男と女の「らしさ」
「男らしさ」「女らしさ」とは何でしょうか?
「男のくせに女々しいことを言うな」「女なのに気が強くて、男勝りだ」、社会にあるジェンダー概念を刷り込まれてきた結果、生まれた言葉です。社会の中で構築された、性別の「らしさ」について考える学問が「ジェンダー学」です。
男の子に「カッコいいね、強いね」、女の子に「可愛いね、優しいね」と声をかけて育てます。
赤ちゃんにも、「男の子らしい玩具」「女の子らしい玩具」を与えます。その選択は、赤ちゃんの意思は関係なく、世話をする大人が社会の「ジェンダー」による判断です。人は生まれたときからジェンダーを押し付けられて成長しているのです。
以上は、社会科学者の言葉です。
私の言葉ではありません。以下が私の考えです。
そんな断定する社会科学者の見解は、多くの人も納得するでしょう。
一方、10年前くらいに見た、自然科学の実験です。
猿の群れの中に、オモチャをランダムにばら撒きました。何も作為してません。
メス猿は人形を抱え、オス猿は自動車の上に乗ったのです。見事に「らしさ」に分かれました。
後天的なことだけではなく、先天的な何かがあるという事です。
その他の動物も、メスはメスの行動を、オスはオスの行動を成長と共にします。
自然科学では、性ホルモンが性格や行動に差が出ると考えるようです。
妊婦が精神的なショックな事があると、胎児の性ホルモンに影響を与え、子がトランスジェンダーの原因になるというのが、自然科学の中の医療科学の見解です。
こうなってくると先天的な事よりも、社会環境にもなってきます。
アシュタールさんのような高次元からすると、もっと意識の選択が起因しているのでしょう。
なので私の結論はまだ曖昧です。
しかし、私は理論から考えるので自然科学の方に偏ります。
後天的なもっともらしい理屈を述べる社会科学者の話も、社会が悪いのが、社会の「らしさ」だとする偏見かもしれませんよ。
あえて、こんなセンシティブなジェンダー問題を出したのは、ジェンダーを語りたいのではなく、もっともらしく語る社会科学者に惑わされるのは当事者本人になってしまうことへの懸念でした。
実は、社会科学者の論調が、ジェンダーの悩みを抱えている人を余計に苦しめているのではないかと疑っています。
その他の問題も含めて、私たちの自然科学は不完全だけど、社会科学はさらに混乱させてる気がすると、無責任な私が勝手に思ってます。