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あなたに合うツインレイとの漕ぐ疾走感


Google フォトって、何年も前の写真が無作為に通知されてきたりしますね。
私が、子どもの三輪車に乗って漕いでいる写真を見ました。我が子が楽しく乗ってるのを見て、自分も乗ってみたくなった時のです。
大人が三輪車に乗ってキコキコしていると、うまくできないし、もどかしくなったりします。
まぁそれが面白さで、三輪車に乗ってる自覚があるので不快ではありません。
これって、自分が三輪車に乗っている自覚がなければ、かなりイライラするんじゃないでしょうか。

私たちは生活の中で、上手くいかないことに嘆いたり怒ったりしがちです。
なんで一生懸命に漕いでいるのにうまく進まない、努力が間違っているのではないかと自分を疑います。
もしかしたら、人生の中の努力が間違っているのではなくて、乗ってる自転車が間違っているのではないでしょうか。

生活の中で、あがいてもあがいてもうまくいかないから苦しい思いをしてます。
自転車を乗って漕いでる(一生懸命に生きてる)のにうまく進まないのは、道が合ってないとか路面が悪いとか坂だからとか外に目を向けガチです。
自分を見つめ直し、漕ぎ方が悪いとか、筋力がないからとか、自分を問題視しすぎると自己否定になり余計に苦しみます。
どうせ”漕ぐ“(生きる)という行為をしているなら、実は乗ってる自転車(生き方)が合っているのかを考えるのが重要なのかと思いました。

最近はスマホや周辺機器など充電するのが多く、コッチのを挿したりアッチのを挿したり抜き挿ししてます。
あれ充電されない、壊れたか?再起動が必要か?なんて複雑に考えてるウチに、こっちのコンセントに挿さってなかった、アホくさ、なんてことがあります。
大人なのに三輪車に乗ってたの気づかないだけ、アホくさ、なんてことがあるのかもしれません。

三輪車じゃなく大人の自転車で、ギアに合わせて漕ぐことで、やってることがダイレクトに進み快適な疾走感になります。
科学の恩恵で電気自転車でも快適です。
平地のロングランにはロードバイク、悪路の山道はマウンテンバイクのサスペンションで吸収など、道に合わせた(人生に合わせた)自転車選びで快適な走りになります。

人生の走り方ではなくて、単なる選び方、自分に合った物の探し方、そういうことかもしれません。
「とうとう探し見つけたツインレイ、運命の人、それは3歳でした。」
これじゃぁ相手は三輪車だけど、こちらには無理ですね。
運命の人、運命の道、そういうことではなく、その時の自分に合った自転車選び(生き方選び)、それが快適な人生の疾走感につながるのかもしれませんよ。


あなたは十分に漕いでます。
漕ぎ方や道が悪いのではなくて、必要なのは、
自分の手元や足元の違和感に気づくだけかも。



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