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#11 | 思い出は永遠ではないが、抗うことは容易い。

こんばんは!
今日2つめの記事は普通の日記。めちゃくちゃ長いから暇つぶしに読んで!

正月だし、と思って今日はちょっくら車走らせて結構久しぶりに祖父に会いに行ってきた!
病気や怪我で通院、手術とか色々あった祖父だったけど元気そうで何よりだったな!


俺は昔からめちゃくちゃ爺ちゃん子で、色んなところに連れ回しては遊ばせてくれる祖父が大好きだった。
って言っても覚えてることは限られていて、「ああー思い出も永遠じゃないよな」って帰り際に一人で思った。

祖母が老人ホームに入って一人暮らしになった家は少し寂しいようで、時折夜中に連絡をしてくることがあった。
スマートフォンやLINEをバキバキに使いこなしてるのはウケる。

余談だけど最近はスマホでゲームまでしてるらしいんだけど、「ゲーム中に誤操作でLINEが全部消えた」という謎事件を聞かされて意味がわからなかった。

そんな祖父と数年ぶりに二人きりで話をした。
もはや俺が大人になってからは初めてのことだった。

他愛もない話、最近どうだったとか、昔話とか。
そうして沢山話してる中でも「じーさんこんなしわくちゃだったっけな」とか「眼鏡の形やば」とか色々考えてた。祖父はなぜかスポーツ用のサングラスみたいな形の眼鏡を掛けてた。

二人で記憶を照らし合わせて、こんなこともあったな、あんなこともあったなと話をしてるだけですごくあたたかかった。
思い出は語らなければ風化する。だから人はみんないつまでも思い出を語り尽くすんだな。

悪いもんじゃねえなって思った。
でも、別れ際に祖父が「今年もよろしく、また会おう」と言ってきた時、また会えるという未来のビジョンに祖父の目がどんな話をしてるよりも輝いて見えた。
また新しい思い出作りてえなって思った。
永遠じゃなくとも、抗うことは容易いことだ。


途中二人で、祖母が入っている老人ホームにも行った。
祖母はもう俺のことは覚えていない様子だった。
祖父曰く、自宅のこともよくわかっていないし、認識できないことがどんどん増えているらしい。
子供帰りのような姿もあったし、歩くこともできない。
祖母に会うことに懐かしさを覚えた反面、じーさんと違って厳しかった祖母の弱々しい姿には少し切なさも覚えた。

当の本人は元の性格もありやけにお喋りで、くだらない雑談をして過ごした。ていうか老人ホームでの愚痴をめちゃくちゃ聞かされた。俺はほとんど「まじかよ」「やば」しか言ってない気がする。

それでも本人はそれなりに楽しんでいた様子で、俺のダメージジーンズをこれでもかというほどいじっていた。
孫という認識はしていないっぽいのにめちゃくちゃいじってくるその神経の図太さは当時の祖母の面影を感じて少し笑った。

ふと祖父がポケットから時計を出した。
そしてその時計を祖母の腕に付けてあげた。
祖父が昔に祖母に贈った物だそうで、先日ベルト部分が壊れたのを修理して持ってきてあげたそうだ。
「なぜかこれだけは絶対に覚えてるし大事にしてんだよな」と言った祖父の顔が、あまりに嬉しそうだった。
祖母は戻ってきた時計を撫でて「こいつがなきゃ何もできないよ」と言ってた。
しわくちゃな二人の何年何十年前の姿を真近で見てるような気分だった。


さっきも書いたように思い出は風化していく。
語らなければ、触れなければ風化してしまう。
既に過ぎてしまったものも沢山ある。
でも何処かに落ちてる僅か1ミリにでも触れればまた甦る。
永遠じゃなくとも、抗うことは容易いことだ。

何か学んだ気がする日だった。
また会いに行こう。思い出はまだ作れる。


ってことで日記はここまでなんだけど。
ところで俺は今日老人ホームって呼ばれる施設に初めて入ったんだよな。
そこで介護スタッフさん達の仕事ぶりも見たわけなんだけどさ、すごいね。
「仕事だからね。」なんて言われちゃそこまでなんだけどさ、根気のいる仕事だよね。
何人もの人の生活を抱えてるわけだからね、すごいよ。
保育士さんや看護師さんもきっとそうでしょ?
人が生きるには本当に沢山の支えがあるもんだね。

きっと読んでる君もだよ。
ありがとう、お疲れ様。

にしてもじーちゃんの眼鏡やばかったな。前衛的過ぎたわ。

ほんじゃね。

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