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美術はひとりで見ればいい

ようやくコロナの緊急事態宣言もすこしずつ緩和されてきて美術館が再オープンし始めました。
休日や時間の空いたときに美術館やギャラリーに行くのが好きなのですが、初対面の人にそれを話すと「美術館に通うなんて洒落てるね」とか「高尚な趣味だね」とか抽象画を集めた企画展なんかの話をすると「あれ見て何か感じ取ったりしちゃうの?(笑)」とか言われることがあります。

美術は難しいのか

まず美術と聞くと難しそうとかどう見て良いのかわからないと言われます。難しそうという質問には描くのは難しいと答えますが、見るのは難しいと思いません。人と感想を語り合うのが難しいのだと思います。

美術を語るのが憚られるのは何故か

冒頭の茶化されるような話でも出てきましたが、美術を見る=格好つけみたいなイメージがやはりどこかに共通価値観としてあるような気がします。
別に私は評論家でも無ければ前衛美術作家でもありません。
写真は撮りますし個展も開きますが、見てもよくわからない美術作品もあります。
そういう美術作品を見た時に出てくる感想って「なんかわからないけどすごいな…」とか「なんか好きだな…」ぐらいの感想です。
こんな気持ちを語りあうのが憚られてしまう…美術について話そうとすると、詳しくないと叩かれる的を得ていない知識がないとマウンティングされるなどのマイナスイメージが黙らせてしまうのだと思います。

映画を見て感想は言い合うのに

美術でそれができないのは惜しい気がする
こういう状態を見ると何か惜しいなぁと思ってしまいます。
それも一般に広く根付いた映画や小説や音楽などのこれらも芸術なのに、
絵画や彫刻、版画、写真になると途端に皆、口籠ってしまう。
だったらいっそ一人で見に行ってはいかがでしょうか?

一人で見ていることを他人は見ていない

一人で見るメリットは色々あります。
まず、感想を喋らなくていい。
語る語らないの話をしていたのに言ってることが違うじゃないかと思われるかもしれませんが、これは大きなメリットです。何故なら一人で見て、感想をノートなどに書きとめたり、ふわっと感じたことを覚えているだけで何気ない瞬間に「あぁあの絵が好きだ」とか「この作品あの美術館で見た作品だ」と思い出すことができます。ちょっとした思い出になりますよね。

次に、見ている自分を気にしなくていい
誰かと一緒に行くと仲のいい友人であったとしてもどこか気にしてしまいます。見るペースであったり、作品の何処を見ているのか…これは私が気にしすぎなのかもしれませんが、どうしても少し気がかりで美術と向き合う、じっと見て感じる楽しみが減ってしまう気がします。
前衛美術や抽象画、彫刻などは特にどこか好きだと思っても「わかっているフリ」をしなくて済むのが一人で見るメリットだと思います。思う存分見て何か感じたらそれを楽しみましょう。

話したくなった時に話せばいい

こうして色々な作品を見ていると次第に、好きな色使いや作品の系統、もしかしたら好きな作家さんも見つけられるかもしれません。そんなときに誰かに「話してしまいたい!」、「これを共有したい!」と気持ちが溢れたときに話せばいいと思います。相手の反応も気になるかもしれませんが、自分が好きなことに変わりは無いので自信を持って好きだということが美術について話すことだと思います。


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