【脱・自分探しの旅】「親ガチャ」ならぬ「自分ガチャ」
こんばんは、ふみです。皆さんいかがお過ごしでしょうか?
今日は【「脱・自分探しの旅」シリーズ】
「いい加減、自分探しを卒業したい!」という方、ぜひお読みください。
<「脱・自分探し」カウンセリング受付中>
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皆さん、「親ガチャ」って言葉はご存じですか?(知らない方はこちら)
最近ふと思ったんですよね。
「親ガチャ」をはじめ「●●ガチャ」という言葉は色々ありますが、私の場合、「自分ガチャ」っていう見方で自分を否定してたんだなぁって。
というのも、私はずーっと自分のこと「ハズレ」だと思ってきたんですね。
ずーっと「自分(の個性や気持ち)」を否定・無視して、自分にないものを欲しがってきたんです。
「社交的でもなければ、可愛いわけでもない。」
「気も利かないし、面白いわけでもない」と。
ないものばかりを数えて、それを補うように学業・仕事の成績や資格など目に見える成果で外側を固めることに必死でした。
また、大人数で集まってランダムにグループを組むのが本当に恐ろしくて、グループが決まると「私のことハズレだと思ってるだろうなぁ」「他の人がよかったと思ってるだろうなぁ」と申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
(「はないちもんめ」とか、笑えない遊びですよね~)
だからこそ、自分は「ハズレ」なんだという前提で、いかに周囲の人に存在価値を感じてもらえるかに必死でした。
結果、人の目は気にするし、ハードワークにはなるし、自分の気持ちは二の次で、「四の五の言わずに求められてることをやりなさい!」という鬼軍曹状態。
弱気になろうものなら、「弱音はいてても何も進まないよ!」と無視。「●●やりたいなぁ」と思っても、「無駄なことしてないで、やるべきことをやりなさい!」と自分の声はすべて否定してやってきました。。
そうした結果、平日は無心で働き、休日は泥のように眠り続けるロボットのような人間が出来上がりました。
そこに自分がいるのに。
ずーっと存在を無視して、見ないようにして、「自分じゃなくて他の人がよかったー」と人をうらやましがり、外に可能性を探し続ける日々。
もしこれが親子だったら、友人だったら、、、虐待・いじめですよね。
ずーっと存在を無視・否定し続けられた「自分」。
私が「自分」に対してやってきたことに気付いた時は愕然としてしまいました。
「自分」が可哀そうすぎて、ずーっと待っててくれたんやなと健気すぎて。
「自分探し」と銘打って、向上心をもって前向きに自己研鑽しているつもりが、実はひたすら「自己否定」をしているだけだったんです。
「自分のままじゃダメだから、頑張らないとー!」って。
でも、「自分探し」で本当に必要なのは、「自分の素直な声」に耳を傾け、受け入れる作業なんですね。
そしてそのためには、
「自分」と向き合う覚悟
「自分」で生きていく覚悟
が必要です。
まずはそこが「自分探し」のスタート地点。
「自分探しをいい加減卒業したい!」という方はこちら
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それではまた、ふみでした。
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