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ヨガして滝行しながらソース共振する光の戦士


エイブラハムさんの本質つく話がありました。
岩瀬アキラさんの書き起こしのところで見たものです。

我々が言う「意識を向ける」とは、単にあなたが人生で欲しいものだけに意識を向けることを意味してはいません。
我々が本当に意味していることは、あなたが「自分の感覚」をハッキリと自覚している状態になることです。
あなたは「ソースエネルギー」です。
しかし、あなたが「本当のあなた」のことを忘れたら、「何かを見て」「反応する」ということになるのです。

エイブラハム

だいぶ抜粋してます。
フルで見たい方は、以下のリンクでご覧ください。
https://note.com/akiraiwase_jp/n/n35e0c3030217


私なりに解釈するならば、引き寄せなどで語られる「対象するモノや現象に集中する」、これは原因ではないのでしょう。
やはり、自分が創造主である自覚が本質なのですね。
表現は色々あります。ワンネスでも、ソースと共振でも、ボルテックスでも、スターシードでも、光の戦士でも、なんでもいいんです。
自分が宇宙と共調しているんだ、実感の有無ではなく、自分の世界の責任者であり受容者である感覚なのではないかと考えました。
他者の世界と共有して生きているようでいて、そこには実体がなく、自分の世界を自分で創造している自覚。

その感覚になる手段は、瞑想でも、ヨガでも、楽器を使った周波数でも、マントラでも、何たらワークでも、滝行修行でも、なーんでも良くて、別に手段さえも不要なのでしょう。
大抵は手段が目的化してしまってますしね。


山を登っている最中に、頂上の景色を想像したり、そこで食べる用意した山ごはんを想像してワクワクしたり、そういうことに集中しても、それはあくまでも結果ですね。
一歩一歩と進んで既に山と一体化している自分が山そのものなのだと実感していると、天候が荒れたり不意な怪我にも慌てず、結果的に実現する。

ガイド」という山岳ガイドに頼んでもいいでしょう。安全に頂上に向かえるかもしれません。しかし時には説教されたりしちゃって、山を歩いている実感が薄れるかもしれません。それよりも標識マップのガイドや、自分で用意した地図ガイドの方が静かに自分に語ってくれてます
山岳ガイドはまだしも、街ガイドなんて余計な商品を案内されたり、ぼったくりのキャッチと変わらなかったり。

全然山を歩かない私が、わざわざ山で例えるくらい、全てと同調します。
こんな都合よく考えるのが「本当の私」です。


追記;
バシャールさんも興味深いこと言ってます。

我々は、ある特定の存在が作り出す出来事の背景を全て分かる訳ではありません。
私は、あなたが辿るべき一般的な道筋を伝えているのです。
具体的なことはあなた自身で見つけるのです。

バシャール

あなたの現実は、神が創ってるわけでも、宇宙の誰かが創ってるわけでも、ましてやガイドが創ってるわけでもありません。
やはり、あなたが、自分自身が創造主です。
それを認めなくても、それを認めないという現実をあなたが創っているだけで、他の何かに頼っても何も創られないという現実を創ってます
素晴らしい法則です。

アシュタールさんは、全ては自力ですと教えてくれました。同時に高次元は助けたがっているとも教えてくれます。

自分が創造主である自覚があれば、宇宙から共振という名のサポートがあるような気がします。
そんな自覚を持たず、宇宙にサポートをお願いする、宇宙にオーダーするというのは、神様に「おんぶして〜」と自分で歩く気がないということになるかもしれません。
私が「ガイド」だったら、歩けるのに背中に乗るな!と振り落とすでしょうね。
いろんな「神様」がいるから、そうでも優しくサポートしてくれるかもしれませんね。ただしその優しさは、優しさではないかもしれない。
この辺の深遠さが、素晴らしさだと思うのです。



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