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ツチノコとの出会いについて

 いよいよ書くことがないので今回は完全な内輪ネタです。僕にはツイッター上でもリアルでも仲良くしているツチノコという友人がいます。彼もnoteにたまに投稿していて、その中に僕と出会った日のことについて書いてある記事(https://note.com/tuchinonaka/n/n546f8fa80585)もあり、けっこういいねがついています。好きな記事で、僕は何度か読み返しています。何が良いって、そこに登場する僕はとっても良い感じなんです。すごく魅力的に書いてくれています。だから読んでいて気分がいいです。そこでというか、今回は、その時のことを僕の視点で書いてみようと思います。誰が読むんだ?という内容ですが、そんなこと言いつつ何人かは確実に読んでくれる内容だとも思っています。正直当時のことはうろ覚えで、彼のように鮮明にいろいろ書けるとも思いませんが、なんとか書いてみます。お互いの視点や認識の違いを楽しんでいただけたらと思います。
 単純な事実関係すらほとんど覚えていないので、ツチノコくんのnoteを見て確認しながら書きます。彼と出会ったのは3年前、O県K市での読書会(意味はないが一応伏せる)だ。事前にネット上で申し込みをした上での集まりだった。各自好きな本を一冊持ち寄って、お互いに紹介するだけという簡単なものだった。
 僕がその読書会に申し込みをした理由はシンプルで、友達が欲しかったからだ。当時ツイッターをやっていなかった僕には、本を読む友達がいなかった。マジでいなかった。ついでに彼女もいなかった。社会人2年目だった僕は相当神経をやられていた。孤独と多忙とで精神状態は安定して最悪だった。仕事もうまくいかねえし、セックスもできねえ。やってらんねえ。てやんでえ。べらんめえ。
 本が好きな人たちが集まるところに行けば、少なくとも友達ができると思った。あわよくばいい感じの女の子にも出会えるかもしれない。まあそんなにうまくいかないだろうが、繰り返しの日常に変化を加えるためにも、行ってみようと思った。
 しつこいようだが当時の僕はかなりの多忙だった。1ヶ月休みがないなんてのはざらだった。その日も午前中に仕事をしてから行った。しかし僕は明らかにスケジュール管理をミスっていて、どう考えても職場から家に帰っていては間に合わないということが仕事を終えてから分かった。一度帰って、着替えてご飯食べてから行こうと思っていたので、当然その日持っていく予定だった本も持っていない。おまけにジャージ姿である。ジャージ?仕事なのに?矛盾しているようだがそれが全く矛盾しないのが僕の仕事なのだ。まあどうでもいい。
 ところで僕はその日何を持っていこうとしていたか?これは相当考えた。もちろん僕は自分を天下に名高い読書家だとは思っていなかったが、それでもけっこう変な本を読んでいる自負はあったので、間違っても、伊坂幸太郎とか湊かなえとか東野圭吾とかの本(悪意はないです)を持っていこうなんて思わなかった。しかしだからと言って、高橋源一郎とか中原昌也とか舞城王太郎みたいなのを持っていってイキるのはますますNGである。そんなことをしたら、やはり変な本を読むような変なやつは独りよがりのうんこマンなんだな、あーキモキモ、滅びておくれやすう、である。そんなのを読む人が集まる雰囲気ではないというのは、ウェブで見た時点で分かっていた。もっと、誰にでも魅力が伝わりかつ、見たことのない、そんな感じの本を……。いろいろ悩んだ結果僕が選んだのは、ツチノコくんの記事にもある通り、都築響一の『夜露死苦現代詩』である。今でもなかなかいい感じのチョイスだと思う。内容はまあ、ツチノコくんの方の記事を読むなり、ネットで調べるなりしてみてください。
 ところがその本を持っていけないのだ。おいおい、どうするんだ。疲れもあって半ばヤケになっていた僕は、読書会会場の近くに古本屋があることを思い出し、なんかそこで適当に買って行こうと思った。
