見出し画像

四国方言アクセントの3段階京阪化の歴史的背景 ー弘法大師と堺と大坂とー


四国方言は主に京阪式系のアクセントと言われるが、詳細に見ていくと、地域的に様々な時代のものが混在している。金田一(1977)によると、四国の京阪式系のアクセントについては、以下のようになっている。

・讃岐式アクセント・・・平安時代の京都アクセントが変化したもの
・徳島・高知のアクセント・・・室町時代の京阪アクセントに近い
・松山のアクセント・・・現代の京阪アクセントに近い

この違いはどのように生じたのだろうか。

日本語の方言のアクセント(Wikimediaより)
四国方言のアクセント詳細分布図(金田一1977より作成)

これを考える上での大前提として、日本語はもともと無アクセントであったと考えなければならない。日本語はもともと無アクセントだったところに、ヤマト王権(シナ系天孫族)が畿内に京阪式アクセントをもたらしたことで、周辺では元来の無アクセントと接触して東京式となった。(このメカニズムについては、拙稿「無アクセントの基層言語(固有起源)による「高低逆変換アクセント」の生成 —日本語方言東京式アクセント及び奈良田・蓮田アクセント形成に関する新仮説—」にて詳述している。)

四国も、奈良時代頃には東京式アクセントが北東部・沿岸部を中心に分布し、内陸部や南西部には無アクセントが分布していたものと推定される。(現在でも四国の西南部の山間部には無アクセントが分布するが、これは古語の残存である。)

すなわち、四国の京阪式系アクセントは畿内からの影響によるものであり、別々の時代のものが分布しているということは、それぞれ別々の時代に京阪方面から影響を受けた結果と考えられる。

・讃岐式アクセント・・・平安時代の京都アクセントに由来
・徳島・高知のアクセント・・・室町時代の京阪アクセントに由来
・松山のアクセント・・・江戸時代以降の京阪アクセントに由来

では、その歴史的背景は何なのか、探っていきたい。

讃岐式アクセントの成立と背景 ー観音寺・善通寺と弘法大師信仰ー

讃岐式アクセントは、平安時代の京都のアクセントに由来するとされる(金田一1977)。現在では香川県、徳島県北西部、愛媛県東部に分布する(中井2002)が、その祖型に最も近いのが現代観音寺市などの西讃岐のアクセントである(下表)。すなわち、讃岐式アクセントは観音寺などの西讃岐から広まったと考えるのが自然である。

平安時代の京阪式アクセントと讃岐式アクセントの比較表


讃岐式アクセントの系譜(アクセント表記法は上図に同じ)

観音寺市にはその名の通り、真言宗の観音寺がある。観音寺は平安時代以降、非常に隆盛を誇った。807年には弘法大師が入山し、桓武天皇はじめ三代の天皇の勅願所となり、室町時代には足利尊氏の子・道尊大政大僧正が45年間住職を務めるなど隆盛を誇った。

西讃岐には、同じく真言宗の善通寺もある。善通寺は東寺、高野山に並ぶ真言宗の三大霊場である。弘法大師の出生地が現在の善通寺市であることもあり、弘法大師信仰が盛んになった鎌倉時代に興隆を迎えた。

真言宗の僧侶は、多くは平安京(京都)の東寺(真言宗の根本道場)で修行を積んだはずであり、観音寺や善通寺の僧侶もまた京都ルーツの者が多かったであろう。平安時代後期から弘法大師信仰が盛んになったこともあり、四国における当時の善通寺や観音寺の影響力は、現代の我々が想像する以上のものだったと思われる。(今でも四国では弘法大師(お遍路さん)信仰が強い。)

観音寺や善通寺の僧侶が話す当時の京都言葉は、その文化的先進性をもって周囲に波及していったものと考えられる。特にアクセントについては平安時代から鎌倉時代にかけての京言葉由来のアクセントが、観音寺や善通寺を中心に広まった。こうして讃岐式アクセントが誕生したと考えられる。

観音寺や善通寺を中心に拡散した讃岐式アクセントは、讃岐全域、阿波北部、伊予東部まで広がったと考えられる。

平安時代末~鎌倉時代前期頃に、観音寺や善通寺を中心に、真言宗僧侶のアクセント由来の讃岐式アクセントが誕生、分布を広げ始めたと考えられる。
鎌倉時代後期には讃岐式アクセントが讃岐全域、東予、阿波北半まで分布を拡大したものと考えられる。

徳島・高知のアクセントの成立と背景 ー室町時代の堺のアクセントー

徳島と高知のアクセントは室町時代の京阪式に近いとされる(金田一1977)。徳島・高知とも京阪式は沿岸部に分布しており、内陸部は東京式との接触で形成された垂井式アクセントであることから、海路による京阪方面からの影響で、アクセントが京阪化したものと考えられ、その時代は室町時代と考えられる。具体的には、中世の交易都市「堺」の影響が強かったと考えられる。

