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占う先 後編〜人生のフラグ


自分で決められず迷ったときに、占いをしてみる、ガイドに尋ねる、そういうこともあるでしょう。
これらの目的は、幸せになりたい、苦しみから逃れたい、穏やかでいられる生活をしたいなど、素晴らしいハッピーエンドを求め、その道を探しています
そんな映画のエンディングは、実は冒頭のようでもあります。
物語の始まりは、何かの物語の終わりから始まります


私は若い頃に一時期、映画の予告編を作る仕事をしてました。映画専門チャンネルなどでは大量にある映画をそれぞれ予告編を作るのです。
山のように映画を見て、その映画の魅力の要素を編集して、面白い映画と見えるような作りにするのが予告編映像です。
当然ネタバレにならないように、エンディングは見せないようにしながら、予告編映像での帰結を出さないといけません。
1つの自分のテクニックがあります。映画の冒頭のシーンを、予告編映像の最後のほうに持ってくるのです。そうすると意味深のように締まりながら、その映画の特徴を表現することができます。つまり、物語の始まりは何かの終わりであり、物語の終わりは物語の始まりである気がします。

占いのおかげで理想のパートナーと出会いました。その最愛のパートナーとの結婚は物語の終わりであり、次の波乱の物語の冒頭であります
幸せな結婚式から始まる映画のように。

ガイドのおかげで使命を感じる天職に巡り会いました。その天職で事業を立ち上げた物語の終わりであり、次の波乱の物語の冒頭であります
意気込んだ事業者から始まる映画のように。

どんな道を選んでも、素晴らしい結果であると同時に、次の物語の原因になります。
私たちが生きている間は、何も終わらないし、全てが始まりです。
映画のように区切りの視点でエンディングを感じるだけで、区切り次第によって、ただの展開点ともなり得ます。区切りによってはハッピーエンドはただのフラグだったりするのです。

もちろん死んでからも新しい物語が始まるのでしょう。
映画などの脚本の中で、登場人物が死んでしまう原因となるシーンが死亡フラグと呼ばれますが(フラグの本来はプログラムの条件変数)、本当に死んだ時が、あの世での次の展開のフラグが立った状態なのでしょうね。

アシュタールさんの話される、何を選んでも学びになるというのは、何のフラグを選んでも、次のフラグに向かう道になるだけで、すべては物語が続いていくことのような気もします。

サブスクの次の見たい映画を気分で選ぶのもいいですし、しっかりレビューを見て予告編を見て確信してから選ぶのもよし、何を選んでもその次の映画を観るフラグにしかならないのかもしれませんね。
選んだ映画が、思ったものと全然違うかもしれませんし、思った通りすぎて面白くないかもしれません。
そんな映画を選ぶこと自体がドラマなので、占いやガイドで決めるのも、それ自体がドラマのフラグとなることでしょう。
どんな素敵な人生を選んでも、思ったものと全然違うかもしれませんし、思った通りすぎて面白くないかもしれません。


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