 暴挙である。しかしこれはこれで面白いかもしれない、えへへと思いながら古本屋に入ったが、読書会で紹介できそうな本が見つからない。そんなのは当たり前の話で、この世には自分の読んだ本よりも読んだことのない本の方が圧倒的に多いので、その古本屋に並んでいる本のほとんどを僕は読んだことがない。だから紹介できる本が全然ないのだ。
 開始時間も迫る中もうヤケクソで、僕は目に入った本をレジに持っていった。小島信夫の『残光』である。噂にしか聞いたことがないがかなり変な本らしい。もちろん読んだことはない。読んだことのない本を読書会で紹介する?何を考えているのだ。知るかそんなこと。俺は友達が欲しいんだ。あるいは読書好きのメガネ巨乳だ。メガネはあってもなくてもいい。行くしかない。
 店を出て猛ダッシュで会場まで急いだ。狭い路地を行く道でけっこう迷った。なんか古民家というか、公民館みたいなところである。ここであってるのか?もじもじしていたら、若者とおじさんの中間ちょっとおじさん寄りみたいな気さくな人に声をかけられた、「読書会ですか?」(人物の発言は一切覚えていないので以降は全てでっち上げである)、「あ、はい」、「どうぞどうぞ」。
 玄関に入り、階段を登った先は和室である。けっこう広い。12畳くらい?老若男女が座布団の上に座っている。そして何と囲炉裏がある。あったっけ?なんかそれっぽいものがあった気がする。あったかい……外は寒かったのでありがたかった。
 それからまあなんだかんだあって人が揃ったらしい。いろんな人がいた。おじさんおじいさんおばさん。おばあさんはいなかった気がする。若い女の人もいたが好みではなかった。失礼だねごめんなさい。その時点で今回の第二目的はなし。さよならメガネ巨乳。
 そして僕以外に若い男がいない。意外ではなかった。この世で一番本を読まないのは若い男だと僕は思っている。いや、一人だけいた。大きめの机を囲んで参加者は座布団に座っていたが、ちょうど僕の向かいくらいに若い男が座っていた。それが後のツチノコである。会が始まる前から僕は彼が気になっていた。第一に他に若い男がいなかったから。友達になれるかもしれない、と思った。第二になんか挙動がおかしかったから。目線がおかしい。目もおかしい。瞳孔がちょっと開いていて、斜め下をずっと見ている。息をしていないように見えた。今思えば極度に緊張していたんだろう。奴がどんな本を紹介するのか楽しみだった。
 そして会が始まった。自己紹介をしながら順番に本を紹介していく。最初は入り口で会った気さくな男性だった。彼は文章の書き方みたいな本を紹介した。やはりこんな感じか、と思った。別に悪いとは思わない。当然である。ドストエフスキーなんかが登場するわけはないのだ。しかしさすがにしゃべりがうまい。簡潔だ。ちゃんと聞き手とコミュニケーションもとっている。僕自身が興味をそそられる本ではなかったが、発表の大体の感じはつかめた。
 そして2番目に発表するのが、例の若い男である。彼は何を持ってきたのか。冷や汗を全身で表現したような顔で、彼は喋り始めた。
 「あ、どうも。あの、僕今日めちゃめちゃ緊張していて。さっきの発表も実は、ほとんど聞いていないんです」会場から笑いが漏れる。うまいなと思った。緊張しているときは緊張していると言ったほうがいい。自分の気持ちも楽になるし、会場も味方につけることができる。見かけによらず、こういう場には慣れているのかもしれない。
 「あはは……、それで、今日はどんな本を持ってこられたんですか?」気さくな男性が水を向けると、彼は本を取り出してしゃべり始めた。
 「はい。僕が紹介したいのは、佐藤友哉の……」
 僕は吹き出してしまった。みんながチラッと見る。すみません。佐藤友哉?おいおい、マジで言ってんのか。こんなところに佐藤友哉を持ってくるバカがいるとは思わなかった。まあ読んだことないんだけど。ただチラ見したことはある。攻めたなあ、しかし。これは想像以上だった。
 もちろん周囲は無反応。誰も佐藤友哉なんて知るわけはないのだ。味方につけたはずの観客が一瞬で後ずさったのが分かった。
