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甲状腺がん退院後とこれからのわたし

アメリカでの手術~退院まではこちら

4. 退院

退院の日は昼前に友だちが車で迎えに来てくれた。手術の傷跡よりも一日中寝ていたから、背中が痛くてつらかった。その日は液体物だけで、固形物は食べなかったけど、夜にはもう食欲があった。こんな状況でも食べたい欲求に駆られたことに自分でも少しびっくりした。

お風呂は次の日から、バスタブに頭を向けて、母にシャワーヘッドをもってもらいながら、手術したところに大きなキズバンをはって、濡らさないように洗った。自分が母の介護をするよりも先に、母に面倒を見てもらうことにちょっと申し訳無さを感じた。私以上に、海外にいる娘が予期せぬ大病を患ったことは、ショックだったろうなと思う。

それから、毎日傷の消毒と塗り薬をしているうちに一週間たち、抜糸をする日にはもう傷はきれいになりはじめていた。

5. アイソトープと食事制限

この過程が今までの中で一番つらかった。残ったがん細胞を殺す放射線治療を受けるための準備として、ヨウ素の入っている食品の摂取を2週間禁止された。具体的には、海産物(シーソルトも含む)、乳製品全般、大豆製品全般禁止。となると、日本人の私は味噌やしょうゆ、だしといった基本的な調味料がダメになり、さらにアメリカはアーモンドミルクや豆乳などの植物性のミルクにもシーソルトが含まれていることが多く、いちいち食品の表示を確認しては食べられないことがわかり、落ち込んだり、いらいらする日々だった。

そして、治療当日。治療の効果や副作用などを医療通訳を入れて、かなりくわしく検査技師のおじさんが説明してくれた。治療自体は放射線のはいったカプセルを2錠飲むだけ。ただし、ここから約10日間隔離。人と近づいたり、食べ物の共有の禁止、食器は使い捨てのものを使う、水をたくさん飲んで尿から放射線を排出する、バスルームは自分専用の場所を決めて使うなど、追加ルールの下での生活スタート。

嘔吐や味覚症状などの一時的な副作用があるかも?と言われたものの、私の場合はそれななく、かわりに治療後2~3日目にかけて、あごから首筋がパンパンに膨れ上がった。話すことも困難で、呼吸ができなくなると思ったけど、検査技師のおじさんがすぐに電話で対応してくれた。その後も向こうから電話をかけて様子を聞いてくれたから、とても心強かった。

6. 感謝とこれから

がんって悪性腫瘍をとってしまえばそれで終わりと思ったら、そうでもないらしいことがわかった。手術をして、放射線治療をしても、完全にがん細胞がなくなるわけではないので、まだいわゆるステージ1の状態。

でも、日常生活は普通にできていて、唯一かわったのは毎日朝、薬を飲むことと起床時の異様な口の渇きくらい。傷跡も手術から約1か月半で、ずいぶんうすくなってきた。

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これから、もしかしたら転移するかもしれないし、何も起こらず普通に年をとって死ぬかもしれない。あるいは、ものすごく長生きするかもしれない。何がどうなるかはわからないし、それはがんであってもがんでなくても同じだと思う。

同じ甲状腺がんでこれから手術を控えているひと、不安な気持ちがあるひと、あるいはその家族や友だちなど、この記録が誰かの何かの役に立てていればうれしいです。

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