【創業ストーリー】「子どもの貧困に、本質的解決を。」Learning for All 代表にインタビュー<全3回>
こんにちは!Learning for All 広報です。
LFAは、2024年7月で設立10周年を迎えました。これまでともに歩んだ人、支えてくれた人、学んでくれた人、様々な人たちのおかげで迎えられたこの節目。この10周年を記念して、これから様々な読み物をお届けしていきます。まずは、代表の李に創業から現在、そしてこれからについて3回に分けてお話を聞きたいと思います!第一回の今回は、創業までのお話です。
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ー それでは、李さん、よろしくお願いします!
はい、よろしくお願いします。
ー まずは、自己紹介をお願いできますか?
Learning for All 代表の李炯植(りひょんしぎ)です。兵庫県の尼崎市で生まれ育ち、東京大学に進学しました。大学では、教育学や哲学などを学び、学習支援事業のボランティアを経て、Learning for All の代表になりました。これが約10年前の話です。
ーそうなんですね!今回はLearning for All の創業についてお聞かせいただければと思います。そもそも “こういった事業をしたい” と考え始めたのはいつ頃からですか。
尼崎での幼少期の環境が大きく影響しているのですが、その頃住んでいた地域はクラスの半分が一人親家庭で、さまざまな社会課題に直面していました。自分の将来の選択肢を持つことがそもそも難しい環境で、子どもたち本人がどうこうできる状態でもありませんでした。
それが当たり前でしたし、問題視していませんでしたが、大人になって「この状況は明らかにおかしい」と思うようになりました。これが現在の活動につながってきています。
ー「この状況は明らかにおかしい」と問題視するようになったきっかけはありますか。
大学時代での体験が転機になっています。小学校6年生の時に「あなたは東大に行けるくらいのIQを持っているから、もっと勉強できる環境にいきなさい」と言われました。そのおかげで、幼少期から勉学に取り組み、東大へと進学することもできました。
しかし、実際の大学生活には意味を見出すことができませんでした。成人式で地元に戻った際、友人たちの厳しい現状を目の当たりにして考えが変わりました。
家庭の経済的な理由で専門学校への進学を諦めて働いている、すでに3人の子どもを持つシングルマザーになった、知り合いに騙されて借金を抱えてしまった……そんな話がすぐ近くにいくつもありました。
地元の友人たちの多くが、経済的な理由で進学を諦め、働いていました。そんな中で大学に通っているのは私一人。東京に戻り友人と話した際、「それは努力しなかった本人の責任だ」という言葉にショックを受け、日本の格差の実態を痛感しました。
ーその時に感じたことが、Learning for All の代表になることにつながったんですね。
はい。大学後半は、貧困問題や教育格差について真剣に学びました。そんな中で、先輩から「認定NPO法人Teach For Japan」の一事業だった学習支援のボランティアに誘われて参加することに。これが後にLeaning for All となります。2014年当時はボランティアメンバーだったのですが、代表を打診され、現在に至ります。
ーLearning for All の活動指針「子どもの貧困に、本質的解決を。」は、李さんの考えを重ねていらっしゃいますか。
はい。私が目指すのは、「公平な社会の実現」です。理不尽な格差や制限などをなくし、一人ひとりが自分で自分の未来を決定できる社会の実現を目指しています。「Well-being」という言葉が一般的になってきましたが、全ての人が幸福や豊かさを選ぶ権利を持つはずです。現状では社会的な不公平によって、選択の幅が極端に狭くなる、という状況が少なくありません。そういう社会を変えていきたいです。
ー創業のエピソードについて教えていただき、ありがとうございました!次回は、現在のLearning for All に焦点を当てたお話を聞かせてもらえればと思います。