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シーマンを楽しむ爬虫類脳の興奮


シーマン(SEAMAN)というゲームを覚えてますでしょうか。
20年位前に流行った育成シミュレーションゲームです。
若い人は知らないですね。いい大人の人は、プレイをしてなくても、そんなものがあったと思い出す人もいるでしょう。
人の顔をして会話をする生物「シーマン」を水槽内で飼育します。
音声認識機能があり、プレイで会話をしながら、奇怪な容姿とふてぶてしい態度で盛り上がり、社会現象にまで至りました。

当時は技術的な問題もあり、自由でいて幅に限界があるから、すぐに飽きられてしまいました。
現在は飛躍的に技術が発展したから、もっと高度な育成ゲームができそうですね。
しかし、シーマン当時から、これからバーチャルリアリティーAIが社会を席巻するような気配でしたが、世間は望んでいるようで望んでません。
セカンドライフも消え、スマートホームもブームに終わり、ソフトバンクのペッパーは在庫の山、METAバースも失敗だし、いつの間にかvtubeみたいな着ぐるみを着た人と会話するような、先端技術なのかレトロなのかよくわかんないことになってます。
VRが爆発しそうで爆発しない、何か潜在的には育成やバーチャル空間など求めてますが方向性が見えません。

その中で、育成ゲームの楽しさは何でしょう。
双方向リアルな関係性でありながら、どこかで支配者でいる感じがあるような気がします。
プレイヤーは、奇妙なシーマンを自由にさせながら支配している感覚。
もしかしたら、レプティリアンも私たちをシーマンのように扱って楽しんでるのかもしれません。

確かに私たちは奇妙でふてぶてしい態度してますね。神を崇めながら傍若無人に勝手に生きて、勝手に苦しんで嘆き、勝手に喜んで盛り上がってます。水槽という囲いの中を自由に見せかけて、自由自在に締め付けていく加減で、シーマンな私たちは右往左往してます。その狼狽する姿を見て楽しめるゲームのようです。
確かにふてぶてしいシーマンがのたうち回ってると、プレイヤーは爬虫類脳の興奮状態になるの分かります。

さすがレプティリアン、技術力高く、私たちはシーマンよりも遥かに多岐に複雑にリアル世界に君臨して育成管理されてます。
そんなゲーマーのレプティリアンのそばで、肉体を持たない高次元の方は、時々、音声認識装置を使って私たちシーマンに語りかけるのでしょう。水槽の中はナンセンスだと教えてくれながら、私たちは水槽の外を知らずに、水槽の中で解決しようとします。私たちシーマンは自分の本当の姿を知らずに自分のままでいようとします。

自分がシーマンではないと電源を切らした時に、ゲームの外にいる自分を気付くのでしょうか。
この事実を知ったとき、水槽の中でも自由にできるのでしょうか?、それとも、水槽の外でしか自由になれないのでしょうか?

なぜ突然、シーマンなんて変なゲームを思い出したのでしょう。自分がシーマンになっていると気づいたのでしょうかね。
それとも顔が似てきたかな?、それは困る。

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