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幼児的万能感を引きずった大人ですか?、ゲーテさん

私は子供の頃、自分が世の中を変えるような気がしてました。
子供のアホな感覚なのですが、妙な感じがしたものです。

心理学では、「自分は何にでもなれる」と、子供には万能感があるようです。
調べてみたら、幼児的万能感と呼ばれ、大人になっても引きずってる人がいることが問題になっているそうです。
「たまたま運が悪かっただけ」とか「まだ本気出してないだけ」と、責任転嫁したり、負け惜しみのような言い訳を口にします。

この幼児的万能感とは、まっったく違いますね。
私の子供の頃は妙に大人びていて、プロ野球選手になりたいとか、ミュージシャンになりたいとか、大して裏打ちは無いのに夢を思い描くというものはなかったです。
ただ、自分には関係ない社会には関心を持たないで計算高く自分の幸せだけを追求するための偏差値を上げていくような出し抜く努力、というものもしませんでしたね。
かといって、社会に役立ちたいとか、正義感も全くありませんでした。
政治家になったり公益的な仕事をしたいなとも全く思いませんでした。
ただこの世の中を知りたい、知り尽くしたいと思ってました。
世の中の考え方を知って、変わるのではないかと思ってました。
自分だけの日常的な幸福だけを追求するのでなく、何かが全体を変えるのではないかと。
まぁいろいろ限界があるもんで、何がどうできたわけではない無力感もあるんですけど、今から考えれば、自分が自分の世界を変えるという概念の端っこを感じたのかもしれませんね。

なぜこんなこと書くのかと言うと、この前ふとコメントしたことがありました。

自分が世の中を変えられると思うのはエゴか、
自分だけの生活が良ければと思うのはエゴか、

どうせエゴなら大きいエゴでありたいと、私は考えて記事やコメントを書いている。

何気なくこんなこと書いて、子供の頃の妙な感じを思い出しました。
高次元の話で言えば、自分の現実は幻想なのだから、自分の意識で自分の世界を作っている。
確かにそうですね。ただもうちょっと先に飛躍してみたいです。
さらに高次元の話で言えば、自分と関係のない闇の部分を見ると、自分が引きずられる。一方別の機会には、闇の部分を知ることで闇の部分から離れることができると言われます。
これは人が気分良く過ごすための処世術で、根本的な話とはちょっと違うような気がします。
わざわざ高次元の方が私たちに関わること自体が、何か影響与えてくれようとしています
私たちへのテクニックとして言ってるのであって、影響与えることを否定してませんね。

スピリチュアルに触れ出した人の多くは、自分の現実を何とかしたいと思ったからでしょう。
それで良いのですが、同時に自分事と他人事の違いとは何かも感じてくるでしょう。
自分事と他人事を分けて考えるのは処世術です。でも本質は同じ事かもしれませんよ。

よく宇宙にオーダーってありますよね。
宇宙が自分と別存在だと考えると伝わらないのかもしれません。
宇宙も自分の薄い存在だと感じれば、自分の周りの薄い自分の宇宙と同調する、つまり自分事と他人事は繋がっているから、全部自分事となり、世の中と自分が同調し現象する、などと考えたりします。

あっと、気づきました。
スピリチュアルにある「スターシード」と、私の言いたい感覚とは全く違います。
スターシードは、うんまあ、みんなそうじゃない?、あえてそう意識するのは別の意味になりますよって思います。


私が世の中を知ろうとしているのは、そこから何かを知って、そこから何かを変えられることを知る、こういうことかもしれません。
世の中に影響と言いながら、世の中に全く役立たない記事ですけど、子供の頃の妙な感じを書き記すことをお許しください。
幼児的万能感を引きずった大人とは違うんだよなぁ。亜種か?

微妙なのですが、「自分が世の中を変えられる」ではなく、「自分が世の中を変える」です。
「自分があなたを変える」でもなく、「自分が自分の世界を変える」でもないです。


たまたまゲーテの詩をみてたら、

人間の最大の価値は、人間が外界の事情にできるだけ左右されずに、これをできるだけ左右するところにある。

ゲーテ 「ヴィルヘルム・マイステル」

うまいこと言いますね、ホント。

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