた後に、漢字検定3級に合格できないであろう自分、という事実と向き合う。
日本で字を書いて生業にしている方々の、国語力を日々目の当たりにしながらも、能力のギャップに気が付く事ができていない。
それは専門家の側からすれば、「なめられている」と感じる事なのかもしれない。
私の側からすれば「数値化できていないから判断できない」という状況だ。
数値化するならば、たとえば漢字検定である。
それは字を書く仕事だけではなくて、上に書いた他の消費者的な自分自身の社会との接点について、同じであろう。おそらく数値化する何かのモノサシは、私がその世界で所得を得られない事を、明示してくれることだろう。
選択と集中
ドラッガーが言うように、生産性を高める為に、選択と集中を推し進めるのであれば、私の人生は今後IT一択となり、わき目もふらず資格試験を受けまくり、ジョブホッパーのごとく、IT業界のヒエラルキーを駆け上がるべき、なのだろう。
『しかし、人生=ビジネスではない。』
時々、そのような価値観の人物に出会う。
「ビジネスビジネスって言うんでなくて、儲けなんてなくていいから、楽しく生きたい」
のようなマインドセットである。
人生に生産性を求める事は、ビジネスに己の魂を売り飛ばす行為なのだよな、と気が付かされる。
逆に言うと、私の場合はビジネスに魂を売り飛ばすくらいやらないと、何者かにはなれない、ということだな。その時点で既にビジネスの才能が無いというか・・あ、ビジネスももしかして消費者なのでは・・
身の程をわきまえ、ITの領域に選択と集中をしても、なんとか身の丈を食いつなぐのが精いっぱいなのでは、などと思いつつ😅
Flutterの講座をudemyで買ったので、勉強して、
アプリ作りに熱中して、頭空っぽにして気分転換しようっと。
ライフハック的にどうしても作りたいアプリがある。売ってないから自分で作る。
(udemyは明後日くらいまで四半期に一度の大セール中! 80%OFF,90%OFFは当たり前! 最後に謎に宣伝/笑)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?