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過去も未来もなく、今だけを集中する苦行


今ここだけを感じなさいと、スピリチュアルの教えです。
過去も未来も、概念とはいえなぜ存在するのでしょうか。
必要があって存在していると考えます。
むしろ人生に彩りを与えるために過去も未来もあると思います。
過去に浸ったり未来に希望を持ったり、それを合わせた今を楽しむと深みが増します。
今の目の前だけ集中するというのは、薄い人生になるような気もします。

スピリチュアルをディスってるわけではありません。
高次元の方が今しかないとアドバイスしてくれるのは、過去を憂うな、未来を案じるな、だと思います。
突き詰めれば、嫌な気分になるなということです。
嫌な気分になると、あなたの望んでることにはなりませんよとの助言です。
過去や未来は、嫌な気分になる原因となり得る時があるからです。
過去や未来が、良い気分になる要素なら、どんどんその概念を利用したほうがいいような気がします。
過去や未来が悪いのでなく、いい気分になる事はなんだって利用すればいいのです。
悪い気分になる事は、なんだって捨ててしまえばいいのです。

夢中になれる事をしている最中なら、今に集中してますよね。ゾーンの体験です。
だからといって普段の生活に、杓子定規に今ここに生きるって囚われてるのであれば、それが問題になりますよ。
食事の時は、食べることに集中すると栄養になりやすい。
スマホを見ながらマッサージするのでなく、マッサージする箇所に集中すると筋膜に届きやすい。
こういうことで、それ以上でも、それ以下でもないと思います。

拷問中、それに集中すると苦しいです。イエスも磔にされながら、お〜クギが食い込んでる、あ〜どんどん呼吸ができなくなってる、なんて今に集中してないですよね。
左右の罪人に対し天国を示したり罪を赦したり、未来や過去を語りましたね。
この世界も、ゆるい拷問中みたいなもんです。
ゆっくり心を締め付けてるなぁって実感するよりも、未来に希望を持ったほうが気分良く過ごせます。
過去に引きずられやすい、未来に不安にやすい、
それぐらいの事なんでしょう。
過去や未来の幻想が問題なのではなく、自分の過去や自分の未来に良い気分になれないことが問題なのかもしれません。
どうせそうなら今にだけ集中しなさい、というアドバイスなるでしょう。
なのに、今に集中できない自分を嘆いたら、本末転倒です。
今に集中できる人になれたら、過去も未来にも嫌な気分にならない人になれる、それぐらい今に集中するのは修行僧にも難しいことです。

苦しみを逃れるために苦行する。

いろんな教えは、それ自体が素晴らしいことなのに、それにとらわれて苦しむ、私たちはそんなナンセンスなことをやってしまいがちですが、いい気分になれることならどんな手段でもいいんでしょうね。
悪い気分をやめようとして悪い気分になる。
このループから解脱しましょう。


追記:
この記事は以前に書いて下書き保存してましたが、さやかさんアシュタールさんのところで素晴らしいお話があったのです、便乗してupします。
いい気分か悪い気分かで、手法ではない。
ホントそう思います。


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