福澤諭吉とインディオの言葉の発想。 自由だったから「自由」がない
資本主義の一面として、自由主義と表現することもあります。
中央集権が規制する統制経済に対して、市場原理に委ね、規制を緩める方向な自由経済体制のことを自由主義といいます。
しかし、この表現に違和感あります。
自由主義こそ不自由主義だなぁと。
自由主義こそ競争激化で息つく暇がなく不自由ですね。
成長が宿命づけられた社会。
自由とは何でしょうか?
幕末後、開国し西洋文明が入ってきました。
福澤諭吉が、西洋の言葉や考え方を日本語に置き換えました。
「自由」という言葉は、福沢諭吉が、libertyやfreedomを「自らをもって由(行動の理由)となす」と訳しました。
なぜ江戸時代までは、自由という言葉がなかったか。
自由がないほど不自由だったと考えるのは逆です。
自由だったから、自由という概念が無かったのです。
健康は不健康な世界だから存在する。みなが健康だと「健康」は無いです。
西洋は不自由な競争の厳しさ、階層による主従関係を超えた区別社会があるから、アンチテーゼとして自由の概念を生み出しました。
アメリカ先住民・インディオには「幸せ」「自然」という言葉がなかったそうです。
これも、幸せじゃなかったから「幸せ」が無いわけではないですね。「不幸」という感覚を持っていなかったからです。
当然、自然の中にいて、それに反する不自然なことがないから、「自然」が無いのでしょう。
比較があるから生まれる言葉の概念です。
話を戻します。
自分からという考えも薄いです。
日本語は主語を重視してません。自分がという意識が弱いからでしょう。
あらゆる行動が、村のため家族のため皆んなのためがほとんどで、自分の為は厠(トイレ)とか日常的なことで、自分一人の為という自由かの発想する必要がなかったのではないでしょうか。
自分の将来なんてほとんど想像通りの世間で生きていたら、我なんて今ほどなかったかも。
漢字の母国の中国にも、自由という言葉がありませんでした。逆に中国こそ不自由さしかなかったからでしょう。出自で決まり、科挙という過当な競争でしか自分の運命は乗り越えられません。
今の個人主義の極致は、そんな長い土壌で作られたのでしょう。
economyを経済と訳したのも福澤諭吉のようです。
経世済民、
世の中をよく治めて人々を苦しみから救うこと。
福沢諭吉、ダテに万札ハッてないです。
(紙幣になるのだからアッチ側論は別の機会に。
自由という名のレジスタンス、旧体制に抵抗して権利を掴め、という名の新しい体制に迎合させる意図もあったかもしれません。自身の自覚はわかりませんが西欧思想を浸透する役割だったのでしょう)
「新聞」「演説」「哲学」「社会」「資本」「思想」なども、明治以降に作った言葉です。
西欧諸国と思想も社会も大分違かったからこそ、なかった言葉が多いのでしょう。
そんな日本で作ったこれらの言葉が、中国に渡り使われるようになりました。逆輸入です。
漢字というより和字ですね。
自由が大事とされる今の社会は、相当に不自由な社会だということですね。
「私は」という主語で考えると不自由な社会を感じます。「それは」とか「私たちは」という主語で考えると自己と他者の分離から離れるかもしれません。
Not “I am” , but “it is” .
不自由の中だから自由を求めます。
自由な世界は「自由」がなくなります。
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