室町時代初期には、阿波には讃岐式アクセント、土佐には東京式アクセントが分布していたと考えられるが、室町時代中期以降になると、四国の南東部沿岸(阿波と土佐の沿岸部)は、力を持つようになった自由都市堺の影響を受けるようになった。堺は船で各地と交易していたが、とりわけ、四国南東部、阿波と土佐の沿岸部は、地理的に、海路で堺の影響を強く受けた地域だと思われる。この時代の堺のアクセントが、徳島、高知のアクセントになったとものと考える。

室町時代後期に栄えた堺の言葉が、徳島、高知に絶大な影響を及ぼした。徳島と高知のアクセントは堺と同質化した。

今治・松山のアクセントの成立と背景 ー大坂言葉に由来ー

愛媛県松山のアクセントは、現代の京阪式アクセントと近いという。すなわち、高知や徳島よりも新しいタイプの京阪式アクセントことになる。 松山同様、今治も京阪式アクセントだが、同様に現代の京阪式アクセントに近い。 その成立過程を考えたい。

まずは今治から。

地図を見るとわかるが、今治は、大阪から瀬戸内海を西に進むと初めて突き当たる場所である。ここから先は芸予諸島と高縄半島の間の狭い海域を抜けることになることから、地理的に、今治が海運上の重要拠点になっていたことは容易に想像が付く。

安土桃山時代後期から江戸時代にかけて、今治は大坂からの船で賑わっていたものと想像される。特に江戸時代初期には堺が衰退し、上方の物流の中心は大坂になった。今治は、隆盛ほこる大坂の文化の影響を真っ先に受ける場所となったと思われる。

言葉も然りである。今治はもともと讃岐式あるいは東京式アクセントであったが、江戸時代初期には当時の大坂のアクセントになっていたと思われる。

松山についても、海路からの影響が考えられる。が、松山についてはより不思議な現象として、松山平野の南端で京阪式アクセントと無アクセント(伊予市南部)が直接接していることである。通常、京阪式と無アクセントの間には東京式アクセントが存在する(詳細は拙稿「無アクセントの基層言語(固有起源)による「高低逆変換アクセント」の生成 —日本語方言東京式アクセント及び奈良田・蓮田アクセント形成に関する新仮説—」を参照)。だが、ここでは直接京阪式と無アクセントが接している。これは、松山平野側における京阪式アクセントのリンガ・フランカ化による急速な分布拡大の結果だと思われる。

松山の街は、江戸時代初期に城下町として整備された。松山城下町における標準語が形成される際、今治などからの大坂系の商人などの影響が強く反映されたものと思われる。こうして松山城下町の言葉は京阪式アクセントとなった。

もともと、松山城下町ができるまでは、松山平野は東京式アクセントが話されていたが、松山城下町の標準語が京阪式アクセントになったことで、松山平野全体に京阪式アクセントが広まっていったものと思われる。

従って、松山のアクセントは、江戸時代の大坂のアクセントにかなり近いといえる。

安土桃山時代~江戸時代になると堺に変わって大坂が栄え、北前船などの瀬戸内航路が活発になる。芸予海峡の入り口である今治に大坂からの船が集積することで、大坂言葉の影響が強まり、今治のアクセントが大坂化した。さらに、江戸時代初期から形成がはじまった松山城下町の言葉のアクセントが大坂式になった。
江戸時代を通して、大坂式のアクセントは松山平野、今治・西条平野に分布を広げた。これにより、愛媛県中部では京阪式アクセントと無アクセントが直接接する地帯が生じた。

四国西南部の諸アクセント

四国西南部は、山間部には原初日本語の無アクセントが残っているが、海岸部は東京式アクセント、東京式と京阪式の中間、東京式が無アクセントとの接触により逆変換を起こしたアクセントなど、様々分布している。全国的に見てもアクセント史の解明が非常に難解な地域の一つである。これについてはまた別稿で解説したい。

四国アクセントの時代的分布変遷

最後に、以下に四国アクセントの分布の時代的変遷を示す。

参考文献

・秋永一枝(2009)『日本語音韻史・アクセント史論』笠間書院、2009年、91頁
・飯豊毅一・日野資純・佐藤亮一編(1982)『講座方言学 8 中国・四国地方の方言』国書刊行会、334-340頁
・亀井孝・大藤時彦・山田俊雄編(2007)『日本語の歴史 5 近代語の流れ』152-153頁
・金田一春彦(1960)「国語のアクセントの時代的変遷」『金田一春彦著作集第九巻』玉川大学出版部、2005年
・金田一春彦(1977)「アクセントの分布と変遷」大野晋・柴田武編『岩波講座 日本語 11 方言』岩波書店
・金田一春彦(2005)『金田一春彦著作集 第7巻』玉川大学出版部、154-155頁、531-568頁(「讃岐アクセント変異成立考」)
・中井幸比古(2002)『京阪系アクセント辞典』勉誠出版
・上野善道(1989)「日本語のアクセント」杉藤美代子編『講座日本語と日本語教育2 日本語の音声・音韻』明治書院
・上野善道(2006)「日本語アクセントの再建」『言語研究』第130巻、日本言語学会、1-42頁
・山口幸洋(2003)『日本語東京アクセントの成立』港の人、167頁


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?