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「闇の勢力と光の使者」


光と闇があります。
闇とは光がない状態と言われます。
では何もなければ闇なのでしょうか。
まるで闇がベースであるようになってしまい、それは正確じゃないと思います。

黒が在る、となり、では黒がなかったら何が残るかになってしまいます。
なので、「光がないから闇になる」ではないと考えます。

少なくとも地球人の科学的に考えると、黒色とは光吸収率が高い状態であり、物質で言えば高密度の結合力が高い状態です。
逆に言えば、光とは拡散している状態であり、高周波分子運動で分離し続ける特性です。
ならば、闇こそ統合の象徴です。
光が暴れ回ってる混乱を生んで、闇が収めて秩序を保っているとも言えます。
聖書の中で、悪魔によって殺された人の話はほぼなく、神の行為や指示によって殺された数は解釈によりますが数千人じゃすみません。


光と闇は、善と悪ではなく、
放つ方と収める方、攻めと受け、磁力線の出るところNと入るところS、ピッチャーとキャッチャー、などと、一体で在ることではないでしょうか。
「地球上の闇の勢力が悪くて、選ばれた光の使者が天国にする」、こんな発想は、むしろバランスが悪くなってしまうことかもしれません。

光と闇は、攻めと受けの一体。
私たちは、ごく小さな部分を見て判断しているだけの可能性があります。


仏教の思想に、有為「つくられたもの」、無為「つくられないもの」、こんな表現があります。有為とは常に移り変わるもの無常なるものであり、無為とは常なるものの意味です。
因縁による生滅する有為と、因果を離れた不生不滅の無為と分類されます。
光と闇は意図する動き、つまり有為であり、そんな状態が一体であると無為でもあります。

有為の流れの中で、無為の意識で居る。
などと、光でも闇でもないグレーな半端者の私が考えてみました。

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