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お金の◯◯感覚を考える


経済的な通貨から続きまして、生活に根づくお金の話です。
お金は便利な道具です。
お金のおかげで公平な取引ディールが成立します。
物との取引、サービスとの取引など、お金の数値が値段として、等価の価値との交換取引をします。
お金に罪はありません。

しかし、お金によって苦しむこともあるので、お金のない社会を作る動きもあります。
その社会で、掃除したから料理をしてねと、取引になったら同じことですよね。
また、物々交換になったら、等価価値にするのが不便な、ただの取引です。
そもそも、お金を稼ぐための意にそぐわない労働も、自分の能力との取引です。
つまり、お金が問題なのではなく、私たちが取引の感覚を持つ限り、どんな社会になっても同じなのでしょう。


取引は冷たいです。思いやりや優しさも消し去ります。
しかし、親しい家族同士の間でも、取引の感覚を無意識にしてる人が多いのでしょう。
先の、掃除したから料理をしてねと家事を取引したりしてます。
私がこれをしたから、あなたがこれをしなさい。家族間の労働取引です。
良い子にしていれば、サンタクロースはやって来る。
悪い子にしていると、鬼に連れていかれる。
子育てがディール取引になっている家庭が多いと思います。
成功報酬も取引です。
あの学校に受かったから海外旅行。
この宿題やれたらアイスクリーム。
思いやりであるはずの家庭でも、取引が横行してます。
それだけ取引は便利なのでしょう。
その便利な最たるものがお金です。
お金を悪者にしたらお金に気の毒です。

まず私たちが、取引感覚になってないかに目を向けることが大事かもしれません。
この先に、どんな社会になろうとも、お金の存在の有無がどうなろうと、取引を超えた状態でありたいですね。

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