 彼はかまわずしゃべり始める。佐藤友哉の『フリッカー式』について。話し始めてすぐに思った。あ、これは……原稿だな。これはまずい。一人でしゃべっている。登場人物、筋書きなどなど。間違ってはいない。しかしこれでは聞けない。基本的に人は人の話を聞かない。ちゃんとコミュニケーションをしないと……冷えていく、会場、おお。
 発表は終わった。一応拍手。そして質問タイム。誰もしないと思ったが、気さくな男性が即座に挙手。さすがである。ちゃんと話を聞いていたのが分かる質問だった。すごい。正直僕はほとんど聞いていなかった。
 はっきり言って彼の発表は失敗だったと思う。準備してきたのは伝わる。しかしどう考えても本のチョイスが絶望的である。誰も知らない小説を興味のない相手に紹介するというのは至難の技である。よっぽどわかりやすい仕掛けとか、どんでん返しとかがなければ……。
 しかし僕は彼に非常に興味をもった。想像以上の変態が参加していたのだ。絶対に後でナンパしようと思った。
 そして何人かが発表したのち、僕の番になった。僕の発表がどんなだったかは、ツチノコの記事を読んでください。ただ一つ訂正させてもらうと、「興奮の拍手の中」とか書いてますが、全然そんなことはなかったです。なんとかそれっぽくまとめたという感じでした。
 一段落して休憩時間になった。誰かが持ってきてくれていた芋羊羹みたいなのを食べながら、雑談をする。僕は囲炉裏のそばで肩を落としていた(ように見えた)先ほどの彼に近付く。
 いろんな話をした。僕は興奮していた。めっちゃ興奮していた。まともに本の話ができる人間が、現実世界に存在していたとは。佐藤友哉紹介するなんてやばいね、とか、ドストエフスキー読んだことある?とか、村上春樹とか、何を話したかあまり覚えていないが、とにかく僕は興奮していた。多分そんな風には見えなかっただろうが。読書会のことなんかそっちのけで話をしていた。
 そしてなんやかんやで会は終わって、解散することに。僕はさっきの若者を逃すまいと、出口で声をかけ、僕がこの会に来る前に行った古本屋に一緒に行かないかと誘う。快諾してくれた。
 道中、さらに本の話。彼は村上龍が好きで、他にも大江健三郎とか、中上健次とか、サドとかバロウズとか、読むらしい。マジでそんな奴が存在するとは思っていなかったので僕は嬉しかった。僕よりもけっこう年下なのにも驚いた。同じくらいかなと思っていた。僕は中原昌也の小説なんかを勧めといた。
 古本屋を出ても名残惜しかったので、近所のスーパーに無断駐車している僕の車で駅まで送ることにする。車はめちゃ汚かった。車体は砂まみれだった。なぜかというと僕の職場はその数ヶ月前に大洪水に見舞われた地域で、謎の粉塵が舞いまくっているのだ。洗ってもきりがない。いちいちそんなことは言わなかったが。暴力温泉芸者のCDを流しながら駅まで向かった。きっちりLINEもゲットした。友達ができた。
 以上が僕とツチノコくんとの出会い、の僕サイドの回想である。おもしろかったですか?自分ではちょっと分からない。ここから今に至るまで彼との友人関係は続いている。僕にしてみればけっこう長い方だ。厳密には、この日から半年くらい間が空いてから、頻繁に連絡をとるようになるのだが。
 今振り返っても、奇跡的な出会いだったと思う。おそらくあの読書会で出会わなければ、彼と友人になることはなかっただろう。ほんとに参加して、良かった。
 その後、彼の主催する読書会に参加して、別の方と知り合ったり、仲違いしたり、ツチノコが詐欺にあったり、まあ、いろいろあった。いやほんとにいろいろあった。大人になってからの人間関係は難しいと改めて思った。しかしツチノコくんとの付き合いは未だに続いている。それは彼の人間性によるところが大きい。不器用で繊細で極端な人間である。放っておくと何をするか分からない、というところも付き合いをやめられない理由かもしれない。いや単純に「ウマが合う」というのはこういうことなんだろうなと思う。これからもよろしくツチノコ。

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